第7話 不穏な魔法使い

「陛下がお待ちです……!!」


 年配の女官に、感極まった調子で言われる。

 邪険にできるはずもなく、エリスは張り付けたような笑みで頷いた。


(そんなに期待されても……、どうしよう……)


 記憶にあるこれまでの人生において、人から一番期待されている。つい、「わたしでよければ」と安請け合いをしてもっと喜ばせてあげたい、という思いに駆られる。


(冷静になろう。期待に応えるってことは、「ジークハルトと仲良くなる」「気に入られる」ってことだよね……)


 何かそれはまずい気がする。とてもとてもまずい気がする。

 おそらく、暗殺対象はジークハルトの周辺にいる。目的達成の観点からすればすごく理にかなっているが、自分自身の気持ちが耐えられない。

 自分は隣国からの刺客で、用が済めば帰る。その場合、ジークハルトとはいずれどこかで戦うのかもしれない。

 エリス自身が戦わなくても、必要とあれば大魔導士アリエスは戦場に立つ。

 天秤にかけてどちらかをなんて、考えられない。であれば、今、深入りをしないに限る。

 深入り……。


(騎士団長を排除するより、もしかしたら「陛下」を──。いや、そんな指示はない)


 それはエリスの仕事ではない。


 * * *


 女官に送り出されたドアの向こうで待っていたのは、ファリスであった。女官たちに微かに動揺の気配があったが、ファリスはにこりと笑って言った。


「案内役が必要なはずだから」


 それだけ言って、エリスを先導して歩き出す。


(わたしが鈍いんだろうけど……、やっぱり状況がよくわかっていない)


 ファリスは宮廷魔導士で、「陛下」と仲も良い。それなりの立場にある人と、推測できる。


(このひともまた、こんな雑用をするひとではないような。雑用……、ジークハルトのお客様扱いされているわけだから、これは雑用ではない……? そもそもなんでそんなことに)


 ぐるぐる考えながら後に続いていると、ファリスが足を止めた。


「背中に穴が開く」

「え?」

「見過ぎ」


 くすくす笑いながら、振り返る。

 正面から向き合うと、ファリスはいたずらっぽく目を輝かせて言った。


「ドレス似合っていますね、すごく可愛い」

「やめてください」

「鏡は見ましたか? 自分ではどう思いましたか」

「鏡に映っていたのはわたしではないと思います」


 エリスが着せられたのは、形こそ簡単なドレスで袖もあったが、肩から胸がすぅっと空気に触れる。これまで着たことはない意匠で、実感として布が足りていない。人体を補正する下着や女官の技を駆使して、ささやかな胸でもそれなりに着こなせてはいるが、嬉しくはない。髪を結いあげられるのは全力で拒否した。この上、首まで寒くなりたくなかった。

 女官たちは満足していたが、エリスはなんとなくみじめな気持ちになっていた。ドレスだって、もっと似合う人に着られたいだろうに……と謎の同情心が沸き上がって止まらない。


 ファリスは「そうきましたか」と実に軽い調子で請け負った。

 そして、身にまとっていた濃い群青の長衣の袖から両腕をさっと抜き、前を合わせていた鎖のついたピンを外して脱ぐと、エリスが何を言う間もなく肩からふわりとかけてきた。

 ぬくもりとともに、煎じ詰めた薬草のような香りがエリスを包み込む。


「首が寒そうだな、と。違いますか」

「違いません……」


(なんだか、落ち着いた。知らないひとのぬくもりだけど、この薬草の匂いかな)


「できればドレスは脱がないで。陛下は、自分の選んだドレスであなたが嫌そうな顔をしていたら、内心こたえるでしょう。あれで結構、繊細なんです。他に気になるところはありますか」


 見上げると、ファリスが微笑んでいた。

 肩の上で、艷やかな黒髪がさらりと滑る。


「今のところは」

「では行きましょう」


 ファリスは肩越しに軽く振り返り、ちらりと視線をくれてから歩き出す。

 エリスは胸の前で両手を交差させ、長衣をおさえながら後に続いた。


 すでに陽が落ちていて、廊下は暗い。


 ファリスの白いシャツを身に着けた背中が、灯りの乏しい闇に浮かぶ。

 身体の線がよくわからない長衣を脱いだせいで、実はとても均整の取れた長身であるのが知れた。細身なりに適度な厚みがあり、腰には剣。おそらく、彼もまたこの状態ですれ違えば、軽装の兵士に見えただろう。そのくらい、貧弱さとは無縁のしなやかな印象だ。動作が静かで、無駄がない。


「剣、使うんですね。魔導士なのに」


 アリエスは持っていただろうか。わからない。そもそも、魔導士のローブを脱いだ姿を見たことがない。


「持っているだけですよ」


 ファリスの返答は、ふわりとしていて、微かに笑いを含んでいた。


「魔法具ですか? 何かの魔法の媒介に……」


 興味本位で聞くと、再び立ち止まったファリスの背にぶつかりそうになった。


「魔法に、詳しいのですか」


 振り返らず、ひそやかな声で聞かれた。

 エリスは一瞬、息を止めた。

 ジークハルトといい、ファリスといい、気を抜くとすぐに探りを入れてくる。迂闊なことは言えない喉だが、それがそもそも魔法だと看破されてしまうのはあまり良くないだろう。


「詳しいわけではないです。むしろよくわかっていないんです。宮廷魔導士というのは……」

「そうですか。僕は魔導士としては、それほどでもないです。というより、特化型ですね」

「特化型?」


 初耳の言葉に聞き返すと、振り返らぬままファリスは淡々と言う。


「特定分野だけ突出していて、他は並以下です。たまにいるみたいですよ、そういう魔導士。僕はたまたま自分の適性に比較的早く行き当たりましたが……、そうでないといつまでも伸び悩むそうですね」


 そこまで言って、肩越しに振り返る。

 視線が絡む。唇には愛想の良い笑いを浮かべているくせに、目は冷え冷えとして笑っていない。


(……この人、本当は、この冷ややかな方が本性なんじゃないかな……?)


「適性はどうやってわかったんですか」


 息を殺して、尋ねる。

 視線を外すわけにはいかない。


「成り行き」


 短く答えてから、ファリスはふっと息を吐いて笑った。

 空気がゆるむ。

 くっくっく、と押し殺したような笑い声が耳に届く。

 そして、笑いの合間に独り言のようにすばやく言っていた。


「なかなか良いですね。そういう気の強さは良いんじゃないでしょうか」

「良いって……」


(今ので、いったい、何がわかったのかな?)


 何もかも見通すかのようなアリエスの側にいたのに、そのおこぼれほどの洞察力も身についていないのが悔しい。アリエスだったら、こんな魔導士に負けないのに。

 そう考えてから、エリスは(違う)と自分に言い聞かせる。


(今この場にはわたししかいないし、わたしだって魔導士だ。しっかりしなきゃ)


 その時、不意に声が響いた。真横から。


「なんの話をしてるんだ?」


 弾かれたように見たエリスの方はまったく見ずに、笑い転げるファリスに声をかける。


「い、いつから……!? 全然気配なかった……」


 わずかに身を引きながら言うと、ジークハルトは横目でちらりとだけ見て来た。

 昼間に見た時とは違い、凝った刺繍入りのシャツを着ている。少しだけ身分に相応しい見た目になっていた。


「どうして、ファリスの服を……?」


 訝しげに聞かれて、エリスは首を傾げた。遅れて、長衣のことと気付いて「寒くて」と言い添える。


「ごめんごめん。せっかくのドレス、似合っているか見たいよね」


 ファリスが笑いながら言ったが、エリスは咄嗟に長衣の合わせ目を掴んで力を込めて、奪われまいと死守した。


「寒いんです……!!」

「……ここより温暖な土地から来たのかな」


 エリスの主張を、ジークハルトはそのように納得したらしかった。

 ファリスもまた、奪い返すのは諦めてくれたらしく、すみやかに手を離す。


「陛下、どちらへ?」

「ああ、ちょっと出てた。食事は……まだなんだよな?」

「二人でどうぞ」

「いやべつに、そういうのは良い。ファリスもまだなら付き合え」


 恐ろしくあっさりとジークハルトに言われて、ファリスは閉口したようだが、エリスはほっとした。

 女官たちには悪いが、ジークハルトにその気はないのがよくわかった。

 流れで三人で連れ立って歩く。ジークハルトとファリスは何か世間話をはじめた。


 廊下は十分な広さがあったが、二人に挟まれる形になったことに気後れして、エリスは少し歩みを落として二人の後に続こうとした。二人とも気付いたようだったが、さりげなく視線をくれただけで、話を続けている。

 エリスは、すでにかなり疲れていたことを自覚した。


(お客様扱いしてくれているのはわかったけど。ごはん食べたら、寝たい)


 やがて目的地らしいドアの前にたどり着く。

 ファリスがドアに手をかけると「先に」とジークハルトが声をかけて促す。ファリスが部屋の中に入ってしまうと、ちらりとエリスを見て来た。


「手を」


 ぶっきらぼうに言われて、長衣の合わせ目を片手に持ち替えると、エリスは右手を差し出す。

 そこに、ぱらぱら、と何かを乗せられた。

 ほのかに色のついた、乳白色の小さな石のような……。


「外出たついでに拾ってきた。別になんの価値もないからな、それ」


 言うだけ言って、さっさと部屋の中へと入って行ってしまう。

 その背中を見送ってしまってから、エリスは再び手の中のそれに目を向けた。

 昼間、波間に見かけたときは何かわからず、拾おうとして命を落としかけた貝殻だった。

 室内から漏れる光にかざして、今一度よく見てみる。


 それは故国では見たことのない石のようで、小さくて、可愛らしい形をしていた。

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