第6話 出発
出発の日はすぐにやってきた。
ソフィアは忘れ物がないか、荷物の最終確認をする。どうせ一次選考で落選して数日で帰ることになるはずだから、そんなにたくさん持っていくものもない。ドレスが数着と、最低限の身の回りの品くらいだ。確認をし終えたソフィアはパタンとトランクを閉じた。
「あらっ、もうこんな時間だわ」
ソフィアは時計を見て小さく声を上げる。いつの間にか、出発まで一時間を切っている。
そろそろ身支度をと、ソフィアは普段着ている質素なワンピースから貴族令嬢らしいドレスへと着替えた。このドレスは今回の王都訪問に合わせて両親が用意してくれたものだ。元々はシンプルなドレスだったものを、母親が手ずからレースや刺繍を施して素敵なドレスに作り直してくれた。
ソフィアは鏡の前で、自分に向かって淑女のお辞儀をした。頭を下げると、目の前の少女も同じようにドレスの裾を持ってぺこりと頭を下げる。そして、目が合うとにっこりと微笑んだ。
(なんだか、お嬢様みたいに見えるわ)
ソフィアは鏡の中の自分を見つめて微笑む。ソフィアは事実伯爵令嬢であり本物のお嬢様なのだが、なにせ家が貧乏だったので年頃になってもこういう貴族令嬢らしいドレスを着ることがほとんどない。
両親は王宮へ行くのならばせめてこれくらいは用意しないと王室への不敬だと言って、これを含む数着を用意してくれた。直前までいらないと言い張ってはいたものの、実際に袖に腕を通してみると思った以上に嬉しいものだ。
「ソフィア様、準備は終わりましたか? ──あらまあ、まあ、まあ!」
ドアを開けて入ってきたメルが驚いたように口に手を当ててこちらを見つめている。
「なあに、メル。やっぱりこんな素敵なドレスはわたくしにはおかしいかしら?」
「いえいえ、滅相もございません。とってもお似合いですわ。ソフィア様はとってもお綺麗なので本当にお似合いだわ」
感激したようにメルがじっとこちらを見つめるので、ソフィアは気恥ずかしくなって手を後ろで繋いでもじもじとする。
「ほめ過ぎよ」
「だって、本当ですもの」
メルは嬉しそうにふわりと微笑んだ。
(着てみてよかったわ)
ソフィアもつられてくしゃりと笑う。
普段、メルはよく『ソフィア様はお綺麗だから、王都の社交の場に出ればきっとたくさんのご子息に言い寄られるはずなのに、勿体ない』と愚痴を零している。
もちろん、侍女が仕えている主を褒めるのは当たり前のことなので、ソフィアもそのまま本気にはしていない。それに、借金まみれで有名なマリオット伯爵家の娘である自分が大人気になるとは到底思えない。けれど、こんなに喜んでくれるならこのドレスを着てみてよかったと、ソフィアは嬉しく思った。
マリオット伯爵家の領地から王都までは馬車で三日間の距離だ。
ソフィアは両親や使用人たちに暫しの別れを告げると、今回同行するメルと共に馬車に乗り込んだ。久しぶりに王都へと向かうことは、不安よりも興奮の方が大きかった。
──王都はたくさんの珍しい物で溢れているらしい。
──王都にはとても大きな建物が建っているらしい。
──王都はいつもお祭りのように賑やからしい。
そんな話を両親や行商人、友人のご令嬢から聞いたことはあるけれど、実際に自分で見たことは一度もないのだ。『一度もない』というのは正確には間違いで、小さい頃は何度も行ったことがあるらしい。ただ、ソフィアはそのことを全く覚えていない。
不思議なことに、ソフィアの記憶からは王都で過ごした日々のことがすっぽりと抜け落ちているのだ。洪水が起きたとき、ソフィアは不用意に川に近づいて死にかけた。だから、きっとそのショックのせいだと思っている。王都とはいったいどんな場所なのだろうかと、弥が上にも期待で胸が膨らむ。
「どんなところなのかしら?」
王宮には大きなシャンデリアが何個もぶら下がり、天井や壁には絵が描かれているらしい。柱にも精緻な彫刻が彫られているとか。床だってただの板貼りではないという。
それに、王宮に出入りするご令嬢達は皆がお姫様のように美しく着飾り、近衛騎士たちはまるで王子様のように凛々しいと聞いた。
ソフィアはそんな光景を想像しながら、口元を綻ばせた。
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