2‐3

   ――神戸――


 宿泊先のメリケンパーク近くのホテルに到着して早々、なぎさはスタッフ達と撮影場所の確認をしたり、玲夏の衣装チェックの仕事に追われた。マネージャーの沙織がいない今日は玲夏に関するすべての仕事を請け負うことになる。正直、今は潜入調査どころではない。


役者達の衣装はホテルの一室を衣装部屋にして管理している。この衣装部屋からスタイリストが衣装を選んでロケバスに乗せる。

ところ狭しと置かれたハンガーラックには役者達の衣装がずらりと並んでいる。なぎさは玲夏の衣装に不備がないか確認をしていた。


 確認も終盤に差し掛かった頃に一ノ瀬蓮が部屋に入ってきた。役者達は撮影開始時刻までは各自の割り当てられた部屋で待機のはず。彼がこんな場所に来るのは不自然だ。


「どうされたんですか?」

『新幹線の中で乃愛と話していたよな』

「……はい。席が同じだったので」


ハンガーラック越しに二人は向かい合う。蓮の表情に笑顔はなく、初対面の時の軽いノリも消えている。少し怖いと感じる凄みさえあった。


『乃愛のこと、どう思った?』

「どうって、テレビで見るイメージ通りの子でした。優しくて素直で……」

『優しくて素直ねぇ。なぎさちゃん、一応は探偵の助手だろ?』

「そうですけど、それがなにか?」


 大袈裟に溜息をつかれて少々頭に来たなぎさは語気を強めていた。蓮がハンガーラックに手をかけてラックのキャスターを転がすと、二人の間の隔たりが無くなった。


『君がここにいる理由は?』

「玲夏さんと事務所に嫌がらせをしている犯人を見つけることです」

『じゃあもっと周りを警戒した方がいい。たとえば今の状況とか』


一歩ずつ、蓮がなぎさに近付いてくる。なぎさは蓮の迫力に気圧されて後ずさった。


「一ノ瀬さん、どうしちゃったんですか?」

『もし、俺が君の敵ならどうする? なぎさちゃんは俺が容疑者リストに入っていないことに安心して俺には隙だらけだ』


(一ノ瀬蓮が敵? まさか……)


 壁際まで追いやられ、もう一歩も下がれない。靴のかかとが壁に当たった。

蓮は無表情で口元だけが笑っている。


『もし俺が嫌がらせの犯人だったら? もし玲夏を憎んでいたら? 俺は君の正体を知ってる。邪魔な君を追い出すためには手段は選ばない。他人に見せている表面上の顔だけでは中身はわからない。もっと裏側を読まないとダメだよ?』

「それは……わかっています」


蓮は片手を壁につき、怯えるなぎさの顔を見下ろした。彼の端整な顔がすぐ近くにあり、そんなことを考えている場合ではないとわかっていても、格好いいなどと思って頬を赤らめてしまう。


『……ま、俺が敵だって言うのは冗談』

「えっ?」

『俺が敵なわけないだろー? 本気にした?』

「全部、演技だったんですか……?」

『ははっ。これでも俳優だよ?』

「……びっくりさせないでください! 本当に……怖かったんですからっ!」


 さっきの蓮にはなぎさが本気で身の危険を感じるほどのオーラがあった。さすがの演技力だ。日本アカデミー賞主演男優賞の名誉は伊達じゃない。


 ニッと口元を上げた蓮はなぎさの頭に手を置いて二度撫でた。


『ごめんね。あまりにも君が危なっかしくて。すぐ人に騙されそうだからちょっとお灸据えておこうと思ってね』


それは早河にもたびたび指摘される点だ。早河の助手になる前よりは人間的に成長できていると思いたいが、周りから見ればまだまだ頼りなげに見えるのかもしれない。


『ここからが本題。乃愛には気を付けろよ』

「どうしてですか?」

『これは俺の勘だけど、乃愛は玲夏を嫌ってる』

「玲夏さんを? でも新幹線で乃愛ちゃんとお話した時には、乃愛ちゃんは玲夏さんに憧れてるって言っていましたよ。玲夏さんと色違いのポーチも嬉しそうに持っていました」


憧れの玲夏と同じドラマに出演できて嬉しいと乃愛は笑顔で語っていた。彼女が玲夏を嫌っているようには見えなかった。


 蓮は肩をすくめた。笑顔を封印した彼はまた無表情だ。


『玲夏に憧れてるのは本当だろう。だからこそ、乃愛は玲夏の真似をしたがる。ポーチだけじゃない。アイツは玲夏の持ち物はなんでもお揃いにしたがるんだ。あと、乃愛の演技を見ればわかるが、セリフの言い回しや表情の使い方も玲夏の演技を真似てる』


(演技って言われても……。プロが見るとそう見えるのかなぁ)


「玲夏さんの演技を参考にしてるからでは……。むしろそうやって玲夏さんを真似るのは彼女を慕っているように思えますよ?」

『最初は純粋に玲夏を慕っていても、それが悪意ある方に変わったら?』

「悪意ある方?」

『玲夏の真似をする乃愛は俺が欲しいんだよ』


なぎさの脳内では壮大な人物相関図が描かれ、一ノ瀬蓮と本庄玲夏と沢木乃愛が線で結ばれる。


「えーっと……一ノ瀬さんと玲夏さんってもしかして、付き合ってたりします?」

『その解釈は残念ながらハズレ。けど、俺の側には玲夏がいて、玲夏の側には俺がいる。乃愛は何を勘違いしたか知らないが、玲夏を真似るために俺を手に入れたいらしい。俺を手に入れれば玲夏になれるとでも思ったのかもな』


まだなぎさの頭にはクエスチョンマークがうろついている。情報過多でついていけない。


『別に自意識過剰で言ってるんじゃないからな。最近になって乃愛は玲夏を真似るためではなく本気で俺に惚れてきた』

「あの、私の中で微妙な三角関係が出来上がっているんですが……。乃愛ちゃんは最初は玲夏さんを真似るために一ノ瀬さんに接近したのに今は一ノ瀬さんに本気で恋をしちゃったってことでOKですか?」

『OK、OK。俺は乃愛とは付き合う気はないからずっとはぐらかし続けてるんだ。でも乃愛は俺が乃愛と付き合わないのは玲夏のせいだと思ってる』


 蓮はなぎさの隣に並び、壁に背をつけた。綺麗に整った横顔から見える長い睫毛、よく笑う口元は閉じていても形がいい。


見た目だけではなく蓮は性格も優しく、彼を好きになってしまう女の子の気持ちはわかる。

なぎさもファンとしてなら芸能人では一ノ瀬蓮が断トツで好きだ。蓮が過去に出した写真集はすべて保有しているとは本人を前にしては言えないが。


『乃愛は表面上はふわふわとして可愛いけど本当は思い込みが強くて自分が一番じゃないと気が済まない、根は速水杏里とタイプが似てる。だから乃愛の上辺に騙されるなよ』

「はぁ……。乃愛ちゃんが玲夏さんを嫌ってるって言うのも、そういうことなんですね」

『まぁ全部俺のせいなんだよな』


今度の彼の溜息は何に向けての溜息だろう?


「失礼を承知でお聞きしますが、一ノ瀬さんが乃愛ちゃんを拒むのは何故ですか? 確かに好みはありますし、好意を寄せてもらっても付き合えない場合はありますけど……」


 蓮は間を置いて天井を見上げた。憂いを含んだ横顔が切なく映る。聞いてはいけないことだった気がして後悔した。


「ごめんなさい、立ち入ったことを……」

『好きな女がいるんだ。だから乃愛とは付き合えない。乃愛が本気なら余計にね。納得いく理由だろ?』


哀しげな微笑を浮かべる彼のこの顔は演技ではない。何故か胸が痛くなる。


『それと、社長の話では今夜から助っ人が来るってさ。潜入調査も少しは楽になるかもな』

「助っ人? 私はそんな話は聞いていませんが……」

『なぎさちゃんの上司ってよっぽど心配性なんだな。あ、過保護とも言うか』


哀しげな笑みは消え去り、今では見慣れた調子のいい蓮の笑顔が眩しい。表情がコロコロと変わる男だ。


『そういうことだから。またねー』


 嵐が去った後のような静かな部屋で、なぎさは呆然と立ち尽くしていた。

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