第10話 門番

 辺りがまるで葬式のようにシーンと静まり返る。


(侯爵令嬢でも容赦なしなのね……)


 ソフィアは正直、その対応に驚いた。

 侯爵令嬢といえば、王族と公爵家に次ぐ身分を有する。これまでも王の正妻である王妃は公爵家や侯爵家から選ばれることが多かった。アーサー王子の花嫁選びにおいても『侯爵令嬢』という肩書きは多少有利に働きそうなものだが、全くそんなことはないらしい。


「ねえ、聞いた? あの人が、選考会の会場に通すため全権を任されているって」


 後ろのご令嬢が、とても小さな声で囁き合うのが僅かに聞こえる。


「大変! 下手なことは言えないわね」

「本当に。選ばれるのは無理だとしても、せめてアーサー王子と会ってみたいわよね」

「遠目にお姿を拝見したことがあるのだけど、凄いハンサムだったのよ。お話しできるかしら?」


 その会話を聞きながら、ソフィアは昨日会った青年のことを思い浮かべた。

 金の髪は雨空の下でも艶やかにきらめいて、瞳は晴れ渡る空のように澄んでいた。スッと通った鼻梁、すっきりとした目元、確かにとてもハンサムだった。


(わたくしも、せめて雨よけのコートを直接返せるところまでは頑張りたいわ)


 でも、それ以上にソフィアが惹かれたのは彼の優しい笑顔と、その香りだった。爽やかな果実のような、魅惑的な香り。


(さっきからあのときと似たような香りがするのだけと、気のせいかしら?)


 ソフィアは少しの期待を込めて辺りを見渡した。ソフィアの鼻は、とにかくよく利く。ここの門をくぐれば王宮の敷地内なので、もしかしたらアーサー王子が近くにいるかもしれないと思ったのだ。


 しかし、三六〇度見渡してもアーサー王子の姿は見当たらない。かわりに、先ほどルイーナを冷淡な態度で追い返した執事風の男性と目が合った。いつの間にかソフィアの順番が回ってきていたのだ。


「次の方、どうぞ」

「あっ、はい」


 ソフィアは慌てて男性の目の前に行くと、持っていた召喚状を差し出した。男性はそれを受け取ると、手元のリストと突き合わせていた。


(あっ、この人からだわ……)


 ソフィアが惹かれる爽やかな香りは、間違いなく目の前の執事風の男性から香ってきた。銀縁の丸眼鏡をかけ、手元のリストからソフィアの名前を探している。まだ年齢は若そうで、黒く艶やかな髪は一つに結ばれて肩から垂れ下がっていた。骨ばった顔立ちは神経質そうな印象を受ける。


(この辺で若い男性に流行っている香水なのかしら?)


 ソフィアは目の前の男性を眺めながらそんなことを思った。


「ソフィア=マリオット嬢ですか?」

「はいっ! そうです」


 思わずビシッと背筋と手を伸ばして兵隊のような格好で返事をしてしまった。この人の機嫌を損ねるとここで強制送還となるのだから大変だ。男性はソフィアの顔をじっと見つめる。ソフィアはなにかしでかしただろうかと背中にいやな汗が流れるのを感じた。


「ソフィア嬢、風邪をひいてはいませんか?」

「風邪? ひいていませんけど?」

「そう。それはよかった」


(???)


 ソフィアの頭の中にたくさんのクエスチョンマークが浮かんだ。


 風邪? なぜに風邪?

 もしや鼻水でも垂れているのかとさりげなく鼻を触ったが、なにも出ていない。


(人がたくさんいるから、集団感染防止のために聞いているとか?)


 ポカンとして見上げると、執事風の男性がにこりと笑う。笑うと黒い瞳の目元が柔らかく細まり、目じりが少し垂れてふにゃりとする。その笑顔に、なぜか既視感を覚えてソフィアは男性を見返した。胸がキュンとするような、不思議な感覚。


「ソフィア嬢? どうぞ。お通りください」

「あ、ごめんなさい。ぼーっとしていましたわ」


 振り返ると、いつの間にか門が開いていてメルは既に中にいた。門番が門を押さえたまま、ソフィアが通るのを待っている状態だ。ソフィアは慌ててそこを通り抜ける。後方を確認すると執事風の男性は既に次のご令嬢と会話をしていた。なぜかそのことを残念に思い、ソフィアは慌てて頭を振る。前を向けば、門の内側からまっすぐに続く石畳の道の向こうには、荘厳な佇まいの王宮が見えた。


 昨日はメルに『絶対に選ばれるように頑張る』と宣言したけれど、一夜明けて冷静に考えると、貧乏伯爵令嬢の自分などがこの多くのご令嬢の中で勝ち抜くのは無謀な気がした。


(せめてアーサー王子に会って直接お礼が言えたなら。それまでは頑張りたいわ)


 ソフィアはそんな気持ちを胸に秘めて、まっすぐに遥か彼方の王宮を見つめた。

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