~黎明の雨~ 最終章

 ――真実は時に美しく、時に残酷だ。真実に辿り着いた私は自分でも笑ってしまうくらいに、その真実を受け入れることができなかった。嘘だ、嘘だ、と何度も叫んだ。

これはきっと悪い夢。朝になれば消えて忘れる儚い悪夢――


 神戸港の闇にそびえ立つポートタワーを見つめて白峰柚希はある人を待っていた。闇を切り裂く鋭い雨が彼女の赤い傘に容赦なく降りかかる。水溜まりを弾く音で彼女は振り向いた。


「よかった。来てくれないんじゃないかって思ってたの」

『話って何だ?』


雨の音に混ざって、彼の低く、絞り出したような重たい声が神戸港に響く。柚希は微笑して視線を落とした。雨に濡れた地面にポートタワーの赤い光が映り込んでいる。


「私ね、ずっと若菜が嫌いだった。私よりも親に可愛いがられて甘やかされて育ったあの子はワガママで人にかしずかれるのが好きなお姫様。私はあの子の召し使い」


柚希の話を彼は黙って聞いている。


「でも殺したいとは思わなかった。妹だから。両親だってそう。あんな親、居なくなればいいと思っていたのに現実に居なくなられたら……。不思議なものね。若菜と両親を殺した犯人を見つけて同じように殺してやりたいだなんて、そんなこと思ったりして」


 柚希は彼を……遠山恭吾を見据えた。恭吾の表情は雨粒で霞んでよく見えない。


「若菜と両親がなぜ殺されたのか散々考えた。事件を調べていくうちに父の過去に辿り着いたわ。そして叔父に教えてもらった。外科医の父が過去に何をしたのかを……」


柚希は恭吾の様子を窺う。暗闇に浮かぶ彼は怖いくらいに無表情だった。


 どうしてこんなことになった? 誰を責めれば救われる?


「15年前、父は手術中に医療ミスを犯してある患者を死なせてしまった。そしてそれを隠蔽した。患者の名前は伊藤雄一さん……離婚して今のあなたは母方の遠山姓だけど、伊藤さんは恭吾、あなたの父親なのよね?」

『ああ、そうだよ柚希。お前の父親に俺の父さんは殺されたんだ』

「あなたの目的は父への復讐?」


 柚希の問いに恭吾は頷いた。傘を差していない彼の身体は雨に打たれ、濡れた髪から雫が落ちる。

恭吾が拳銃の銃口を柚希に向けた。


「私も殺すの?」


柚希の言葉は震えている。恭吾は何も答えず彼女を見ていた。


「私を殺してあなたが楽になるのなら、殺してよ。……それが出来ないのならすべて嘘だと言って……?」


 傘を投げ捨てて柚希は恭吾に歩み寄る。傘のない柚希に降り注ぐ雨が彼女の頬を濡らした。

柚希の頬を濡らすのは雨だけではない。


「全部、夢ならいいのに。若菜と両親が殺されたことも、あなたが犯人だってことも、私があなたを愛したことも」


柚希のハイヒールがパシャりと水を弾いて止まった。彼女は恭吾へ手を伸ばす。


『嘘でも夢でもない。お前の親と妹は俺が殺した。父さんの復讐のために。でも……』


 恭吾は伸ばされた柚希の手を掴んで引き寄せた。二人の身体が触れ合って視線が絡む。


目の前にいるのは妹と両親を殺した男。

彼女が愛した、男。

愛してはいけない男を彼女は愛してしまった。


『俺が柚希を愛したことも嘘じゃない』


愛してはいけない女を彼は愛してしまった。

恭吾の手から拳銃が滑り落ち、彼は柚希を両手で抱き締めた。


「恭吾……」


 彼の名を呼び、ぬくもりを求めて。どこにも行けない感情を抱え、キスを交わして強く抱き合う。


 天から降る雨の涙が、二人の姿を隠した。



                 Fin.

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