第8話 遭遇
【今日はお魚を食べました。見たこともないし、食べたこともないと言ったらこちらの国の男性たちに気の毒そうな顔をされ、骨をとったり腸をとったりとずいぶん世話をされてしまいました。子どもでもここまではしない、だそうです。味は美味しかったです】
借りたペンで、魔法の書に本日の報告を書きこんでみる。
(「世話をしてくれた男性たちはこの国の王様と宮廷魔道士です」って書くべきなんだろうけど……。どうなんだろう、誰かに見られても大丈夫な内容で、とりあえず)
何かの折に他人に読まれても問題ないように、日記を装ってみた。
素直に書きたくない、という自分の心境には気づかなかったことにする。暗殺対象の変更の指示がくるのを無意識に避けたわけではないと。
書き終わって、インクが乾くのを待つ。その間、特に変化はなし。本当にアリエスに届いたかどうか、確かめるすべはない。
「寝よう」
机の上から本を持ち上げ、天蓋付きの寝台に向かう。
寝台の横の小さな卓上に本を置き、迷った末、握りしめていた貝殻をその上にそっと置いた。価値はないと言っていたが、何度見ても可愛い。
寝台にもぐりこむと、あっという間に眠りに落ちた。
夢の中で、音を聞いていた。ザザン……と浜辺で耳にした、押しては寄せる波の音。
夜が静かだったせいかもしれない。
* * *
「扱いとしては客だと思っている」
翌日。
「もともと着ていたみたいな、綺麗な服着せておいた方が、知り合いが見たときにわかりやすいんじゃないかと僕は提案したんですけどねー。この辺の育ちじゃなさそうだから、知り合いに偶然会うことはまずないだろうって。陛下が」
用意されていたのはほとんど装飾性のないシャツに、裾の長いスカートとサンダルで、案内されたのは執務室。
積まれた書類の向こう側から、ジークハルトが「読み書きができるらしいな」と言って来た。
「昨日女官にペンを用意させたと聞いた。読み書きができるなら働いた方が良いんじゃないか」
「働く」
扱いとしては客だと思っている。と、言いつつも遊ばせておく気は全然ないらしい。
書類を一枚ひらりと手に持ち、目を通しつつ、顔も上げないままジークハルトが続けた。
「記憶が戻らなかったら、この先詰むぞ。何しろ一人で食事もできないんだ」
「それは語弊があります! 魚を食べられなかっただけです。なんですかあの初見殺しは……!」
「美味しかっただろ」
「それは……、美味しかったです」
エリスが悔しさを堪えて言うと、書類を机に置いて、ジークハルトが破顔する。年齢不詳の童顔に、明るい表情が、ものすごく似合う。
(美味しいって言わせるためだけに、二人がかりで切り分け、取り分けを手ずからだもんね……。給仕もついていたのに)
ジークハルトはすぐに笑いをおさめて少しだけ考えるような顔をしたが、浅い溜息をつくと、再び書類に目を落とした。
「しかし難航しそうだな、身元捜し。昨日から色々考えてみたが、よくわからない」
机の横に立っていたファリスが、にっこりと笑いながら、はっきり聞こえる音量の小声で言った。
「エリスのことを思って夜も眠れなかったって」
「わたしはすごくよく眠れましたよ。疲れていたみたいです」
転移魔法のせいで、身体にガタがきていたのかもしれない。
ファリスはにっこり笑顔のまま「んー」と言いつつエリスを見つめてきたが、ジークハルトは書類で顔を隠して小さくふきだした。
「らしいな。一応そういう報告も来ていた。夜中に王宮を歩き回るようなことはなかったと」
(やっぱり、見張られている……。当たり前だけど。見ず知らずの人間を王宮に招き入れて、陛下が自ら接待しているわけだから。しかも実際、警戒するような相手よね。対象は陛下じゃないけど「暗殺」任務を請け負っているわけだし)
「ジークハルトは何か気になることがあるんですか。命狙われたり?」
「命も貞操もよく狙われている。面倒なので、くれてやってもいいような気がすることもある」
歯切れの良い、低く穏やかな声で、そんなことを言う。
「誰に狙われているの?」
「さあ。エリスの依頼主は誰だ?」
切り返された瞬間、喉がきゅうっと閉まった。その反応を、ジークハルトが面白そうに見ていた。
その時、ノックの音がした。
「陛下、ロアルドです」
「どうぞー」
渋くて重々しい声に対して、ファリスが気安い調子で答える。
ドアを開けて入ってきたのは、恵まれた体格の偉丈夫。鋼のような色の髪に、頬にはしる古傷のせいでかなりの年長者に見えたが、緑色の瞳と視線が絡んだとき、思ったよりは若いと気付いた。
「おはようございまーす、エンデもいます」
続いて、真っ赤な髪の、やはり長身の男が続く。こちらは右目に黒の眼帯。左目は水色で、目が合うと抜群の笑みとともに軽く一度瞑っていた。愛想が良い。
「騎士団長のロアルドと、副団長のエンデだ。事務仕事が壊滅的で、補佐を入れないと働かない。今は戦もないから雑用が多いんだが……。エリス、聞いているか?」
ジークハルトに淡々と説明されたが、エリスはロアルドから漂う緊張感に打たれたように立ち尽くしていた。
無理。とは、言わないようにしよう。自分に言い聞かせる。
ロアルドは、吟遊詩人なら「天を衝く大男」と表現しそうな見た目で、厚みもエリスの倍はあるだろう。もちろん、だらしない巨漢ではなく、全身筋肉。腕のひとふるいで何人もの兵士を薙ぎ倒すであろう貫禄。気軽に背後に立っただけで息の根を止められそうな威圧感に満ちている。
「エリスちゃん、大丈夫ー? 取って食うときは食うけど、今はそんな気ないから安心して?」
軽い動作で距離を詰めてきた赤毛のエンデが、エリスの顔を覗き込みながら手をひらひらと振った。
「取って食う……」
何か変なことを言ってるな、とエリスが見上げるとエンデとまともに目が合った。口元には笑みを湛えたまま、目を細めて低い声で囁くように言う。
「もう陛下に食べられちゃった?」
「食べたのはお魚だけですが?」
「魚?」
(あれ、会話が成り立たない。何の話をしているんだろう?)
「エンデ。仮にも俺の女と目されている女を、俺の目の前で口説くのは軽率じゃないか」
「本当にそうなら考えますけど。うん、逆に燃えるかも。どう?」
再び、エンデに問われてエリスはなんとなく身構えてしまう。胸の前に手を持ってきて、拳をきゅっと握りしめた。
「燃える……。って、人を燃やすんですか」
燃やす……、誰が誰を?
脳裏をよぎったのは騎士団長の二つ名「紅蓮の業火」だ。予期せぬ出会いだったが、同じ空間にいるのが耐えがたいほどの圧迫感がある。殺すか、殺すに準じることをするという密命が重い。
「えーと、エリスちゃん……。なんか『燃やす』『人体』『物理』みたいなこと言ってる?」
「副団長、そのへんにしておいたらいかがですか。一から十までかみ合ってませんよ」
ファリスが笑みを含んだ声で言った。
「エリスは記憶がない。どこかの姫君かもしれないんだが、よくわからない。俺が四六時中見ているわけにもいかないし、いっそ騎士団に置いておいた方が良いかと考えた」
「陛下は少し女性に興味を持つべきなのですが。と言いたいところですが。騎士団は男所帯ですが、団長とオレが見ているなら一番安全かも。いろんな意味で」
ジークハルトの言葉を受けて、エンデが流れるようにこたえる。
(願ったり、叶ったり……な状況なのかな? 騎士団長のそばについて、隙を見て命を。それは無理でも大けがを……)
ちらりとロアルドを見る。
ロアルドには入室以降しらっと無視をされているが、それでも下手に動けば虫のように叩き潰されるのが容易に想像できる。作戦だ。作戦を立てねば。
「エリス」
緊張しきりのエリスの名を、ジークハルトが呼んだ。
少しくもった表情をしていたが、声は穏やかだった。
「昨日の今日なので、無理をする必要はない。不満はあるかもしれないが、ひとまずやってみて欲しい。仕事が合わないようなら、また考える。二人の側にいれば万が一にも危険なことはない。ただしエンデには少し気を付けるように」
「はい」
返事をすると、ジークハルトはまだ何か言いたそうな顔をしたが、結局口をつぐむと書類を手にして読み始めた。
「行こうか、エリスちゃん。手取り足取りなんでも教えるから、オレに聞いてね」
エンデの明るい声に促されて、エリスはひとまず頷き、すでにドアに向かったロアルドの大きな背中を見た。
「エリス」
再び、ジークハルトに名を呼ばれた。
振り返ると、立ち上がったジークハルトがエリスの側まで歩いてきた。
一瞬、躊躇うように視線を泳がせてから、エリスの方を見ないまま言う。
「夜に……、少し時間を作る。仕事を含めて今後のことは、そのときに話そう」
(仕事のことと言っても、暗殺の相談はできないですよね)
エリスは思ったことも言えないまま「わかりました」と答えた。色々飲み込んだせいで、態度としてはそっけないものになってしまったかもしれない。
ジークハルトはちらりとエリスを見てから、ばつが悪そうに言った。
「命やら貞操やら狙われているとはいえ、エリスには関係がないのに変なことを言って悪かったな」
「なんのことです?」
「記憶が無いのはわかっているのに、依頼主なんて聞いたことだ。命も貞操もたいして価値があると思ったことはない。エリスが必要ならくれてやるのもやぶさかではないぞ」
照れ隠しのように、頬を皮肉げに歪めてそんなことを言ってきた。エリスは少しだけその内容を検討をしたが、昨日のうちに結論は出ていたと思い出す。
(陛下を暗殺、という指示はない。あくまで標的は騎士団長のはず)
「ジークハルトのはいりません。必要ないです」
力強く請け合ったのに、なぜかファリスとエンデが同時にふきだした。
ジークハルトは顔も合わせずに背を向けて、執務机の方へと戻ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます