fragment6 結愛の章(終)
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あの教室の惨状はアキ君がやった事になった。
理由はストレス発散だとアキ君が言った。苦しい理由だけれど、アキ君にはそういうイメージが染み付いているから皆納得したみたいだ。
再度の停学処分――厳密に言うなら出席停止という形だ――にはならなかった。そもそも中学校で出席停止なんてよっぽどの事が無くてはそうそう起きない対応だ。
だから今回は厳重注意を受け、奉仕活動を命じられているだけだった。
私は一切疑われる事も無く、教師やクラスの皆から心配されるだけ。
私がやったのだと言っても誰も信じてはくれなかった。アキ君に脅されているんだろうとか弱みを握られてるんだろうとか、辻褄の合わない馬鹿みたいな憶測が生まれただけ。
あの状況ならアキ君は私を助けるために悪役を買って出るだろうって今の冷静な頭なら予測がついただろうに。そして、そうなれば後はどんな状況になるかなんて火を見るより明らかだ。
だからこうなるのも分かっていたはずなのだ。
期待してしまったのはまだ私の精神が混乱しているからなんだろう。
「ねえ、お父さん、お母さん。日記見てくれた?」
事件から数日経ったある日の夜、お父さんとお母さんが珍しく二人揃って帰ってきた。
どうやら自分が暴れた犯人だと言った私の精神状態を危惧した学校側が連絡を寄越したようで、私を心配して帰ってきたのだという。どうせ世間体を気にしただけだろうけれど。すぐに仕事へ戻る気のくせによくやる。部屋着に着替える気配が無いのがその証拠。
けれどちょうど良かったから、リビングに集まった二人に私は当日に起きた事実を詳細に書き記した日記を見せた。もしかしたら日記の内容を信じてくれるのではないかと淡い期待を込めて。
読み終えたお母さんは日記を閉じると私の前に来て、優しく抱き締めた。
「本当に結愛は優しい子ね」
「えっ?」
「いくら幼馴染だからってあんな子を庇わなくていいのよ」
淡い期待はすぐに
……………ああ、やっぱり。
「結愛がこんな事しないっていうのは俺達が一番良く分かってる」
視線の先でお父さんは深く頷いている。何も分かってないくせに。
「もうあの子とは縁を切りなさい。あんな野蛮な子と関わるなんて結愛のためにならないわ」
「そうだな、それが良いよ。片桐さんは子供をどう躾けているんだかな。突然教室で暴れだすなんて動物じゃあるまいし」
小馬鹿にするようにお父さんが笑い、お母さんも釣られるように笑う。
他人を
そんな二人の子供だと思うと心底
自分もその程度なのだと証明されたみたいで、アキ君のようにはなれないのだと言われているようで、
「…………」
ここで反論したって意味は無い。ただ二人の耳を通過するだけだ。
だから口を閉じ、目を伏せた。
もういい。疲れた。
「そうだ!今日は結愛の好きなナポリタンにしましょう!」
「おお!チーズが沢山乗ると喜ぶんだったか?けどそんなにチーズ食べたら太るぞ?」
こんな時だけ親面して、気持ち悪い。
別にナポリタンもスパゲティも好きじゃない。
たまに帰って来て作ってくれた料理を気を遣って美味しいと言ったらそういう話になっていただけ。チーズだって、味が薄かったから沢山かけていただけ。
「そうね、お父さん。気をつけるわ」
ロボットみたいに口を動かした。
結局この人達も自分の事しか見えてない。
穢れた仮面を被った私を肯定する愚か者。路傍の石。
「理解なんてこれっぽっちもしてくれないのね」
だったらあなた達なんて要らない。家族じゃない。ただの他人だ。
そう思うのに、まだ彼らの理想であろうとしている自分が情けなくて、気持ち悪くて、大嫌い。
小さい頃に自身の根幹に染み付いたものは簡単に落とせない。もう一生私はこのままなんだろう。
本当に大嫌いだ。
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夕食を終えて二階の自室のドアを開ける。明るい廊下から覗く真っ暗な室内は整然として色が無い。
フローリングの床とベッド、机、本棚。それだけ。飾りや遊びが一つも無くて出来の悪いジオラマみたいだ。
自分が無い、誰かの理想でしか無い私にはぴったりの部屋。
電気を点けずに入って扉を閉め、ベッドへ仰向けになった。
見慣れた白い天井は安心感なんか与えず、私の虚無感を助長するだけ。
息苦しくて視界がぼやける。
「アキ君…………」
自然と愛しい人の名前口から漏れた。
思い起こされるのは、私が教室で暴れた時に無理して出したであろう露悪的な表情と言葉。
全部私を守ろうとしたためにしていた行動。だけど全然嬉しくなんて無かった。
だってあまりにも優し過ぎる。あなたがそんなに優しいから、私は悪者になれなかった。
「酷いよ」
もう私に振り絞る勇気は無い。この仮面を取る機会を完全に失ってしまった。
果てのない荒野に置き去りにされたよう。
アキ君の優しさが今は毒だ。
…………そっか。きっと霞ちゃんもこういう思いだったんだ。
クラスの皆が言うようにアキ君は霞ちゃんに酷い事をしたんだ。アキ君が眩しいくらいに優しいから、その優しさが霞ちゃんを蝕んで、苦しめて追い込んだんだ。それで死を選んでしまった。
「そうよ。それならちゃんと復讐が出来るじゃない」
良い事を思い付いた。思わず口の端が上がる。
これから先、アキ君を真綿で首を絞めるみたいに追い詰めてあげよう。
霞ちゃんに友達らしい事をしてあげられなかった私の唯一の償い。霞ちゃんを追い込んだ犯人が分かったならそれが出来る。
そして、そうすればアキ君は私の〝ホントウ〟の姿に気づいてくれる。〝ホントウ〟の私は醜い。嫌いになって、罵って、罰してくれるだろう。皆がしてくれない事を代わりにアキ君がしてくれるんだ。罰を受けるなら大好きな人からが良い。
声に出して笑ってしまう。なんて妙案だろう。一石二鳥だ。
ねえアキ君、羨ましいよ。なんであなたはそんなに綺麗なの?真っ直ぐで清々しいの?
私とは違くて、あまりにも遠い。
優しくて格好良くて、妬ましい。
だからあなたが好き。
だからあなたが嫌い。
私と一緒になって欲しい。
私と一緒にならないで欲しい。
私の中の思いが糸みたいに絡まってぐちゃぐちゃになっていく。
矛盾だらけでどれが自分の本当の気持ちなのか分からない。
それもそっか。私はもうおかしくなってしまったのだから。
# #
大学で彼を見かけた。
同じ高校、大学に入ったのは本当に偶然。私は彼に入る高校や大学を教えていなかったし、教えていたら彼は絶対に違う学校にしていただろうから。
だからこれは運命なの。
「アキ君」
今日も私は彼に声をかける。
目を眇めて振り返る彼の顔にうっとりとした。私や周りの路傍の石とは違う〝ホントウ〟の優しさを持った人。
高校生になってから私はアキ君が嫌がる事をいっぱいした。小さなイタズラから、人間性を問われるような事まで。
とりわけアキ君が怒ったのはアキ君の友人や知り合いに累が及ぶ事を手引した時だ。
自分に何かをされた時は反応が鈍かったのに、ああいう時はとっても怒るのだ。
アキ君のバイト先の後輩の子へちょっかいを出した時なんか凄かった。とても綺麗でどきどきしたなぁ。
どうして私はアキ君の怒っている顔が好きになったんだろう。怒りを向けられて救われたような気持ちになるんだろう。いつからこんな風になってしまったか忘れてしまった。
ただこれだけは覚えてる。
私は霞ちゃんのために、私のために、愛しいあなたを苦しめて追い詰めるのだ。
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