第21話 三次選考④

 アーサー王子が退室すると、大広間の一角にはまた静謐(せいひつ)が訪れた。皆、一心に手を動かして針を進めている。


「お嬢様方、そろそろ休憩に致しましょう。今から一時間ほど休憩の時間を設けます。あちらのお部屋にお昼をご用意しておりますのでご自由にお取りください」


 若い政務官らしき男性がそう言って、大広間から外に出たところにある別室を指し示す。夢中で刺繍をしていたので、そんなに時間が経っていたことに全く気が付かなかった。


「あら、もうそんな時間なのね。フィー、お食事をご一緒にどう?」


 ヴィヴィアンもソフィアと同じくそんなに時間が経ったことに全く気が付いていなかったようで、目をぱちぱちと瞬く。

 ソフィアは手元の自分の作品に視線を落とした。既にリモネの花を二つ刺繍し終えており、あともう一つと葉、それに飾り枠を刺繍して豪華にすれば完成だ。とても順調に進んでいるので、ゆっくり休んでも問題ないだろう。


「はい。ご一緒させていただきます」

「よかった! ミレーも一緒に」


 ヴィヴィアンは朗らかに微笑むと、同じテーブルに座っているミレーにも声をかけた。


「はい。ご一緒します」


 ミレーは作業中の布を端に寄せると軽く頭を下げる。その様子が、まるで君主に使える騎士のように見えてソフィアはクスリと笑った。


「では、行きましょうか」

「そうでございますね」


 ソフィアは歩き始めたヴィヴィアンの背中を慌てて追いかけた。

 食事が用意されていたのは、王広間と続き間になっている部屋だった。ヴィヴィアンによると、普段の王宮舞踏会でも食事はここに用意されるという。

 ソフィアはその部屋に入ったとき、さすがは王宮だと思った。用意された食事はなんら特別なものではなく、サンドウィッチなどの軽食なのだが、どれもとても美味しかったのだ。挟まっている肉が柔らかいのなんの。ほっぺたが落ちそうだ。


「んー、美味しい!」

「まあ。とてもよい食べっぷりね」

「だって、美味しいわ。お肉も柔らかい」

「確かに美味しいわね」


 ヴィヴィアンが楽しげにくすくすと笑うと、ストロベリーブロンドの髪がさらりと揺れた。料理はまだまだたくさんある。こんな御馳走を好きなだけ食べられることなど、そうそうない。ソフィアはサンドウィッチの最後の一口をぱくりと口の中に放り込んだ。


(次はなにを食べようかしら?)


 ソフィアの視界の端に、ミレーのお皿が映る。そこには、ソフィアの食べた倍くらいの量の料理がこんもりと盛られていた。

「ミレー。これを全部一人で食べるの?」

「はい。そうですが?」


 ミレーは澄ました表情で黙々と食事を口に運ぶ。それを見て、ソフィアは驚いた。ミレーはとても細く、女性なのに体も引き締まっている。この細い体のどこにこの料理が入るのだろう。まさに人体の七不思議だ。


 三人で楽しく食事をしていると、ふとヴィヴィアンが耳元に手を当て、入り口を振り返った。ソフィアも釣られてそちらを見たが、特になにも見えなかった。入り口の両開きの扉は、片側だけが開け放たれている。


「わたくし、少しだけ外すわ」

「ご一緒します」


 ミレーがすぐにそう言ったが、ヴィヴィアンはスッと胸の高さに手を挙げてそれを制した。


「いいえ、大丈夫。呼ばれたのが聞こえたの。フィーとミレーはゆっくり食べていらして。すぐに戻るから」

「あ、はい」

「わかりました」


 ヴィヴィアンはにこりと笑うとその場を後にした。


(呼ばれたのが聞こえた?)


 ソフィアは特に耳が悪いわけではないはずなのだが、なにも聞こえなかった。ミレーを見上げると、ミレーは少し小首を傾げる。


「どうかされましたか?」

「ミレーはヴィー様を呼ぶ声が聞こえた?」

「いいえ。でもヴィー様は特別ですから」

「特別?」


 ソフィアは意味がわからず、眉をひそめた。


「──ミレーはヴィー様と元々知り合いなの?」

「そうですね。ヴィー様はわたしがお仕えする方と親しくしている方です」

「仕える? ああ、だから喋り方が」

「喋り方がおかしいですか? 直しているつもりなのですが」


 ミレーは困ったように眉尻を下げたのを見て、ソフィアは思わず噴き出した。

 先ほどから、ミレーの口調はまるでヴィヴィアンに仕えているかのようだ。それなのに、本人は全く気が付いていなかったなんて。しかし、普段仕えている主の親しい相手であれば、無意識にそうなってしまうのも頷ける。


「ミレーは普段、侍女をしているのね?」


 ソフィアの質問に、ミレーはまた困ったように微笑んだ。ソフィアはその様子から、ミレーがこれ以上その質問に突っ込んできてほしくないのだと感じ取った。


(この選考には平民も混じっていいはずだから、ミレーが誰かの侍女だったとしてもなにも不思議じゃないのよね)


 ほぼ全員が貴族令嬢の中に混じれば、誰だって肩身を狭く感じるだろう。ソフィアは無神経な質問をしたことを反省し、その話をおしまいにした。


「わたくし達は遠慮なく食事を頂きましょう」

「はい。そうですね」


 ソフィアは新たにロースト肉のスライスを皿に乗せる。カットして一口含むと、じゅわっと肉汁が口の中に溢れた。


 一体この肉、どうなっているのだろうか? マリオット伯爵家の料理人直伝の肉を柔らかくする方法──キウイの汁に浸したってこんなに柔らかくはならないと思う。


「あんなに大口開けて食べてはみっともないわ」

「ねえ、知っていて。あの方、没落伯爵家のご令嬢なんですって。爵位を売る、売らないのぎりぎりらしいわよ。食べるものにも困っているのではなくて?」

「一緒にいる方も見たことがないわ?」

「きっと平民よ」


 機嫌よく食事していると、耳障りな声がした。

 ふと見ると、昨日の二人組がこっちを見て眉をひそめている。ソフィアはチラリとミレーを見たが、ミレーは聞こえているはずなのに全く動じていない。ミレーはソフィアが思う以上に、なかなか肝の据わった女性のようだ。

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