1-2
応接室で早河と玲夏は向かい合って座った。
「あの子が香道さんの妹さん?」
『そうだ』
「真紀から香道さんの妹さんがあなたの助手になったとは聞いていたけど……本当だったのね」
玲夏はテーブルに置かれた白地に青文字のロゴが入る煙草の箱を見ると微笑する。早河はくわえた煙草に火をつけた。
「ふぅん。相変わらずこの煙草なんだ。変わらないね」
『たった2年じゃ人の好みは変わらないだろ』
「たった2年、か」
彼女は早河の煙草の箱を手に取って懐かしげに眺めていた。
『今やってるドラマ観てるぞ。まさかお前が刑事役をやるなんてな』
「ありがとう。私も自分が刑事役を演じる日が来るなんて思わなかった。役にリアリティーを持たせたかったから役作りの為に真紀に拳銃の構えや刑事について色々と教えてもらったの。最後は真紀の愚痴を聞くはめになったけどね」
『それは災難だったな。でもなかなか様になってた』
「元刑事さんにお褒めいただいて光栄です」
なぎさがトレーにコーヒーと紅茶のカップを載せて応接室に運んできた。玲夏と早河の前にそれぞれカップを置いて応接室を出ようとした彼女を玲夏が引き留める。
「女性のあなたにも聞いてもらいたいの。ね、彼女も一緒にいいでしょう?」
『玲夏がそれでいいなら俺は構わない。なぎさ、隣に座れ』
早河が自分の隣を指差してなぎさを呼ぶ。なぎさは早河と玲夏を交互に見て躊躇いがちに早河の隣に腰を降ろした。
(本庄玲夏、実物はやっぱり綺麗……)
今春の火曜22時から放送している玲夏主演の刑事ドラマをなぎさは欠かさず視聴している。玲夏がファッション雑誌の専属モデルをしていた時代から本庄玲夏のファンだった。
テレビや雑誌でしか見たことのない女優が目の前にいるこの状況が信じられない。夢を見ているみたいだ。
『玲夏とは昔からの知り合いなんだ』
「そうなんですか……」
早河の説明は曖昧で漠然としていた。昔からの知り合いと言われても、明らかにただの知り合い程度の仲ではなさそうだ。
『それで何があった?』
「うん……まずはこれを見て」
玲夏は輪ゴムで留めた封筒の束を早河に渡す。彼は束を受け取ると封筒の枚数を数えた。全部で20通あるそれは横長のハガキサイズの白い封筒だった。
「上から古い日付順に並んでいるから順番に見ていって」
早河は玲夏に言われた通り輪ゴムを外して束の一番上の封筒を取った。宛先は玲夏のファンレターの送り先として公表されている玲夏の所属する芸能事務所の本庄玲夏宛。
消印は5月8日。東京都内から投函されたものだ。差出人の名前はない。
封筒から折り畳まれた便箋を出して広げた。便箋をなぎさにも見えるようにして早河は中身を黙読する。便箋には玲夏への愛の言葉がわざと書体を崩したような癖のある文字で綴られていた。
愛する玲夏へ、その一文で始まりひたすら玲夏への愛の言葉が並ぶ手紙になぎさは薄気味悪さを感じた。
『ずいぶん過激なファンレターだな』
「そうね。最初の方はちょっと行き過ぎたラブレターみたいなものかな」
手紙を送られた張本人の玲夏は平然と紅茶を飲んでいる。早河は封筒の束に手を伸ばして2通目、3通目枚と手紙を読み進めた。
『3通目までは見たところ差出人は同じ人物だな。昔からこの手の手紙は山ほど貰ってたよな』
「まぁね。問題なのは最後の2通なのよ」
玲夏は封筒の束の後ろから数えて2番目と最後の封筒を早河に差し出した。早河はまず最後から2番目の封筒から開く。
消印は5月26日、先週の火曜日だ。
これまでと同じ崩れた書体で書かれた文字は一言だけ。
――〈殺してやる〉
早河は無言で便箋を置き、最後の1通を開く。20通ある手紙の20番目の封筒の消印は6月1日。最後の手紙にはこう綴られていた。
――〈殺しにいく〉
たった一言の殺害予告にゾワリと鳥肌の立つ増悪を感じる。
『警察には行ったのか?』
「真紀には手紙のことは話してあるけど……他の事件の捜査もあって真紀に無理を言うのも申し訳なくて。ほら、1週間前に明鏡大学の先生が殺された事件あったでしょ? 真紀はあの事件の捜査をしているらしいの」
『ああ…あの明鏡大のか。確かに今の捜査一課はあの事件にかかりきりだな』
1週間前の5月28日、都内の私立大学、
早河の元上司である警視庁捜査一課の上野警部はその殺人事件の捜査担当をしている。上野の部下の小山真紀が捜査で忙しいのは当然だろう。(※第五幕【揚羽蝶】)
「便箋に指紋や差出人の痕跡が残っていれば鑑定が可能か相談してみるとは言ってくれたけど、これだけでは警察は動いてくれない」
『そうだな。決定的な被害でもないと警察が本格的な捜査をすることはない』
「何か起きてからでは遅いのにね」
早河は封筒の山を数秒見下ろし、小さく息を吐いた。
『玲夏はこの手紙の差出人が誰かを俺に突き止めてほしいんだな?』
「そう。やっぱり気味が悪いのよ。社長は
『わかった。引き受ける』
早河は玲夏の依頼を快諾した。玲夏は安堵の表情で力が抜けた身体をソファーに預ける。
「よかった。引き受けてくれて」
『お前が困ってるなら助けるのは当然だ』
なぎさが便箋を戻した封筒の束を玲夏に返そうとしたが、玲夏はそちらで預かってくれと言って受け取りを拒否した。
『でもどうして俺なんだ? 探偵なら他に大手の探偵事務所がいくらでもあるだろ』
「社長があなたが一番信用できるって言うから」
『あの吉岡さんがねぇ。俺はあの人には嫌われてるものだと思ってたが』
「社長はあれでもあなたのことは認めてるの。見ず知らずの探偵に頼んでどこかに情報が漏れると厄介でしょ。女優にとってスキャンダルは命取りになるからね」
『俺なら安心ってことか』
「そういうこと」
早河と玲夏の気心の知れたやりとりをなぎさは黙って見ているしかなかった。
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