4-12

 雨の降る街を寺沢莉央を乗せた車が駆け抜ける。


「スパイダーにアゲハの携帯のGPSを追跡させて正解だった。やっぱり木村隼人に会いに行ったのね」


莉央の膝に乗るノートパソコンには大田区の地図が表示されている。マークが点滅する場所は隼人の自宅が近い。


『間に合うといいんですが』


運転席にはサングラスをかけた佐藤瞬がいる。一昨日は静岡、昨日は横浜、中国から帰国してから仕事続きで佐藤は休む暇もない。


 里奈のGPSが移動した。隼人の自宅から程近い公園でGPSが停まる。この時間帯は隼人の帰宅時間と一致する。莉央は嫌な予感がした。


 数分後、公園の手前で車を停めた。二人は傘を差して暗がりの道を急ぎ、目的の公園に入った。

雨音に混ざって甲高い笑い声が聞こえる。慎重に歩を進める莉央の目に飛び込んできたのは彼女が予期した最悪の展開だった。


東屋に倒れる隼人の側でナイフを手にしたアゲハこと、佐々木里奈が立っている。里奈の精神は普通の状態には見えず、公園に入ってきた莉央と佐藤の存在にも気付かない。


「殺さないようにね。手加減して」

『わかっています』


 佐藤が里奈の背後に素早く回り込み、彼女にスタンガンを当てて気絶させた。ナイフは背後に回り込んだ時点で回収済み、仕事の早い男だ。


 莉央は隼人に駆け寄った。まだ脈はある。彼女は血まみれのシャツを引き裂いて腹部の傷口の状態を確かめた。出血が酷く、辺りは血の海だ。


「大丈夫よ。あなたを死なせたりしないから」


持参した応急セットから大量のガーゼを出して傷口を止血する。隼人の血を吸ったガーゼはすぐさま赤く染まり、莉央の手も血に染めた。

佐藤に補助してもらいながら莉央は傷口の止血を続ける。何枚も何枚も、血の吸ったガーゼが床に投げ捨てられた。


『とりあえずはこれでいいかと。あとは警察に任せましょう』

「ええ。携帯、上野警部に繋げて」


 非通知設定にした携帯電話が上野恭一郎の番号に繋がる。佐藤が莉央の片耳に携帯を当てた。


「上野警部ですね?」

{どなたです?}

「大田区の馬込児童公園に向かってください。救急車もお忘れなく。木村隼人が佐々木里奈に腹部を刺されて倒れています」

{おい、君はまさか……}

「馬込児童公園ですよ。大至急、手配をお願いしますね」


 もう一度場所を伝えて通話を切った。血を拭った手を隼人の頬に添える。体温はかなり低くなっていた。

彼女は自分の羽織っていた上着を隼人の上にそっとかけた。少しでも体温の低下を抑えたかった。


『行きましょう』


 佐藤に促されて公園を後にする。帰りは傘を差すのも忘れていた莉央の頭上を佐藤の傘が覆った。

車に乗り込んだ瞬間に押し寄せた疲労。息つく間もなく、車が動いた。


「あなたもお人好しよね。木村隼人は恋敵でしょう?」

『美月の側には木村隼人が必要です。彼に生きていてもらわないと俺が困ります』


隼人を助ける為の協力を佐藤は嫌がりもせず引き受けた。すべて浅丘美月の為だ。


「助かるといいんだけど……」

『あの男は死にません。そう信じましょう』


佐藤も隼人を信じているのだろう。止まないこの雨は神の嘆き? 怒り? 悲しみ?


「煙草、持ってる?」

『珍しいですね』

「吸いたい気分なの」


 佐藤は自分の煙草とライターを片手で掴み、後部座席にいる莉央に渡した。赤いパッケージをした箱から一本抜き取って、佐藤のライターで火を点す。


「人を愛するって不思議よね。人を愛すると強くなったり、弱くなったり。嫉妬したり独占したり、自分が自分でなくなるみたいに壊れていく」


煙草の煙が細く開けた窓から流れる。パトカーと救急車のサイレンが聴こえた。反対車線で二台のパトカーと一台の救急車とすれ違う。


「あなたは壊れるまで愛したの?」

『……そうですね。壊れるまで愛したのかもしれません』

「それは片桐彩乃と浅丘美月、どちらを壊れるまで愛したの?」

『さぁ……。どちらだったんでしょうか。どちらも、なんて答えは贅沢ですよね』


 莉央から返された煙草を佐藤も咥える。また警察車両とすれ違ったが、車が速度を変えることはない。

不審な動きをすれば怪しまれるだけ。こうして制限速度内で走っていれば警察の目に留まることはない。


 口紅がついた煙草を挟む莉央の指からはまだかすかに血の匂いがしていた。煙草を口元に持っていくたびに鼻に届くあの人の匂いに心が痛くなる。

この甘い痛みの正体を莉央は知っていた。


「また会いたいって思うのはいけないこと?」

『思うだけなら自由ではないでしょうか』

「……そうね」


 隼人の血の匂いを薫らせて、彼女はふうっと紫煙を吐いた。

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