4-7
8月26日(Wed)午後3時
明鏡大学14号館会議室でミステリー研究会前期最後の会合が行われた。会長の松田を含む4年生のメンバーはこの会合を最後にサークルを引退する。
会長の松田が引退の挨拶をし、3年生の橋本に会長が引き継がれた。
『今夜6時に渋谷駅集合なので参加する人は遅れないでくださいよー。4年生と過ごす最後の夜ですよー! 飲んで食べて無礼講しまくりましょー』
新しくミステリー研究会の会長に就任した橋本が今夜の飲み会の予定を告げると会議室が賑やかになった。
今夜は渋谷駅近くの居酒屋を貸しきって松田達、4年生の送別会がある。もちろん美月も参加予定だ。
会合が終わり、松田はこの後の段取りを橋本新会長と話している。会議室を出た美月は四階の吹き抜けの回廊で彼を待っていた。
昨夜、松田から連絡があり会合後にここで待っていてくれと言われた。
『遅くなってごめん』
廊下を歩いてきた松田が美月の隣に並ぶ。松田と会うのはサークルのミステリーイベント以来。緊張と照れ臭さのある再会だった。
『橋本の話がなかなか終わらなくてさ。俺は早く美月のところに行きたいのに、どうしてあいつの長話に付き合わないといけないんだ』
長話に付き合わされたことにぶつくさと愚痴を言っても、松田の顔は嬉しそうだった。1年間、サークルのリーダーとして会員の先頭に立っていた彼は重責から解放されて安堵しているように見えた。
「橋本先輩は松田先輩が引退するから寂しいんですよ」
『美月も寂しがってくれる?』
熱っぽさのある松田の眼差しを美月は受け止める。そらしてはいけない、背けてはいけない。
「寂しいですよ」
本心だった。心の誤魔化しはもうしない。
松田は吹き抜けの手すりに腕を預けて吹き抜けから一階にいる学生達を見下ろした。
『俺も寂しいよ。引退すればもう美月と会う機会もなくなる。……亮くんから聞いた。彼氏と喧嘩したんだって?』
彼が本題を持ち出した。美月は小さく頷く。
「あんなに大きい喧嘩は初めてしました」
『俺とのこと話して彼氏の本音聞いて、彼氏の家飛び出したんだろ? ハチャメチャだなぁ』
「もう。隼人ってばなんでも亮くんに話すんだからっ」
美月は手すりに乗せた腕に顎を置いて口を尖らせた。松田にとっては美月の拗ねた表情も可愛らしく思える。
『でも結局は仲直りしたんだろ?』
「……はい」
『そうかそうか。喧嘩したって聞いたから別れて俺のところに来てくれるかもって少しは期待したんだけど』
「ごめんなさい……」
『冗談だよ。素直だなー。美月のそういうとこが好きなんだよ』
悲しげな顔をする美月の頭を彼はくしゃっと撫でた。美月は溜息をついている。
『彼氏の本音がわかっても意外とすっきりした顔には見えないな』
「聞きたいことは聞けたのですっきりはしました。ただ……このままでは終わらないような……そんな気がして」
言い終えた美月の目が大きく見開き、彼女は「あっ」と声を漏らした。
『どうした?』
怪訝に思った松田が話しかけても美月には彼の声は届かない。美月は何か、予想外のものを見た時のような、驚愕の表情をしている。
「先輩、ごめんなさい。私ここで失礼します。今夜の飲み会には行きますからまたその時に」
『え? おい……』
困惑する松田に早口で告げて美月はゆるやかにカーブする回廊を駆け出した。
美月と松田がいた吹き抜けの回廊は南側と北側で分かれている。彼女は回廊のカーブを曲がって今までいた南側から北側の回廊に入った。
ここに先ほど現れた人物……遠目だったが、回廊の反対側から美月を見据えていた人物に見覚えがあった。
(一瞬だったけどあの人は……)
ドクンドクンと心臓が緊張の脈打ちをしている。足も震えて上手く進めない。
北側の回廊からは十字路の廊下が伸びている。その人物の姿はすでにない。十字路の廊下のどこかを通って行ったはずだ。
(何やってるんだろう。こんなところにあの人がいるはずないのに)
回廊から十字路を見回して立ち尽くす美月の肩に大きな手が触れた。彼女はビクッと肩を揺らして振り向いた。
「……松田先輩っ! どうして……」
『どうしてじゃないだろ。いきなり走り出したかと思えば今度はそんな忍び足で廊下の様子窺って……ただ事じゃないオーラ出まくり』
美月を追ってきた松田が十字路に目を向けた。
『誰を見つけて追いかけてるのか知らないけど、頼むから危険なことには首突っ込まないでくれよ。心配になる』
「ごめんなさい。たぶん……私の勘違いです」
(きっと気のせい。こんなところにいるはずない。いるはず……)
足音が近付いてくる。あの人物の象徴である優雅な歩調の足音が少しずつ大きくなって近付いてくる。
『私を追いかけて来たのだろう?』
足音が廊下と回廊の狭間で鳴り止んだ。
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