コイバナ(後編)
「どこかで行き違ったかな」
エリスの部屋の前で、壁にもたれかかって立っていたジークハルトは、三人の姿を見て小さく笑った。
「今日はもう仕事はおしまいですか」
「いや。すぐ戻る」
エンデの問いかけにジークハルトは短く答える。
「陛下にご報告がありますが、どうも王宮に何かがいるようです。エリス嬢が狙われているかも」
「そうか……。王宮内の警備を強化するように。あとは騎士団の方で誰か調整して、エリスに護衛をつけておいてくれ。できれば……いや」
「オレか団長か、ファリス。どうぞ命じてください。初めから、そのつもりです」
言い淀んだジークハルトに、即座にエンデが言う。
「安心なのはそのメンツだな。頼む」
「御意」
どこか複雑そうなジークハルトを黙殺して、エンデが請け負った。
「陛下は何かご用事が……?」
伺うように言ったファリスの肩に、エンデが腕を回して口に手をあてた。
「詰所に戻って打ち合わせてきますので。戻るまでは陛下がエリス嬢についていられますか。いられますよね」
ファリスがエンデの腕を払う。エンデは、今度はその手をとって指を絡めて手を繋ぐ。猛烈に抗議するファリスを、そのまま引きずるように連れ去った。
後ろ姿を見送ってから、ジークハルトが浅く溜息をついた。
「本当は、エリスには俺がついていられたら良かったんだけど」
「それを言うなら、皆さんお忙しいと思いますし、わたしが自分でなんとかできたら良いんですけど」
エリスがしみじみ言うと、少し間をおいてジークハルトがくふ、と変な息をもらした。笑っていた。
「冗談にしかならなくてすみません」
傷ついてはいないが、落ち込んではいて、エリスは言い訳がましく言ってしまう。
「謝るところではない。エリスが狙われるとすれば俺のせいだ。俺の周りに特定の女性がいるのをよく思わない向きもあるからな。守るのは当然だ。ただ、そういった仕事に同じ者ばかり重用するのはどうかと」
「それを避けるためにご自分の仕事にしてしまおうという君主も、なかなかいらっしゃらないかと。理由が『特定の女性』なら、完全に相手の神経を逆撫でします」
嫌味のつもりはなく、心の底からエリスは言ってしまった。
臣下の偏重を自分自身良いことと思っていないのだろうが、おそらく人間的にも能力的にも信頼できる相手が名前の挙がった三人なのだろう、とエリスは理解した。
「さて。部屋に入れてもらっても大丈夫か?」
エリスが慌ててノブに手をのばすと、寸前でジークハルトが手を伸ばしてドアを押し開く。
部屋の中には灯りがいくつも灯されていて、綺麗に彩色された箱がいくつも積み重なっているのが見えた。
「うん。なるほど。エンデが選んだなら間違いないだろう」
立ち尽くしたエリスの頭上で、ジークハルトが感想をもらす。
「その節は本当にありがとうございました。働いて返すとして、何年かかるかわからないんですが」
「ではなるべく高給の仕事をまわそう。しっかり働いてくれ」
いつまでも入らないわけにはいかないので、エリスが先に立つと、ジークハルトが「あれ?」と小さな声をもらした。
「どうかしました?」
「エンデの香りがしたような気がした。なんでもない」
納得していない様子ながら、ジークハルトに言われてエリスは引き下がらざるを得ず。
「お酒を飲むと寝てしまうかもしれないので。今日はわたしがお茶を淹れますね。道具は用意してもらったんです」
窓際の席をジークハルトにすすめながら、エリスは部屋の隅の台に並べた茶器の方へと向かう。
「たしかに、昨日はあまりに健やかで驚いた」
「申し訳ありませんでした」
「責めてはいない。記憶が戻っていないのに、身体が健康そうだからと予定を詰め込んだ俺も悪かった。今日も忙しかったか?」
穏やかな笑いを含んだ声。
「その買い物の量をご覧いただけたらと思います」
自分では見るのも恐ろしい大量の箱から目を背け、茶器と茶葉を確認する。お湯のポットは、厚い布が被せられていた。十分使えそうだ。
お茶を淹れてからジークハルトの待つ小テーブルに運び、自分も席につく。
さて、今日はなんの話をしようかなと考えたときに、ことりと小さな音がした。目を向けると、小テーブルの上に白っぽい色合いの小箱が置かれていた。
「貝殻で作った箱。昨日、寝台の横に貝殻を並べているのを見かけたので」
「たしかに、何か入れ物が欲しかったんです。せっかくの貝殻、なくしてしまいそうだったから。これ小さくてかわいいですね。それに、すごく綺麗。ありがとうございます!」
手に取ってエリスはすぐに席を立つ。早速、魔法の書の上に並べてあった貝殻を中におさめた。ジークハルトは満足げに薄く笑ってカップに手を伸ばし、茶を飲んだ。
* * *
お茶を飲み終える頃、エンデが戻ってきて、部屋には入らずに戸口から声をかけてきた。
「結局、エリスの護衛はお前か。悪いな」
立ち上がったジークハルトを見送るべく、エリスも後に続く。
小箱のお礼を言おうと、ベッドサイドまで走って、手に持ってくる。
エンデの前で一度止まると、ジークハルトはエリスを振り返り、腕を伸ばした。
そこからの動作は速やかで淀みなく、すべてが流れるように鮮やかで、抱き寄せたエリスの額に軽い口づけを落とした。
「お茶美味しかった」
髪を一房とり、香りをかぐように目を伏せて唇を寄せてから、再び顔を上げて目を合わせ、にこりと笑った。
「あとは頼む」
顔を逸らして壁を見ていたエンデに声をかけ、その肩に手を触れてからジークハルトは部屋を後にする。
立ち去ってしばらくしてから、エンデが低い声で言った。
「大丈夫?」
「びっくりしました……」
「それは?」
エリスの手にした小箱を目にして、エンデが尋ねる。エリスはエンデに手渡しつつ言った。
「陛下から頂きました。海辺で拾った貝殻を入れるようにと。すごく綺麗ですよね。貝殻で出来てるって言ってましたけど、この辺の特産品ですか」
箱を掲げて、目を細めて眺めていたエンデは「
「なんですか?」
溜息をついてから小箱を返したエンデは、エリスが片手で受け取ると、もう片方の手首を掴んで掌を小箱に重ねるように持たせた。
「交易品。この辺では作れない。あそこに積んである箱の中身全部よりも高い」
「え…………ええっ。だって中に入れてるのって、ジークハルトが、自分で拾ってきておきながら全然価値がないって言ってた貝殻ですけど……っ」
理解が追いついて後、エリスが明かした内容に、エンデはさらに溜息をついて顔を左右に振った。
「万が一にも紛失しないように、その箱はこれから肌身離さず持っていた方がいいよ。これは思った以上に陛下、入れ込んでいる……。いやしかしさすが陛下。贈り物が香水程度のオレとは格が違う」
独り言のような内容であったが、聞き捨てならずにエリスは恐る恐る聞き返す。
「香水は、請求書をまわしてないんですか」
「あれは予定外で、オレの行きつけだから。エリス嬢、世の中の美女が美の秘訣を尋ねられても簡単には答えないように、男も軽く言いたくはないこともあるんです。請求書まわしたら俺の行きつけがバレます。支払いといっても、べつに香水の一つや二つくらいは」
ひええ、とエリスは声にならない悲鳴をあげた。自分が何かとんでもないことをやらかしたと、ようやく少しだけ悟った。本当に少しだけ。
エンデは苦々しい表情で続けた。
「今後使うなら、できればオレがエリス嬢に選んだものを。それも本当はどうかとは思うけど。ああ、そうだ、店先で『どのくらいつければいいんですか』とか言いながら試した分、今日はしっかり湯で落として寝てください。あと、間違えても香水は枕などに使用しないように」
「そんなに問題が……?」
エンデはちらりと部屋の奥の寝台に目を向けてから、笑顔でエリスに振り返った。
「すでに陛下はだいぶ疑っていたみたいだけど。枕から、オレの匂いがしたらまずいでしょう。仕事しないで一緒に寝ていたと思われますから」
「一緒に」
耳まで真っ赤にしてしまったエリスの顔をのぞきこみ、エンデは駄目押しのように言った。
「おやすみ。オレはドアの前にいるから」
「おやすみなさい……」
エリスが箱を持ったままその場に崩れ落ちるのを見ながら、エンデはやや粗雑な仕草でドアを閉める。
閉めたドアのノブを掴んだまま、エンデは長いこと固まっていた。
やがて口の中でごく小さく呟いた。
「クソが」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます