奇譚蒐集家:おどろ髪

大福オブザデッド

第1話


[平成三十年某日:某喫茶店にて蒐集]


[蒐集対象者:三十四歳男性会社員]




 よく来てくれたな、忙しい所済まん。

 コーヒーで良いかい? 食欲がなくってな。最近ろくに寝ていないんだよ。はは。

 すいません、コーヒー二つ。

 ああ、そうだ。電話でも言ったが。


 相談したい事があるんだ。


 そうだ。その手の話だ。お前はその手の話に詳しいだろ?

 こんなバカげた話、もう誰に相談したらいいのやら、頼れる奴が他に誰も思いつかなくってな。


 そうか、もう聞いたのか。いや、良いんだ。

 産まれた双子の片方が死産だもんな。出産祝いを包むべきか、香典を包むべきか、迷っちまうよな。はは。

 済まない。冗談だ忘れてくれ。


 もう一人の赤ん坊は生きてるよ。女房とそこの病院にいる。

 だが、女房は産後が悪くって、病んじまってな。いつ退院できるかは判らない。

 ええと。何から、話せば、良いのか。




 俺の実家の話はしたっけ? そう、あそこ。

 すまん、そこで生まれたってのは嘘なんだ。小五の冬にそこへ越して来たんだよ。俺が生まれたのは、本当はもっと酷い田舎でな。小五までは違う所で暮らしてた。


 今でいう限界集落さ。

 山奥に四世帯だけ取り残されてな。それ以外の民家は山一つ向こう。江戸の頃は割と栄えた、由緒ある豪農だったらしいんだがな。飢饉やらなんやらで血縁以外は皆よそへと逃げたそうだ。集落のあちこちに古びた空き家があったよ。


 本家のだだっ広い庭の離れに、真っ白な蔵があってな。蔵だけはそりゃあ立派だった。

 蔵で遊ぶなと事ある毎に言われた。オバケが出るって脅されてさ。大人たちは蔵には寄り付かなかった。

 旧正月に蔵の中の家宝を虫干しするんだが、壺やら掛け軸やら槍やら、高価そうな物がゴロゴロあった。だが不思議な事に鍵は掛かってなかった。ごついカンヌキだけさ。


 今思えば、あの蔵が皆をあの山奥に縛り付けてたんだ。いっそ中の家宝が盗まれてくれればと、大人たちは思ってたんじゃなかろうか。だから蔵に鍵を掛けてなかったのさ。あんな山奥には、泥棒すら寄り付かなかったがな。




 四世帯の中で子供は二人だけ。俺と、俺と同い年の女の子。

 俺の家が分家で、彼女の家が本家。家と本家はまたいとこの関係だったと思う。家系図を一度だけ見たが、ぐちゃぐちゃに絡まってて良く判らなかった。


 おどろ髪って言葉、知ってるか?

 おどろってのは漢字で「トゲ」って書く。

 いばらみたいに、ねじれてちぢれた巻き髪のことさ。


 俺と同い年の女の子。その子の髪がそうだった。腰まで伸びた巻き髪で、大人たちはその子をいばらちゃんって呼んでたよ。

 俺はそのいばらみたいな髪の毛が好きだった。その子の両親も、他の大人たちも、真っすぐの髪だった。集落の中で、その子だけがいばらのような巻き髪だった。


 子供は俺とその子きりだから、何をするのもその子と一緒でな。大きくなったらお嫁さんになるって、その子はいつも言ってた。俺もそう思ってた。集落の大人たちも。


 小さな頃はその子と一緒に、よく蔵の中に忍び込んで遊んだ。かくれんぼ。鬼ごっこ。おままごと。お医者さんごっこ。

 裸電球の下がった薄暗い蔵の屋根裏の、丸まった絨毯の上が、二人の秘密基地だった。幼稚園にはいかなかったな。小学校に上がるまで、一日中その子と一緒だった。

 薄暗い秘密基地で色んな事を話したよ。死ぬまでずっと一緒だとか。生まれ変わっても一緒だとか。子供らしい他愛の無い話さ。




 六つになって、山一つ向こうの小学校に通うようになった。毎日山を歩いて越えた。

 小学校に通う他の女の子たちを見て、俺はようやく気が付いた。

 その子がひどく、不細工だって事に。


 いばらみたいに、ねじれてちぢれた巻き髪も、厭で厭でたまらなくなった。

 髪だけじゃない。他の女の子たちと比べると、チビでガリガリのやせっぽっちで、地黒の肌はガサガサで。まるで体もいばらで出来てるみたいだった。


 笑うとさらに醜くかった。

 右唇だけを上げて歯ぐきをむき出すような、あのサルみたいな笑い顔。


 その子を可愛いだなんて思っていた事が、急に気恥ずかしくなった。

 友達が増えるにつれ、世界が広がるにつれ、どんどんその子が嫌いになった。

 だがその後もずっと、何をするにもその子と一緒だった。他の友達はみんな山一つ向こう。山の中は日が落ちるのも早くて、家は門限に厳しかったからな。


 どんなに楽しい思い出にも、影のようにその子が付いてきた。

 毎日が憂鬱だったよ。 




 小五の春にな、好きな子が出来た。

 都会からの転校生でな。垢抜けてて、とても可愛らしい女の子だった。


 夏休み明けに告白した。でもフラれたよ。いばらちゃんがいるでしょって。憐れんだような顔で彼女は笑ってた。

 その時に初めて知った。いばら髪のその子が、自分と俺が許嫁だと他の女の子たちに言いふらしていたんだ。勿論デタラメだ。そんな事一度も親から聞かされた事はなかった。


 生まれて初めて失恋し、落ち込んで家に帰った。そしたらその子が慰めてくれたよ。

 私がずっと一緒にいてあげるって。私だけはあなたとずっと一緒だって。


 笑うだろ。ひどいマッチポンプさ。

 でも、裸電球だけが下がった蔵の屋根裏は薄暗くてな。顔がよく見えないんだ。その子の醜い顔が。俺はその子に泣きついた。そして、手を出しちまった。薄暗い蔵の屋根裏の、絨毯の上で。二人ともまだ十一だったがな、田舎は娯楽が無いからさ。大人になるのが早いんだ。


 事を終えて、その子が笑ったんだ。

 これでもう、私だけのものだって。

 誰にも渡さないって。死ぬまでずっと一緒だって。

 生まれ変わっても、ずっとずっと一緒だって。

 まだ十一のガキが、優越感にまみれた女の顔で笑ったんだ。


 右唇だけを上げて歯ぐきをむき出すような、あのサルみたいな笑い顔で。


 ぞっとした。

 その時になって初めて、俺は取り返しの付かない事をしちまったと理解した。後悔したが、もう遅かったよ。




 それで。

 それで俺たちはその後、そう、かくれんぼをしたんだ。やる事をやっても、結局まだガキだったんだ。そしてオバケに会ったんだ。


 俺が鬼だった。蔵の中に隠れたその子を探してた。そこで蔵のオバケに会ったんだ。大人たちの話は嘘じゃなかった。本当にオバケは居たんだよ。

 蔵の壁から引っ掻くような物音とうめき声が聞こえた。最初はその子が巫山戯てるのかと思った。けど蔵の外に出て反対に回っても誰も居なかった。そしてまたうめき声がした。声は壁の内側から聞こえたんだ。

 俺は怖くなって家に逃げ帰った。親に話すとオバケなんて作り話だって叱られた。絶対にもう二度とその話はするなと。絶対にもう二度と本家の蔵に近寄るなと。始めて見るような怖い顔で親に言われた。


 そして。

 その子はその日から、行方不明になった。




 毎日毎日、近隣住民総出で山狩りをした。

 だけどその子は見つからなかった。蔵で遊んでいた事は誰にも言わなかった。絶対にもう二度と言うなって言われたからさ。言うと叱られると思ったんだ。だから、蔵じゃなく山でかくれんぼをしてたと言った。

 一週間経ち、二週間経っても、その子は見つからなかった。靴一つ落ちてなかった。


 一月も経つと、みんな諦め始めた。人さらいにさらわれて、幸せでは無いだろうがきっとどこかで生きてるだろうって。次第にそういう事になっていった。

 山狩りもいつの間にか終わったよ。ただその子の母親だけは、寒くなってもずっと山を探し回ってた。気が触れてたんだ。


 そして、年が開けてすぐ。大きな地震が有ったんだ。そう、あの地震さ。


 さいわい集落にけが人は出なかった。山一つ向こうじゃ色々と大変だったみたいだがな。小学校に大勢が避難してた。こっちと言えば、ぼろの空き家が二軒潰れたのと、本家の蔵の壁にひびが入った程度だった。大人たちは山崩れの箇所を調べたり山向こうの人たちを救助したりてんやわんやで、こちらの事は後回しだった。


 そして地震から四日後。大人の一人がそれを見つけた。

 本家の蔵の壁のひび割れから、髪の毛が出てきちまってたんだ。


 いばらみたいに、ねじれてちぢれた巻き髪が。


 土砂の掘り起こしのために近場に重機があった。それを使って蔵の壁が壊された。

 蔵の壁は中空になっててさ。その子が隙間に挟まって干からびてたよ。

 壁の中の環境のせいなのか、腐りもせず虫にも食われずカラカラの干物になってた。

 顔の皮がぴんと張って、歯茎をむき出しで、まるで猿の干物みたいだった。


 天井裏の隅に穴があいててさ。そこから落ちて首の骨を折って死んだらしいんだ。

 山狩りの時にも、蔵の中は探したはずさ。だけど大人たちは天井裏の隅の穴を見つけられなかった。壁が中空になってるのも知らなかったんじゃないかな。 


 そこから先はあまり良く覚えていない。


 しばらくして蔵から火が出た。漏電が原因らしい。地震のせいで断線してたんだ。壺やら掛け軸やら槍やら、家宝は全部燃えちまった。警察が来たが、その子の事は結局事故扱いになった。俺と両親はすぐにつてを頼って集落を出て、それ以来二度とそこには戻らなかった。

 そして、その事すら今の今まですっかり忘れちまってたんだ。

 子供が生まれるまで。




 なあ。相談したい事があるんだ。


 この写真を見てくれ。

 ああ。産まれた双子の生き残りさ。

 すごいだろう? その写真を撮ったの生後三日だぜ?

 その、いばらみたいに、ねじれてちぢれた巻き髪。


 産着に隠れてるが、肩まで伸びてる。助産婦さんも驚いてたよ。

 本当はもっと長かったんだ。恐らく腰まであったんだけどな。産まれた時に、絡まってて、どうしてもほどけないから切ったんだよ。もう一人の子の首に髪が絡んでくびり殺しちまっててな。どうやってもほどけなかったんだ。だから切った。


 女房の内臓にもあちこち、いばらみたいに、ねじれてちぢれた巻き髪が絡まっててな。一命は取り留めたけれど、もう、子供は産めないらしい。

 それでその、女房はまいっちまっててな。暴れるんで薬を飲ませて眠らせてる。


 写真写りが良いだろう? その子は、良く笑う子でな。

 赤ん坊ってのは、生まれた時に泣くものなんだろう? けれどその子は、俺を見るなり笑ったんだ。


 右唇だけを上げて歯ぐきをむき出すような、あのサルみたいな笑い顔で。




 相談したい事があるんだ。


 頼む。教えてくれ。

 なあ、俺は。


 俺は


 その子・・・を、生かしておくべき・・・・・・・・なのか?


[終]

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