第33話 王家の園
王宮の部屋に戻ると、メルは既に片づけを終えて心配そうに窓の外を眺めていた。
「まあ、ソフィア様! スカートがびしょ濡れではありませんか!」
メルは、ソフィアを見て目を丸くする。慌てて近くにあったタオルを手に取ると、駆け寄ってきた。
ソフィアは視線を足元に向けた。確かに、スカートの裾が汚れてしまっている。上半身はボブが被せてくれた上着で濡れずに済んだが、スカートまでは覆いきれなかったようだ。
「汚れものは王宮内の洗濯係が綺麗にしてくれるそうですから、お召し替えをしてくださいませ。わたくし、届けに行ってまいりますわ」
メルはクローゼットから持参した替えのドレスを取り出すと、ソフィアの前に差し出す。
「ありがとう」
ドレスを脱ごうとしながらふと視線を向けた窓の外は、大粒の雨が降りしきり、雷が鳴っていた。
(本当に雷が来たわ)
ぼーっとしていたのか、あのときソフィアには全く雷の音が聞こえなかった。先日といい、今日といい、この季節は突然の大雨が多い。そういえば、マリオット伯爵領の河川の堤防が決壊して洪水を起こしたのもこの季節だった。
「そう言えば、昨日聞かれた黒髪のご令嬢のことを調べてまいりましたわ」
「ありがとう。どなたなの?」
「リアンヌ=エモニエ。エモニエ伯爵令嬢です」
「リアンヌ=エモニエ……」
ソフィアはその名前を小さく復唱する。聞いたことがない名前だった。
「エモニエ家は医療に特に力を入れていて、領地は優秀な医師を輩出することで有名なようですわ」
「ふーん」
「ところで、なぜリアンヌ様のことを?」
怪訝な表情でそう聞かれ、ソフィアは「なんとなく」と笑って誤魔化した。
いそいそと着替えるソフィアの目の前に、一通の封筒を差し出される。
「これはなに?」
「お茶会のお誘いですわ」
「お茶会?」
訝しげに封筒を受け取ったソフィアは、その封筒を裏返して驚きで目を丸くした。
「キアラ様から?」
「はい。一時間後に始めるので、ソフィア様にも参加してほしいと。先ほどいらっしゃいました」
メルは間違いないと頷く。メルによると、ソフィアが庭園散歩をしている最中にキアラの侍女がやってきて、お茶会に出席してほしいと言ってきたのだという。
ソフィアはうーん、と唸った。
キアラと言えば、赤い髪飾りがトレードマークのスリーサン伯爵令嬢だ。
花嫁選考会の初日、馬車の中でキアラの連れのミルシーに大事なメルをバカにするような発言をされて売り言葉に買い言葉、今もその関係は良好とは言えないと思っている。
「どうします? お断りしますか?」
「うーん」
ソフィアは正直迷った。
なぜ自分がお茶会に誘われたのかわからないが、何か裏があるような気はする。それとも、仲のよいミルシーがいなくなってお茶をする相手がいないのだろうか?
ソフィアは領地に引きこもって王宮舞踏会に参加していなかったので、貴族の世界での友好関係がとても狭い。ヴィヴィアンとミレーとはもちろんこれからも仲良くするが、ほかの人とも仲良くした方がいい気はした。
「行くわ。一時間後にどこ?」
「廊下の先にある共用のサロンスペースでございます」
メルはソフィアの後ろに立つと、下ろしていた髪を顔の両サイドから緩く三つ編みをしながら答える。廊下の先にある共用のサロンスペースには、大きなダイニングテーブルやソファーセットが置かれ、自由に寛げるようになっている。
「わかったわ、情報収集がてら行ってくるわ」
髪の毛を綺麗に整えて貰ったソフィアは鏡でその姿を確認しながら、どういう意図だろうかと目まぐるしく思考を回転させた。
ちょうど一時間後にソフィアが共用のサロンスペースに向かうと、既にそこには何人かのご令嬢が集まっていた。
「ごきげんよう、皆様」
スカートを摘まみ上げてお辞儀をすると、その場にいたご令嬢達が一斉にこちらを向く。
「あら、ソフィア様。お待ちしておりましたのよ」
中央に座る今回の主催者、キアラはにっこりと微笑んで立ち上がるとソフィアに席を勧めた。ソフィアは空いていた一番端の席に腰を下ろす。席を見渡すと、ヴィヴィアンやミレーはいなかった。それに、リアンヌも。
「ヴィヴィアン様とミレー様とリアンヌ様は?」
「ヴィヴィアン様をお呼びできるわけないでしょ? ミレー様はお誘いしたけれど、お忙しいみたいで断られたわ」
キアラはムッとしたように眉を寄せる。『ヴィヴィアンを呼べるわけがない』というのは、先日メルが言っていたヴィヴィアンがアーサー王子の恋人で追い縋っているかもしれないという噂が理由だろう。
「リアンヌ様は?」
「わたくし、あの方は苦手だわ。何を考えているかよくわからないのだもの」
キアラはプイっと横を向く。
(苦手?)
ソフィアは驚いた。
同じく『苦手な人』にあたるであろうソフィアはなぜ呼ばれてしまったのか。
(キアラ様って、不思議な人だわ……)
「で、キアラ様。どうでしたの?」
キアラとソフィアの会話が終わるかどうかというタイミングで、ご令嬢の一人が身を乗り出す。
「ああ、ごめんなさい。えっと、どこまで話したかしら。そう、殿下とは色々とお話しましたのよ。時間は十分程度だったのですけれど、それはもう濃密な時間で……」
「殿下とはどんな話を?」
「趣味ですとか、親しい友人ですとか、色々ですわ。一緒にお茶を飲みながらお話したの」
矢継ぎ早に質問されたキアラは嬉しそうにはにかんで答えながら、手元のポットから空のティーカップに紅茶を注ぐと、それをソフィアに差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
ソフィアは差し出されたティーカップに顔を寄せる。優しく香り立つのはフルーティーな香り。一口、口に含むと芳醇で甘い味わいが口一杯に広がった。これは、ヴィヴィアンがよく淹れてくれるヒムカ商会の『マリアージュ』だろうか。
「美味しい……」
ソフィアは思わず独りごちた。キアラのことを褒めるのはなんとなく癪に触るが、思わず褒めずにはいられないほど美味しかったのだ。
「そうでしょう? わたくし、『お茶』のギフトを持っていますから」
褒められて気をよくしたキアラは得意げに笑う。
『お茶』のギフトはお茶を美味しく淹れられるだけでなく、その人に合わせたお茶のブレンドできる能力があり、貴族令嬢からは羨望の的になるギフトだ。
「この茶葉はなに?」
「ヒムカ商会の『マリアージュ』よ。アーサー殿下がお好きなんですって。ねえ、聞いてくださる? アーサー殿下、わたくしの淹れた紅茶を一口飲んで、『よい味だ』と仰ってくださったのよ。これは、また来てくださるかもしれないわ」
キアラは自慢げにそう語る。
ソフィアはそこでようやくこのお茶会の開催の意図を察した。キーリス特級政務官はアーサー王子は全員の元を一度は訪れると言っていたが、キアラのところには既にアーサー王子が来たのだろう。そして、そこでキアラは手ずからお茶を振る舞い、アーサー王子に褒められたらしい。
つまり、これはキアラの自慢話を聞く会だ。
「わたくし、二回目があるなら庭園を一緒に散歩したいわ」
「わかるわ。一度でいいから王家の園に入ってみたいわよね」
キアラがほうっと息を吐くと、周りのご令嬢達も庭園の話で盛り上がり始める。
(王家の園?)
ソフィアはそれを聞き、首を傾げる。
「王家の園ってなんですの?」
「王家の園を知らないの? 庭園の外れの、王家が管理する庭園よ。王族と、王族が許した人しか入れないのよ」
「そうそう。そこに入ることが許されることは、王族にとって特別であることを意味するの」
「へえ……」
ソフィアは庭園を色々散歩したが、そんな場所があるとは全く気が付かなかった。明日にでももう一度散歩して探してみよう。
そんなことを思いながら、ソフィアはキアラの長い長い自慢話に耳を傾けた。
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