3-6

8月10日(Mon)午後8時


「うん! やっぱりヒイラギの焼き鳥は美味しいわぁ……」


 行きつけの立ち飲み屋、ヒイラギでビールを飲む真紀の隣で焼き鳥を頬張るのは人気女優の本庄玲夏。真紀の休みと玲夏の休みが重なり、今夜は久しぶりの飲み会となった。


「大口開けて焼き鳥とビール両手に持ってるこの人が女優だなんて誰も信じないよね」

「気取ったご飯は会食やパーティーで食べ飽きてるからねぇ。この後、ラーメン行くでしょ?」


真紀と玲夏の飲み会の〆はいつもラーメンと決まっている。


「当然。池袋に新しい店見つけたんだ」

「もしかして一輝くんに教えてもらったところ?」


 玲夏の口から矢野の名前が出て真紀は飲んでいたビールを溢しそうになった。確かにこの後行く予定のラーメン屋は矢野に連れて行ってもらった店だ。

それにしてもどうしてこのタイミングで玲夏から彼の名前が出るのだろう。


「真紀、顔真っ赤よ! なになに? 一輝くんと何かあった?」

「ちょ、変なこと言わないでよ。何もないわよ! 顔が赤いのはビールのせい!」


 口元についたビールをハンカチで拭う。玲夏は早河の元恋人なのだから早河繋がりで矢野とも親しい。

彼女が矢野の話をするのも珍しいことではないのに何故こんなに動揺しているのか、自分でもよくわからない。


 隣を見ると含み笑いをする玲夏がタレのたっぷりついた焼き鳥を幸せそうな顔で咀嚼していた。真紀は噎せた喉をグラスの水で潤して、数回咳き込んだ。


「玲夏……矢野くんから何か聞いた?」

「ううん。何も。でも仁からは一輝くんが真紀を頻繁に誘ってるって話は聞いてるよ」


 2ヶ月前の6月に玲夏はある調査を探偵の早河仁に依頼していた。別れてから2年振りの再会を果たした二人はその調査をきっかけにして最近は友人関係を築いているようだ。


「早河さんとはよく会ってるんだ?」

「たまにね。なぎさちゃんも一緒に三人でご飯食べに行ったりしてる」

「もう吹っ切れたの?」


 玲夏は早河と別れてからの2年間、早河の話題を一度も持ち出さなかった。真紀も玲夏の前で早河の名前を出すことはなかった。

彼女の中で早河の存在がこれまでの男達とは違うことを知っている。

別れていた間も本当は早河に恋心があったことも。


「……うん。もう吹っ切れた。仁が、この前ちゃんと振ってくれたおかげかな。今はあの二人が今後どうなるのか気になってる」


玲夏はビールのジョッキを空にすると薄くメイクをした顔をほころばせた。元の顔立ちが整っている玲夏は薄化粧でも綺麗だ。


「あの二人って早河さんとなぎさちゃん?」

「そう。なぎさちゃんの気持ちはわかりすぎるくらいにわかりやすいと思うんだけどなぁ。気付いていないのは仁だけね」

「早河さんって刑事としても探偵としても優秀なくせに、女心には鈍感そう」

「いやいや、本当に鈍感なのよ、あいつ」


 玲夏と笑い合うこの瞬間が最高に楽しかった。立ち飲み屋を出て池袋駅まで電車で向かう。

矢野に教えてもらった駅の近くのラーメン屋の客層はほぼ男性。女性二人組の真紀と玲夏は店内でも目立っていた。


「真紀は香道さんのこと、まだ吹っ切れない?」

「吹っ切れてない……こともないんだよ。死んだ人をいつまでも想っていたって仕方ないのもわかってる。けど、カオスを潰して貴嶋を逮捕するまでは香道先輩のことを完全には吹っ切れないかも」


 真紀は初めて矢野とこのラーメン屋を訪れた時に、矢野にオススメされた野菜たっぷりの味噌ラーメンをすすった。ラーメンはとんこつ派の真紀がここの味噌ラーメンには舌鼓したつづみを打った。

自分の人生にいつの間にか矢野の存在が溶け込んでいることを意識せざるをえない。


「真紀も仁も、カオスを倒すまでは自分の幸せを考える気にはならないか」

「私だって女としての幸せは欲しいよ。そりゃあ、いつかは結婚もしたいし子どもも欲しい。誰かが側にいてくれたら……って思うけど……」


 真紀の顔を玲夏が見据えている。小学生からの長い友人関係だ。玲夏には真紀の頭に誰の顔が浮かんでいるのか察しがついている。

真紀の強がりの鎧を壊せるのは……きっと矢野だけだ。

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