第4話 姫君と伊達男、偽物

「やっぱり、おろしてください!! 自分で!! 歩けます!!」


 ジークハルトが数歩進むのを待たず、エリスは声を張り上げて手足をばたつかせた。

 本当は、心優しい騎士様が現れたら、素直に身を任せてお世話をされた方が「姫君」らしいのかと思ったけれど。

 エリスは姫君ではないし、歯の浮くような会話にも向いていないし、怪我もしていない。

 何やら助けてくれるらしいジークハルトを利用する気満々ではあったが、それとこれとは別、なのだった。


 状況も、一年前とは違う。

 記憶喪失設定だけど、記憶喪失ではない。大魔導士に声を呪われただけだ。

 そも、過程がどうであれ、エリスは本作戦において、あらかじめ将来の成功が約束されているのだ。

 こんなところで、無駄死にをするわけがない。

 その強い思いから親切を固辞したわけだが、あっさりとエリスを下したジークハルトも、明らかにほっとした表情をした。


「それならそれで俺も気が楽」


 エリスと目が合うと、小さく噴き出してから付け足した。


「ごめんなさい、俺、あんまり女の人得意じゃなくて。だけど、入水自殺っぽい人さすがに放っておけないし。どうしようかと思って。女の人得意な知り合いの、真似をしたんだ」

「それはなんという、無茶を」

「無茶。そうなんだよ。いや、ですよ。ですよ? もうよくわかんないな。女の人怖がらせちゃいけないって、それだけ考えてたから。はー……疲れた」


 解放感からか、ひたすら明るく早口にまくしたてるジークハルト。

 エリスもつられて笑みをこぼした。


「そうだったんですね。疲れさせてごめんなさい。わたしもわたしで、こう、……姫って言われるから姫なのかなって思って姫らしくしようかと思ったんですけど、姫ってどんな感じですかね?」


 掛け値なしの本音であったが、ジークハルトにはいささか気の毒そうな顔をされてしまう。


「ものすごい記憶の壊れ方してるみたいですけど、本当に大丈夫ですか?」

「あははは。身体は大丈夫みたいです」

「そう?」


 言いつつ、ジークハルトが靴を揃えておいてくれたので、もうどうにでもなれとばかりに靴下で足の水を拭きとってから、裸足の足をブーツに押し込む。


「俺あんまり服飾関係詳しくないんだけど、服とか靴調べたら身元がわかるのかな。それと、その本は?」


(鋭いのは鋭いんだなぁ)


 伊達男が演技とはいえ、如才ない本人の素質そのものは変わらないのだから、当たり前なのだが。

 エリスは一瞬ためらったが、その場で開いて見せた。


「何も書いてません」

「ほんとだ」


 最初のページを見せてから、ぱらぱらと最後まで見せると、貸してくれとも言わずにその話を終えて、歩き出した。

 砂浜を進むと、草のまばらに生えた地面となり、その向こうには切り立った崖があった。ジークハルトはそちらを目指しているようだ。


 風が吹いて、ジークハルトの柔らかそうな髪がなびく。

 反面、濡れてしまったシャツは身体にぴたりと張り付いている。意外に肩幅が広く、童顔の印象に惑わされていたが、身体にもしっかりとした厚みがある。力の強さも頷けようというものだった。


「ジークハルト様は、どこからいらしたんですか」


 半歩遅れて歩きながらエリスが尋ねると、「様はいりません」と言ってから、ジークハルトは崖の上の方に目を向けた。


「あそこからです。見張りについていたので。でも、残念ながらあなたがいつからあの浜辺にいたのかはわかりません。不覚ですが、見逃しました。ただ……この浜辺は滅多なことでは迷いこめないはずなので、もしあなたがどこかから来たのだとすれば、海くらいしか思いつかないんですよね。しかし漂流したにしては身なりがお綺麗だ。そのわけを、さっきからずっと考えているんですけど」


(お師匠様~~~~~~~~~~!!)


 設定、雑。

 ものすごい早さで正解に近づかれている。

 心の中で師匠に対して溢れる思いぶつけまくりつつ、エリスは表面上は曖昧に笑うに留めた。


「まぁ、このへんにしておきましょう。先程のようにあなたを脅かすのは本意ではありません。声が出なかったのは、本当のようですし」


 すらすらと淀みなく言われて、エリスはジークハルトの観察力の確かさに唸りそうであった。

 そのままあるき続けて、崖のふもとで曲がると、薄暗い洞窟となっており、細い道が奥へと続いていた。向こう岸との間には、海へと流れ込む川が横たわっている。


「ここは……?」


 洞窟の奥の方に光が見えるので、どこかには通じているのだろう。それどころか、土肌も綺麗にならされて壁となり、道なりに灯りが燈されている。

 ジークハルトはわずかに表情をくもらせ、言った。


「あまり詮索しない方が良いかと……言いたいところだけど、まあいいや。ここ、王宮に通じてるんです」

「だから、警備ですか」

「そういうことですね」


 道もきちんと整えられていて、歩くに申し分ない。


(詮索しない方がということは、抜け道とか裏道とか……王宮の機密に関わる場所なのかな)


 お師匠様、控えめにいってふざけるなです。

 再び、ふつふつと師匠に対する怨念が湧き出してくる。

 辛うじてのドレス効果と記憶喪失設定のおかげで、曲者扱いこそ受けていないが、ジークハルトにはおおいに疑われている気配がある。それはそうだ。そうなのだが。

 同時に、ジークハルトは親切で善良そうであり、エリスに対しての礼儀は申し分ない。

 しかも、王宮に連れていってくれるという。

 任務に対しての最短ルートであるのは間違いない。


「ジークハルトさんは、王宮の兵士なんですよね」


 騎士団長って、どんな方ですか。

 聞こうと思ったが、記憶喪失設定違反らしく、声が出なかった。


「そうそう」

「王宮の兵士って、木剣なんですか?」

「いや。俺だけだよ」


 反応に困る回答だ。

 エリスの躊躇いを感じ取ったらしく、先を歩いていたジークハルトが肩越しに視線をくれる。


「俺は、むやみに殺したくないんだ。だから、これは特別。いざとなったら、力押しで相手を戦闘不能にするし、十人ひとまとめでも負けないから、って」

「話だけ聞くと、ジークハルトさん滅茶苦茶強いひとみたいですね」


 しん……と一瞬で静寂が訪れた。

 歩みは止めていないが、気のせいではなく、長い沈黙があった。


「すみません……失礼なこと言い過ぎました」


 自分の発言を振り返り、エリスは素直に謝罪する。


「いや。気にしていない」


 という割には、そっけない口調だった。

 何せ育ての親が、口が悪くて。悪すぎて。言い訳がぐるぐると脳裏をめぐるが、言葉にするのはぐっと堪える。どうせ、声も出なかっただろうけど。


(人のせいにしてる場合じゃないな……)


 失言をしたのはエリス自身なのだから。


「沈黙が気まずいのです」


 重ねて正直に告げる。

 返事はなかった。だが、よく見ると、肩が細かく震えている。泣かせるほどの破壊力があったとは思わないのだが。まさか。


「ジークハルトさん?」


 小走りに追い越して、前に回り込んで顔を見上げる。

 まさにそのとき、ジークハルトは「くっくっく」と堪えきれない笑い声をもらしたところだった。


「笑うとは!?」

「あ、いや、あはは、ごめん。ちょっと面白くて」

「笑うほど!? 何がですか」


 問い詰められて、笑いをおさめたジークハルトは、片目を細めて唇の端を釣り上げた。


「さあ。姫君が焦っておいでのところでしょうか」


 これはまた、悪人だ。

 呆然としたエリスを面白そうに見てくる。悪人すぎる。間違いない。


(だいたい、姫君だなんて思ってもいないでしょうに……)


 エリスの無言に怒りを感じたのか、ジークハルトは「ごめん」と気安い調子で謝罪した。エリスは苦虫を何匹も噛み潰して微笑んだ。


「謝らないでください。失言には失言ということで、お互いの過ちを滅ぼし合ったのだと理解しております」

「顔。すごい怒ってる」

「笑ってますけど?」


 何やら顔の筋肉は抵抗しているが、ねじ伏せるように笑うと、ジークハルトもまたにこりと笑った。


「それじゃ、行きますか。まずは着替えて……細かい手続き、誰かに任せておこうかと思ったけど、俺が担当する」


 誰かに任せていただいても構いませんけど、という言葉をエリスはかろうじて飲み込んだ。

 一兵卒の権限や自由度がずいぶん大きい国なのだな、とは、ちらりと考えた。

 

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