第3話 召喚状
その報せが公布された日、ヤーマノテ王国に激震が走った。
【王太子の花嫁選びの選考会を開催する。ヤーマノテ王国の未婚かつ婚約者のいない全ての十六歳から二十四歳の貴族令嬢は本選考会に参加すること。また、平民も一定の条件を満たしたものに限り、参加を認める】
王太子の花嫁はこれまで、公爵家か侯爵家、もしくは、隣国の王女から選ばれた。それが、アーサー王子の花嫁選びに関しては全ての女性にその門扉が開かれたのだ。
老婆はあと五十年若ければと悔しがり、夫達は愛しの妻が若いときでなくてよかったと胸を撫で下ろす。年頃の娘をもつ夫婦はなんとしても我が娘をと意気込み、ただならぬ闘志を燃やした。若い娘達は自らのシンデレラストーリーを思い描いて胸を焦がし、青年達は意中の彼女に万が一があるのではと戦々恐々。
あっちでもこの話、そっちでもその話、みんなこの話題で持ちきりだ。
とにかく、老若男女を問わず(いや、もしかしたら軒先に寝そべる番犬すら主人達のただならぬ雰囲気を察していたかもしれない)とにかく、ありとあらゆる人々がこのことに阿鼻叫喚の大騒ぎだった。
そんな中、辺境の地にあるマリオット伯爵領の令嬢──ソフィア=マリオットは、頬をバラ色に染めて馬車から身をのりだし、遥か遠方を見つめていた。
ソフィアの視線の先、建ち並ぶ街の建物の合間から見える丘の上にそびえ立つのは荘厳な宮殿だ。薄い黄土色の石作りの大きな建物は屋根が焦げ茶色をしていて、豪華ながら落ち着いた雰囲気を漂わせている。建物の手前に見える城壁の上には、何ヵ所か見張り台と思しき高い塔が建っており、そこからの景色は想像するだけでも素晴らしいだろう。
「見て、メル。お城があんなに大きく見えてきたわ。それに、なんだか外が賑やかね。同じ国なのに全然違うわ!」
「ソフィア様! 危ないから身を乗り出さないでくださいませ。そんなに興奮しなくてもお城は逃げません」
侍女のメルはソフィアのクリーム色のドレスの裾をひっぱり、ソフィアを窘めた。
「はーい。だって、初めて見たのだもの。本当に凄く大きいのね! つい、嬉しくなっちゃった」
ソフィアはポスンと馬車に座り直し、新緑の双眸を細めるとペロリと舌を出した。
「初めてではないでしょう。昔、何回も来ております」
「ずーっと昔にね。昔過ぎて、ほとんど覚えていないわ」
ソフィアは伯爵令嬢でありながら、王都に滅多に来たことがなかった。理由は簡単。実家であるマリオット伯爵家が貧乏だったからだ。
かつては『北にマリオット家あり』と言われるほどの栄華を誇った名門貴族家は、十年ほど前に領地を巨大台風が襲い、領地の七割が泥水に沈んだ。
ソフィアの父であるマリオット伯爵は私財の全てを投げ売って、さらには爵位を担保に多額の借金を負って復興のために尽力した。おかげでマリオット伯爵は領民から絶大な支持と人望を集めたが、今になってもマリオット伯爵家は借金返済に追われている。
そのため、ソフィアが年頃になっても、社交界デビューするための旅費や、ドレス代、宝石を用意するのが難しかったのだ。幼い頃は毎日お姫様のような格好で着飾っていたし、たくさんの使用人もいた。けれど、今残るのは父親を敬愛してただ同然の給与で働いてくれる、わずかな人達だけ。
だから、王都に最後に来たのは十年以上前のことで、ほとんど記憶がない。自身のデビュタントさえも『体が弱いから』と理由をつけて行っていないのだから。
父親は年頃の娘のためそのくらいのお金はなんとかしてやると再三にわたってソフィアを諭したが、ソフィアは頷かなかった。苦労しながらも領地の人々のために心血を注ぐ両親を小さな頃から見続けてきたし、二年後には寄宿学校に通う弟が社交界デビューするので、少しでもお金を貯めておく必要があるのをソフィアは知っていた。
そのソフィアがなぜ王都にまで来ることになったのか?
それは、一月ほど前にマリオット伯爵家に届いた一通の召喚状が原因だった。
その召喚状が届いたとき、ソフィアは屋敷の裏手で馬の世話をしていた。馬の世話など多くの貴族の屋敷では専門の馬丁や下男を雇うものだが、マリオット伯爵家では経費削減のため屋敷の人間が持ち回りで世話していた。そのため、ソフィアも小さい頃から馬屋によく出入りしており、馬の世話もお手のものなのだ。
「ソフィア様、大変でございます!」
一番のお気に入りであるルルのたてがみをブラシで梳いていると、慌てた様子のメルが馬屋に飛び込んできた。ソフィアはルルの背を撫でながら、ゆっくりと顔を上げる。
「まあ、メル。一体どうしたの? 雌牛の出産にはまだ早いと思うわ」
「ソフィア様、大変です! 手紙が来ました」
「手紙? またハースさんかしら? 困ったわね。いくらお金持ちでもお父様よりも年上の方はちょっと躊躇してしまうわ」
「違くって!」
「じゃあランスさんかしら? この前、三十キロダイエットしてから出直してきてほしいとお願いしたのだけど、随分と早いわね」
「違う違う!」
「じゃあ、お父様が時々仰っている幻の求婚者ね? いつか迎えにくるって仰る割には正体不明の」
「違います! 王宮から!」
「オウキューさん? 記憶にないわ」
「だから! 王都の宮殿から、ソフィア様にお手紙が来たんです!」
ソフィアはメルの言っていることがよくわからず、こてんと首を傾げた。
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