おとぎのふたり
こころがうみこ
おとぎのふたり
「理央ちゃんが他の男の子と遊ぶなら、そいつのことを消してやる」
とは当時12歳の彼の言葉であった。
そんな物騒な言葉を受け取った私がまず思ったのは、非難でも恐怖でもなく、的はずれな確信だったのである。
(ああ、私)
(この人しかいないんだ)
▽
鏡の前に立ってヘアアイロンをかける。くせっ毛の強い髪に熱を当ててストレートにするのはいつも一苦労だ。毎朝これをするのだからたまったもんじゃない。その流れで歯を磨いて、丁度いい時間に玄関の扉を開ける。
「おはよう、理央ちゃん」
当然のように目の前に立っているのはにこやかな男。八の字に下がった眉と黒髪は、どこまでも平凡だった。
この男も含めて私の日常だ。
「駄目だよ理央ちゃん、夜遅くまで携帯つついてたら。寝る一時間前にはやめた方がいいんだって」
当然のように携帯の使用状況を把握している。
「あとね?あそこの酒屋さんの裏道も危ないから通っちゃダメって言ったでしょう。夜道は特に。電灯ついてないし」
当然のように私の行動を把握している。
「それと昨日はずっとあの男と話してたでしょ。何話してたの?俺のことなら話してもいいけどそれ以外のことはやめて欲しいなあ」
当然のように交友関係を統制してくる。
────────完璧だ。完璧すぎる。笑みが止まらない。
このとち狂った男、三木は私と同い年の大学生。小学校六年生からの幼なじみにして私のことが好きで好きで堪らないというヤンデレなのだ。
そう!ヤンデレ!
ゲームや本などの世界でその名を広めた彼らもしくは彼女らは基本的に排他的であり、また愛情が重いことで知られている。
私が、私だけでいい、私以外はいらない。
そんな重い感情を抱えながらナイフを振り回し、挙句の果てにその愛した人にすら切っ先を向ける……というのは流石にフィクションの世界だろう。
しかし、そのフィクションの世界を散々見てきた私にとって、どいつもこいつも馬鹿正直過ぎるのだ。この場合、どいつもこいつもはヤンデレを指すのではない。ヤンデレに好かれてしまった人間の方を指す。
フィクションにおいて、馬鹿正直な彼らはヤンデレから逃げようとする。私にはその行動の意味がずっと分からなかった。なんで愛されているのに逃げることがあろうか。ヤンデレはその名の通り、病んでいるのだから正気ではない。だからこそ盲目的だ。対象の粗を見過ごしてしまう。簡単に言うと、どれだけ借金を抱えようが、ヒモであろうが、死にかけようが、彼らはどうにかしてくれる。それがヤンデレなのだから。
乙女ゲームでヤンデレな攻略対象のバッドエンドを引き当ててみれば、監禁エンドだったことも首を傾げざるを得ない。
楽でいいじゃんね、働かなくていいんだから。
▽
小学校の時、三木が消してやるだなんて頭のおかしいことを言い出した時には、手を叩いて喜んだ。勿論心の中で。
私と三木は小学校六年生からの付き合いだと言ったけれど、実は保育園からずっと同じクラスだったと聞いたのは後の話だ。
私達は生まれてからずっと隣人だったのに、一言も話そうとはしなかった。だから私も三木のことを知らなかったし、興味もなかった。
三木と隣の席になってからも、特段たいしたことはなかった。強いて言うなら、私の悪癖を見られたぐらい。気まずい思いをした私は、確か笑って誤魔化したはずだ。三木が何を言っていたかは全く覚えていない。
隣の席同士だったから、当然掃除の班も同じになった。ここでも大したことを話した覚えはない。まあせいぜい、あのバケツ取ってくれる?とか箒取ってもらってもいい?とかそんなことぐらいだったはずだ。
いつものように掃除をしていたある日、ゴミ当番だった私が教室に戻って見ると、未だに後ろに下げた机が戻っていなかった。ちらりと男子を見ると案の定サボっているらしい。少々腹に据えかねながらも、一人で黙々と机を元の位置に動かしていく。
「あっ」
その声が聞こえた瞬間、びちゃりと嫌な音がした。ひんやりとする腹部を見てみると、汚くて擦り切れた雑巾がなぜだか張り付いている。なんでこんなものがあるんだろうと思って、クラスで一番ヤンチャな男の子がいることに気づいた。それで理由も何となく分かった。
そうしている間にも、雑巾は私の洋服にじわり、と染みを作っていくものだから。
私は怒った。めちゃくちゃに怒った。この洋服は母さんが珍しく買ってくれたものだったから、大事にしてたのに。お前らみたいな人間が触っていいものじゃなかったのに!
手当たり次第のものを投げて、その男の子に痛い目を見せてやろうと思った。
それなのに、誰かに後ろから羽交い締めにされる。私はそのことに余計腹が立って、まるで猪のように暴れ回ったけれど、男女の力の差というものは既にあったから、諦めて動きを止めた。
「理央ちゃん」
三木だった。
三木は今と同じように八の字の眉で、目元まである前髪からは視線が覗いていた。
彼は笑っていた。笑っていたけれど、それはどこかぎこちなかった。注射をされる時みたいな顔。何かを我慢している顔。
「なんでそんな顔するの」
私が問うても、三木は何も答えない。
ようやく返って来たのは、あの言葉だ。
「理央ちゃんが他の男の子と遊ぶなら、そいつのことを消してやる」
その言葉は存外心の中でストンと落ちてきた。
私はそこでようやく、三木を認識したのだ。
三木はそれからというもの、頓珍漢なことを言い始めた。
「理央ちゃん、他の男と遊ばないでよ」
そんな法律はないんだけど。
「絶対に一緒の中学校に行こうね、じゃないと許さないから」
許される必要は無いんだけど。
「理央ちゃんはどこの結婚式場が良い?」
純粋になんで?
三木はとち狂ったまま、私はこの男どうしたもんかなあと、などと呑気に考えながら中学校、そしていつの間にやら高校に進学。そこでヤンデレという概念に出会った私は、三木が如何に私の人生に有用であるかということに気がついた。三木は仮に私が借金を背負ったとしても連帯保証人になってくれる。車に轢かれそうでも助けてくれる。ご飯も作ってくれる。死ぬまで養ってくれる。
だって、私のことが好きだから。
でも正直なところ、なんでそこまで出来るのか分からない。好きっていうのは分かるよ。私もコンビニのアイスクリームが大好きだから。
でも、好きにそれだけの理由付けをする意味がわからない。
人を好きになることの、どこにそんな価値があるんだろう。
▽
「それはね、理央ちゃん。俺が決めたことだから。好きに価値があるんじゃなくて、俺にとって価値があるんだよ」
「三木にとっての価値?」
「うん。でもそれは秘密」
「ふうん」
私はびっくりするほどその秘密に興味が持てなかった。三木が私の保険金目当てで結婚しようとしていると言われたって驚かないだろう。保険金がかかっているかどうかも知らないけど。
「何でもいいよ、ほんと。私のこと助けてくれたら、養ってくれたら、上手いこと生活させてくれたら」
「そんな寂しいこと言わないでよ」
三木の耳にはフィルターでもかかっているのか。愁傷どころかめちゃくちゃなお願いだったはずだけれど。これがヤンデレというものらしい。
「じゃあコンビニでいつものアイス買ってきてよ」
「うん、いいよ」
「なにその手は」
「え?お金貰わないと」
「ヤンデレの癖に金取るんだ……」
100円玉二枚を渡しておいた。
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