エピローグ
エピローグ
パリ、オペラ座の地下には音楽の才能を持つ怪人が潜んでいる。
オペラ歌手、クリスティーヌは今日もまた、闇から囁かれる怪人の音色に耳を傾けた。まるで催眠術にかけられたみたいに、クリスティーヌは怪人の闇に引き寄せられる……
――愛するクリスティーヌ。私のために歌っておくれ。そしてお前は永久に私のものになるのだ――
(オペラ座の怪人/ガストンルルー)
*
6月15日(Mon)午後10時40分
数十分前まで降っていた雨のせいだろう、石畳の表面が濡れている。石畳の通路の左右には夜露に濡れた紫陽花が咲き乱れていた。
ファントムは濡れた石畳の上を歩いて屋敷の前で立ち止まる。数秒後に扉が開いた。
『やぁ、ファントム。久しぶり』
開いた重厚な扉からファントムを出迎えたのはスパイダー。この屋敷の出入りを許されている限られた存在の同士だ。
『スパイダー。元気そうだね。これ、土産だ』
『どうも。キングとクイーンがお待ちかねだよ』
ファントムに手渡された紙袋を受け取ったスパイダーが目線を室内に向ける。広い玄関で靴からスリッパに履き替えたファントムとスパイダーは磨かれた廊下を連れ立って歩いた。
『スコーピオンとケルベロスは?』
『残念ながら二人とも不在さ。あの二人は何かと忙しい人達だからね』
『相変わらず君はのんびりしているね』
『僕が忙しく動き回るのはこの手だけだ』
廊下の先にチョコレート色の両開き扉が現れた。スパイダーがその扉を開ける。
控えめなシャンデリアが煌めく厳かな雰囲気の室内には中央に大きなアンティーク調のソファーセットがある。
ソファーには貴嶋佑聖と寺沢莉央が並んで座っていた。ファントムは二人に丁重に頭を下げる。
『ご無沙汰しています。キング、クイーン』
『君と会うのは1年振りだね。最近は特に忙しそうじゃないか』
『お陰様で。仕事が一段落したので少しの間ですがゆっくり休めそうです』
ファントムは貴嶋と莉央の向かいのソファーに腰を降ろした。
『ファントムから手土産にワインをもらいましたよ』
スパイダーが手にする紙袋を掲げる。それに反応したのは莉央だ。品よく立ち上がった莉央のフレアスカートがふわりと揺れた。
「ファントム、ありがとう。さっそく頂きましょう」
莉央とスパイダーがキッチンに姿を消す。ファントムはキッチンに向かう莉央の後ろ姿を目で追っていた。
広間には貴嶋とファントムの二人だけになる。
『君に会うのは1年振りでもそんな気がしないのはいつもテレビで観ているからかな。君の出演作は欠かさず観ているよ』
『それは光栄です。冬には舞台をやりますのでご招待します。ぜひクイーンとご一緒に』
『ああ。行かせてもらうよ』
広間に莉央とスパイダーが戻ってきた。莉央はトレーに載せたチーズとドライフルーツを、スパイダーが四人分のワイングラスを運んでくる。
四人のグラスにワインが注がれた。
『そういえば……あの早河とか言う探偵の存在を僕に黙っていたなんてキングも人が悪いですね』
『ははっ。早河くんか。なかなか面白い男だろう?』
『キングは僕の計画に早河探偵が絡んでくることまでお見通しだったんですか?』
貴嶋は悠然とチーズを口に入れた。どんな時でも彼は自分のペースを崩さない。主な会話をしているのは貴嶋とファントム、莉央とスパイダーはワインの味を堪能していた。
『いくつかのパターンをシミュレーションした結果、本庄玲夏が早河くんを頼るパターンも考えてはいたよ。誤解しないでもらいたいが、君の崇高なシナリオの邪魔をするつもりはなかった』
『それはわかっています。僕としても今回は駄作でした。クリスティーヌがミスキャストでしたので』
貴嶋の隣で微笑する莉央にファントムの視線が移る。ファントムの莉央を見つめる眼差しの意味に貴嶋は気付いているのか、いないのか。
『クイーンのような完璧な女性が側にいてキングが羨ましいですよ。僕も早く僕だけのクリスティーヌを見つけ出さなければいけませんね。カオスのファントムの名に釣り合うクリスティーヌを』
『クリスティーヌか。しかしファントムとは君の本職を考えてもこれ以上に相応しい名前はないね』
『オペラ座の怪人ですからね。今回のシナリオ、クリスティーヌ以外の配役は悪くなかったんです。僕のシナリオを台無しにした栄誉を讃えて早河探偵には助演男優賞を差し上げたいですね』
犯罪組織カオスのファントム、黒崎来人は形のいい唇を上げて妖しく微笑んだ。
早河シリーズ 第四幕 紫陽花 END
→あとがきに続く
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