第3話 「 部屋の外 」

 身をすくませてじっとしていた皐月さつきの耳に、また悲鳴が届く。今度は女性の声だった。そして、その声は近かった。


 皐月は恐る恐る窓辺へ近付いた。

 窓から見える景色にこの部屋が1階ではないと分かる。広い庭に視界を遮る高い物が無いせいもあり、遠くまで見渡せた。


 綺麗に剪定された木々は美しいシンメトリーの世界を作り上げていて、いわゆる貴族の館の庭園・・・と言って差し支えのない美しさ。眼下の庭は人の背丈程に刈り込まれたラビリンス状に作られていて、所々に人の姿を見ることが出来た。


 ラビリンスの中を慌てたように走り回っている者もいれば、じっとしている人もいる。そして所々で人が集まっている所もあった。


 皐月は窓をそっと開いて眼下に目を落とす。


 誰かが窓の下に居るようだった。

 少し身を乗り出してそっとのぞき込むと、数人が何かに多い被さっているところだった。「何をしているのだろう?」とじっと見つめていた時、人垣が分かれ地べたに転がる赤いかたまりに目が止まった。


「・・・・・・!!」


 皐月は悲鳴を上げそうになって咄嗟とっさに自分の口を押さえた。そして、そっと窓を閉じ震えた手で鍵をかけた。


「な・・・何? 嘘でしょ!?」


 声を震わせながら窓の側から離れた。


 皐月の目が捕らえた塊は、女の人だった。


 首はあらぬ方向へ曲がり、目は見開かれたまま。

 彼女の腕や脚からは大量の血が溢れ出し、途中から無くなっていた。ざっくりと裂けた腹部からは内蔵と思しき物が飛び出して周りを鮮血で真っ赤に染め上げていた。のし掛かる男に身動きのひとつもなく、苦しむ声すらあげない。


 確認などしなくても、一目で死んでいると分かった。


 亡骸なきがらとなった彼女にたかっていた男達は立ち上がり、何かを手にほおばっている。それは、遠目にはフランスパンのバゲットをかじっている様に見えた。


 ・・・が、違う。


 彼等がその手に持つ物は、彼女の腕! そして、足だった。

 男達の服や体は血にまみれ、今にも血の臭いがあがってきそうに思えた。


「うっ・・・!」


 思い出したくもない映像が脳裏に焼き付いて皐月は吐き気にうずくまる。耳に届かなかったはずの骨を砕く音さえ聞こえてくる様に思えた。


(何なのこれ! ゾンビ映画!? どこかのスタジオにでも紛れ込んちゃったの!?)


 いっそ、そう思いたかった。

 口を押さえたまま目だけをきょろきょろと動かし、ここでじっとしていて良いのだろうかと考えた。


「何処かに逃げた方がいいの?」


 しかし、逃げるといっても何処へ? ここが何処なのか分からない。何処へ行けば安全なのか、どのルートが安全に逃げられるのか全く分からない。


 怯えながらも忙しなく頭を働かせていた皐月の目に扉が写った。

 その扉は塞がれていた。

 正確に言えばバリケードされていた。扉の前に横長のテーブルが置かれ、その上に幾つかの椅子が乗せられてサイドテーブルの様な物も横倒しに置かれていた。


(ここに逃げ込んだって事・・・だよね? あのドアを開けて入ってきたりしないよね?)


 返答してくれる相手もいないのに、皐月は心で誰かに尋ねる。

 改めてゆっくりと部屋を見回すと、バリケードされた扉の反対側の壁に、もうひとつ扉があった。


 皐月はゆっくり立ち上がって、何も置かれていない無防備な扉に近付いて行った。

 恐る恐るドアノブに手をかけてそっと引く。細く開けた隙間から中を覗き、何かあれば直ぐにでも閉められる様体勢を整えながらさらにゆっくりと開けていった。


 床のタイルが見え、窓があり、部屋の中央に猫脚のバスタブが据え付けられていた。

 そこは浴室だった。

 浴室も綺麗に飾りたてられ天井には空が描かれて天使が舞っていた。こちらにも綺麗なシャンデリアが下がっている。


 皐月は浴室へと入り、変な者がいないかと調べ始めた。

 置かれた家具に隠れて見えない部分を確認し、何も居ないことが分かってやっとほっとした。 元の部屋へ戻ろうとした皐月の目の端で何かが動いて、


「きゃっ!」


 思わず声を立ててしまった。

 なんのことはない、自分の姿が鏡に映っていただけだった。


「あぁ~・・・。何よ、私・・・私よね。そう、この外人さん私だったわ」


 腰の力が抜けて皐月はぺたりとタイルの上に座り込んだ。そしてクックックと笑った。


(ああもぉ、何で笑ってるの? 私)


 安心して立ち上がり元の部屋へと戻った。浴室からはこちら意外に出入り口は無かった。窓から進入されない限り大丈夫そうだった。




(さて、どうしたらいいか・・・)


 皐月は姿見の前に立ち自分の姿を再認識しながら考えていた。そして、もう一度外への出入り口らしい扉を見つめる。


( 外に行くにはあの出入り口だけ。 ーーーで、あの扉を破られたら逃げ道はない )


 ふと、扉を見つめる目が乳白色の床の赤い染みを捉えた。

 赤い染みは何かに引きずられるように、かすれながらズルズルと線を引きベッドへと向かっていた。そこは意識が戻るまで横たわっていた場所だ。


 皐月はドレスの裾を引き上げて後ろの血の固まりに目を向ける。



(あれは私の血?)


(もしも、別の何かの血だったら?)


(ベッドの下で何かが虎視眈々こしたんたんと狙っているとしたら!? )


 皐月は沸き上がって来る悪い想像を止められず、長い間ベッドの下を見つめ続けていた。


(・・・大丈夫。きっと何もない、何もない、何もない)


 確認せずにはいられず、心で何度も「何もいない」と唱えながら、びくびくとベッドへ近付いて行った。


 腰を屈め、出もしない唾を飲み込もうと喉を上下させる。息を整え、心の中でカウントしてベッドの下側に手を伸ばす。そして、光沢のあるフリル状の布に手をかける。


(・・・3、2、1、0!!)


 ばっと勢いよく布をめくり上げ、


「きゃぁーーー!!!」


 悲鳴を上げた!


 暗いベッドの下に光る双眸そうぼうを皐月は見た。

 それは「シャァ!」と声を立てて銀色の閃光を発しながら、皐月の腕を追って襲いかかってきたのだ。


 間一髪、皐月の腕が退くのが早かった。


 襲いかかってきたものはベッドから出ては来ず、皐月は仰向けのままに倒れた。そのまま尻を床に擦りながらベッドから離れ、壁にぶつかってようやく動きを止める。


 腕を胸に抱きしめてベッドの下を凝視していた。


(怖い怖い怖い! 何? 何? 今のは何ッ!!)


 ガクガクと震えながら、ただただベッドを見つめた。




 ドンドンドンッ!!



「きゃあ!」


 突然、 扉が打ち鳴らされた!


 ドドドド!! ダンダン!! ぐわぁぁぁーー!


 扉を激しく打ち鳴らす音と共に複数のうめき声が漏れ聞こえてくる。とうてい人の発する声とは思えない声だった。

 皐月が扉に一瞬気を取られた瞬間ベッドから何かが飛び出して、皐月はゾッと青ざめながら目でそれを追った。だが、姿を確認する間もなくそれは家具の下へと潜り込んでいった。


(誰か来て! 助けてッ!!)


 ドンドン ダン! ぐぉぉぉー! がぁぁ!


 人の腕をむさぼり食う男達が脳裏に浮かび上がり、扉の向こうに立つその姿を想像して震え上がった。


 両手で耳をふさぎ、声を立てないように皐月は精一杯歯を食いしばった。






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