4-6
隼人の自宅を飛び出した美月は階段を駆け降りた。サンダルのヒールが段差に引っ掛かって何度もつまずきかける。
――“じゃあ美月はどうなんだよ”――
痛いところを突かれた。
隼人が好きなのに心の一番奥にはまだ佐藤がいて、
隼人が好きなのに松田の優しさに甘えて、
隼人が好きなのに隼人を信じられなかった。
隼人を責める資格なんて最初からないのに自分だけ被害者ぶって悲劇のヒロインを気取っていた。
(私達、もうダメなのかな……)
階段を降りてマンションの一階に辿り着く。エレベーターホールに出た美月は足を止めた。
『俺の方が速かったな』
エントランスで隼人が待っていた。彼は腕組みをして
「……なんで?」
『エレベーター動いてなかったし、階段降りる音聞こえたから』
「エレベーターで先回りしたの?」
『そう。このマンションの住人は滅多に階段使わねぇから、あの時間に階段駆け降りていく奴は美月しかいないと思って。待ち伏せ』
じっと隼人を睨み付ける美月に構わず、隼人は憎らしいくらいに余裕の笑みを見せた。その余裕綽々な態度が癪に障って腹立たしい。
「……ムカつく」
『ムカつくのはお互い様だろ』
「偉そう! 俺様! ドS! 馬鹿! アホ!」
『悪口は帰ってから聞く』
彼は精一杯の抵抗を見せる美月の腕を軽々と掴んでエレベーターまで引っ張った。無言のエレベーターの中でも隼人は美月の腕を掴んだまま離さない。
「どうして? ……どうして待ってたのよ……」
美月の小さな呟きも隼人には聞こえているのに彼は答えない。彼は黙ってエレベーターの液晶パネルの表示を見ていた。その横顔は無表情で何を考えているのか読み取れない。
(追いかけて待ち伏せしたりして。リオさんが好きなくせになんでこんなことするの?)
エレベーターを降りて通路を歩き再び隼人の自宅へ。玄関を入ると靴も脱がずに隼人は美月を抱き締めた。
『ごめん。美月を不安にさせちまって……ごめんな』
少し湿り気のある隼人の髪が美月の肩に触れる。隼人の体温、隼人の香り、隼人の声、隼人の腕の中。ここが一番、安心する。
『俺が寺沢莉央に惚れてるのは事実だ。でもそれは美月と別れてあいつと付き合いたいとか、そういう気持ちじゃない。勝手だって思われるだろうけど、俺には美月が必要なんだ』
「う……隼人……ごめんなさい。ごめんなさい……」
大粒の涙を流す美月を彼は優しく強く、腕の中に閉じ込めた。
『お前が浮気したのはショックだけど俺だって……白状すると俺も一度だけ寺沢莉央とキスした。ごめん』
「バカ! バカバカバカッ! 自分だって浮気してるじゃない! 隼人のアホ! 浮気者! 女たらし!」
『……美月の小学生みたいな悪口、けっこう攻撃力高いよな……。図星過ぎてグサグサ刺さる』
隼人はくくっと喉を鳴らして笑い、泣き腫らした美月の顔を両手で持ち上げた。
『こんなことですぐに嫌いになれたら楽だけどそうもいかねぇな』
ふっと柔らかく笑う隼人の微笑みにやはりこの人が好きだと心が叫んでいる。この人の側にいたい。
「私もだよ。好き……隼人が大好きなの」
『俺もだよ。もう一度言うからよく聞けよ?』
美月の額に優しく口付けした隼人は彼女と目線を合わせた。
『俺の側にいてほしい』
美月の涙腺を決壊させるにはその一言で充分だった。
「どうしていつも肝心な時にめちゃくちゃ格好いいのよぉ……!」
『んー……肝心な時にいつも美月が格好つけさせてくれるから?』
泣きじゃくる美月を隼人が笑いながらあやしている。自信家でポーカーフェイスで格好つけ、だけど誰より優しくて温かい。
こんな彼が好きでたまらない。
離れたくないから離れない
離したくないから離さない
『……というわけで一緒に風呂に入りませんか? 美月さん?』
耳元で囁かれて、美月は苦笑した。背中に回されていた隼人の手がいつの間にかスカートの中に入り込んでいる。
まったく、変態セクハラ帝王だ。
「というわけで、の意味がわからないんだけど……隼人、お風呂入ったじゃない!」
『美月と一緒にもう一度入り直し』
「じゃあ、さっきから私の太ももとお尻をさわさわしてるこの手はなぁに?」
『俺の手は自然とそこに導かれるようにできてるの』
もう何を言っても無駄な抵抗だ。美月は俺様変態ドSエロ帝王……心の中でいくつもの悪口を吐いて、それでも隼人にされるがまま浴室に連行された。
シャワーを二人で浴びながら繰り返すキスが幸せだった。
好きな人の好きな人になれるのはとても奇跡的なことだから。
心の奥にいるあの人も、寄りかかってしまったあの人も、大切な人には違いないけれど、今隣にいる人を大切にしたい。
涙と笑顔で忙しい夏の夜。仲直りのバスタイムはシトラスの香りに包まれていた。
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