第19話 「 引き寄せ合い、絶たれる恋人達 」

 夜の様に黒い雨雲を背に、女ゾンビが跳躍したのを青年は見た。

 一瞬の間に幾筋もの稲妻がひらめき、浮かび上がる女ゾンビが連続写真のように近付いてくる!


 しかし、魅入られた青年は眼を見開いたまま、ただ後ずさりするしか出来ない。




 皐月の眼は青年だけを捉え続け、


 ああ、なんて美味しそうなの!?

 心がゾクゾクする!


 吸い付くように青年の元へ一直線に向かう。

 その姿は、まさに獲物に飛びかかる雌豹めひょう


 到達するやいなや青年の両肩を鷲掴みにして壁へ叩きつけ、


 いただきまぁ・・・す!


 勢いのまま首元へ顔を寄せる。

 口をカッと開き噛みつこうとした瞬間・・・!



「グロリア!!」



 彼が叫んだ!


 その声に皐月の体がピタリと止まる!

 首まで後わずか・・・。



 シャリシャリシャリ・・・・・・



 皐月の中で何かにひびが入る音がした。


 パキッ・・・シャラシャラシャラ・・・・・・


 それは、薄氷が砕けるような音に変わり、皐月は声の主にゆるりと顔を向けた。



 目の前にいるのは、ウェーブのかかった灰がちなブロンドの青年。

 紫がかった青い瞳に皐月が映り込んでいる。


「ロウズ・・・すまない・・・・・・」


 甘く切ない声が、耳に届く。


 ああ・・・、懐かしい声・・・!


 皐月の心の奥から、別の心がするりと顔を覗かせて囁く。


 青年の顔は後悔に歪み、悲しそうに涙を流しながらこちらを見つめている。

 皐月の瞳から、一筋の涙が頬を伝って落ちた。


「僕が馬鹿だった・・・」


 亀裂から水が溢れ出すように、皐月の瞳から次から次へと涙がこぼれ落ちてゆく。




 私・・・泣いてる? 何故・・・・・・?




 戸惑う皐月の心が足場を失って狼狽ろうばいする。


 心の奥底から湧き上がる記憶の渦に、皐月はあっという間に飲まれていった。


「・・・ヒューイ」


 かすれた声で彼の名を呼んだのは、グロリア・ロウズ・ラシュワールその人だった。


「あぁ、ロウズ・・・ロウジー。ごめんよ・・・・・・」


 互いに顔を撫で抱き締め合って、声を殺して涙を流した。

 今までの記憶が走馬燈のように走り抜ける。


「君がこんな姿になってしまうなんて・・・!」


 あぁ・・・愛しい人・・・!

 生きていた!

 無事だった!!


 激しく強い感情の陰で、皐月はグロリア越しに青年への思いを感じていた。


 これほど強烈な喜びと安堵を皐月は今まで感じたことがない。


 これが愛情!?

 恋人と共に居る幸せ?

 分かち合う喜び?


 互いを思い合う心!?


 ああ! なんて心地良いんだろう!!


 強く抱き締めるヒューイの力強さがグロリアに強い幸福感を感じさせ、皐月も高ぶる感情の渦の中で幸せに酔いしれる。


「ごめんよ、僕が悪かった・・・」


 皐月にとって見ず知らずの青年のはずなのに、彼の温もりに声に抱き締める腕に、今まで感じたことのない高揚感を感じた。いや、グロリアの感情に飲まれているだけなのか・・・、皐月は分からないまま心をゆだねる。


「こんな事になるなんて・・・」

「ああ! ヒューイ・・・」


 互いに唇を寄せ合いキスをする。


「あぁ・・・こんなに冷たくなって・・・」


 ヒューイットは彼女の首筋に手を回し、頬を寄せて全身で彼女を感じた。

 グロリアもまた、彼に体を預け彼の体温を感じて幸せに浸る。


「少し騒ぎになれば良かったんだ、それだけだった・・・」


 震える彼の手が彼女の頭を撫でる。


「・・・・・・いま、何て?」


 グロリアが顔を上げ、皐月も感情の波から顔を上げる。


「許してくれ・・・」


「・・・何を言ってるの?」


 彼の声がわななく。


「君を失いたくなかった・・・」


 涙をほろほろとこぼして彼が見つめる。


「さっき、何て言ったの?」

「こんな事になるなんて思わなかったんだ」


 唐突にグロリアと皐月の心がピタリと重なった。


「どういう事なの!!」


 彼を突き放し手摺りまで後ずさった。

 顔を左右に振りヒューイットがうわずった声で懇願する。


「すまなかった! こんなはずじゃなかったんだ」

「何を言っているの!?」


 打ちつける雨がグロリアと皐月の心に冷や水のように沁みてくる。


「ほんの少し騒ぎになれば良いと思ったんだ」

「・・・何のこと?」


 ゾンビに関わる事だと薄々感じた。でも、彼の口から聞くまでは信じたくない。


「父さんがあの花を育てている事は知っていた。知ってたけど・・・」


「あの花って・・・?」

「ごめんよ」


 彼女にとりすがり、抱き締めるヒューイットの頬を流れ下るのが、涙か雨か・・・もう分からなかった。

 腕をふりほどき彼の胸を突いて問いつめる。


「あの花って何! 何をしたの!?」

「許してくれッ!」

「何をしたのッ!!」


 頭を抱え込み嗚咽を漏らす彼の肩を掴んで揺さぶる。


「言って! 何をしたの?」

「騒ぎの間に君を連れ出そうと・・・」


 泣き崩れそうになる彼にそれを許さず、彼女は彼の胸ぐらを掴んで恫喝どうかつするように叫んだ。


「ヒューイッ!!」


 彼の目が彼女の視線を受けて怯える。


「君がゾンビになるなんて思いもしなかったんだ、すまない・・・」


 彼女の顔を愛しそうに両手で包んで彼が嗚咽を漏らす。


「そこじゃない、私のことはもういいの! 私が聞きたいのはそこじゃないわ、ヒューイ!」


「ごめんよ、ロウズ・・・」


「お願い! お願いだからもっと詳しく話して、分かるように話してよ」


 彼の口から何度も謝罪の言葉が繰り返され、彼女はなだめなんとか彼を落ち着かせようと努めた。


「父さんが・・・ブラッディー・ローズを育ててるのを偶然見た・・・」

「ブラッディー・ローズ・・・」


 皐月が初めて聞くはずの名に、花の絵と恐怖の記憶が添って浮かぶ。

 グロリアの記憶がゾンビ草だと知らせてくれる。


「あの男が種を渡したんだ」

「男?」

「父さんは本物の花を見てみたいって言って、見るだけだ、見たら直ぐに切り捨てると言ったんだ。耳を塞げば大丈夫だからって・・・」


 何と言うことだろう。

 庭師の探求心がそうさせたのか?

 種を育てた?

 人をゾンビにしてしまう植物を!?


 皐月とグロリアが次々と疑問を言葉に代える。


「父さんの指に傷があるのを見た・・・」


 ヒューイットが微かに震える。


「普通に会話が出来た、父さんは死んでなかった。直ぐに切り捨てるって約束してくれた」


 彼の目が泳ぐ。


「日を追うごとに顔色が悪くなって・・・、ふらつくようになって・・・」

「ヒューイ・・・」


 忙しなく揺れる彼の瞳。


「倒れかけた父さんに騎士が手を貸した。その時・・・彼の手に小さな傷が・・・・・・」


 ヒューイットは聞きたくない音が聞こえるとでも言う様に両手で耳を覆う。


「あの日、厨房の手伝いに行ったハリエットも・・・。あと何人か傷の付けられた者がいたはず・・・」


 グロリアはゾンビではない状態で感染するとは聞いたことがなかった。驚愕する彼女の側で皐月はただ驚くばかりだった。


 グロリアの心が記憶を辿る。


 ブラッディー・ローズは音で人を誘う。

 人を刺しゾンビの毒を注入する。


 注入された人は?

 直ぐにはゾンビにならないのか?


 考えるグロリアの横で皐月も情報をかき集める。


 ウイルスに感染した人のように潜伏期間があるって事?


 ウイルス? 潜伏期間?


 皐月の記憶を借りてグロリアも考えを巡らす。


 刺された者と噛まれた者で違うのか?


「傷を負った人達はどうなったの?」


 ヒューイットに皐月が問う。


「具合が悪くなってきて、館で手伝う頃にはかなり調子が悪そうだった。下働きの人のベッドで横にしてもらったり、部屋の隅で休んだりしてた・・・」


 心が冷えて行くのを感じた。


「皆、忙しくて・・・。誰も彼らのことをそれ程気にしてなくて・・・」


 ヒューイットは顔を手で覆った。


「・・・・・・目覚めたときには、ゾンビだった」


 ああ・・・。とグロリアが呻き。

 パンデミック・・・。と皐月は呟いた。


(ブラッディー・ローズを切り捨てれば、その花から生まれたゾンビは死ぬはず!)


 グロリアが明確な記憶を引きずり出した。


「花は何処!?」


 顔を覆う手を退けてグロリアが彼に問いかける。

 彼女の顔を見てヒューイットは首を振った。


「何処にあるか教えて!」


 皐月が声を上げる。


「花を切ったら君が・・・君が死んでしまう!」


 彼は強くかぶりを振って涙をこぼした。


「教えて!」

「駄目だッ!」

「お願いだから教えて!」


「君は、死ぬ気だろ?」


 悲痛な表情でヒューイットが彼女の頬を撫でる。


「救える魂を助けるまでは死なないわ」


 グロリアがヒューイットの瞳の奥を見据えてそう言った。


「花は何処にあるの?」



「ーーー花は・・・!! ぐふっ!」


 観念して場所を言おうとする彼の口から血が噴きだす。


「ヒューイ!?」




 彼の胸から白銀の刃が突き出ていた・・・・・・。




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