fragment6 結愛の章(3)


 同じ図書委員という事もあって放課後に菊池さんと会う機会は少なくなかった。

 私はいつもの通り、皆と同じように接した。すると彼女は私の事を気に入ったようで、


「あっ、赤坂さーん!」


 こうして私を見つけると子犬のように駆け寄って来るのだった。

 野暮ったい髪が目を隠していて、目が隠れている犬(オールドって言ったかな)みたいだなぁって思ったり。


「菊池さん、図書室図書室」

「あ、ご、ごめんなさい」


 苦笑いして地面を指差してあげると菊池さんは申し訳無さそうに周囲へペコペコと頭を下げて入り口横の貸出しカウンターの椅子に座り、小さくなる。

 今日も図書委員で、貸出しの受け付けをするのが私達の仕事だった。曜日ごとに二人ずつ担当で、ペアはくじ引きで決まる。

 くじで菊池さんとペアになった時は少しほっとした。だってレオナちゃんとペアになったりしたらとても面倒なのは目に見えていたから。駄々をこねられて仕事どころじゃなかっただろう。


「そんなに縮こまらなくても良いけれど」

「だ、だって、大声出しちゃって恥ずかしい……」

「いつもよりずっと大きな声だったものね」

「うぅ」

「冗談よ」


 私が笑うと菊池さんは「意外に意地悪ですよね」とジトっとした視線を送ってくる。

 ある程度話せるようになったらこういう軽い冗句じょうくも必要だ。気安さのある雰囲気を作らないと皆から好かれないからね。


「あ、そうそう。おすすめしてもらったライトノベル読み終わったよ」

「えっ、早いですね!私も貸してもらったの読み終わりました!」

「そっちも?」

「本読むのだけは早いんです」


 えっへん!とでも言いたげに胸を張っている。


「じゃあ後で感想言い合いっこしましょ!」


 図書室での受け付けのペアになってからというもの、お互いにおすすめの本を紹介して読んでもらい、感想を言い合うというのが通例になっていた。今回は四回目。

 図書室は完全下校時間になる直前は人が居なくなる。その時間に二人でささやかに盛り上がるのだ。

 菊池さんは感想を言い合える日になると見るからに楽しそうにしてくれる。かく言う私も本の感想なんて真剣に語れる機会が無いから結構楽しみだったり。


 日が落ち始めてオレンジの光が部屋に差す。今日も図書室が無人になったところで、菊池さんが私に目線で合図を送った。私は頷いてカウンターから出て図書室の半分を占める大きい机の椅子に腰掛けた。菊池さんも続いて対面に座る。

 お楽しみの時間の始まりだ。


 #


「――だからこのケンタと〝わたし〟との心が段々近付いていく描写がこのお話のキモなんだなぁって思いました!」


 うんうんと私は頷く。

 私が貸した小説は有名な作家さんの短編小説。読みやすい文章で幅広い層から人気がある。と言っても同い年で読んでる人は見た事が無かったから、菊池さんがどう感じたのかとても気になっていた。

 菊池さんは少し考えが浅いなぁと思う所もあったけれど、こうやって同年代の子から意見が聞けるのはとても楽しい。

 最後には「面白かったです」と締めくくって、菊池さんの感想は終わった。次は私の番だ。

 私は先日買ったカラフルな文字と絵柄の載った表紙の小説を鞄から取り出す。

 菊池さんからおすすめしてもらったこの本はファンタジーのライトノベルシリーズだった。

 魔術や魔物がある世界。魔術の天才と呼ばれた貴族の青年がとある理由で貴族を追われ、その数年後に貴族のお嬢様の魔術家庭教師になる話。

 ラブコメディとバトル、人間ドラマの入り混じった作品だ。全7巻で既に完結しているんだけど、


「これ、面白くって一気に全巻読んじゃった」

「えぇっ!?読み終わったって、全巻読んじゃったんですか!?」

「一日一冊くらい?」

「わぁー!凄いです!感激!えっと、えっと、赤坂さんはどのキャラが好きですか?私サレンちゃんが一番好きです!」

「うんうん、いいよねサレンちゃん」


 愛嬌があって優しくていつも周りの事を考えている女の子のサブキャラクター。

 こんな子には憧れてしまう。


「サレンちゃんと騎士団長のガントさんの恋愛模様とかが特に好きなんですよー!最初は仲悪かったのに、段々とお互いの事を知っていって、少しずつ距離が縮まっていくーみたいな!」

「最終決戦の時も四大魔人に二人で立ち向かってたもんね」

「そうそう!そうなんですよーー!あ、けど、最終決戦の二人の戦いがちょっと微妙じゃなかったですか?」

「もしかして最後の合体魔術?」

「ですです!なんでこんなの出せたのー?って思いませんでした?ご都合主義みたいでそこだけちょっと……」


 菊池さんのその言葉に私はムッとなった。なんで全部読んだのに分からないかなぁ。少し考えれば分かる事なのに。

 ネットでも同じ事を言ってる人が大勢いてちょっと信じられなかった。好きならもっとちゃんと考えて読んでよね。

 私はバッグの中から第三巻を取り出してその中の一説を菊池さんに見せ、


「全然ご都合主義じゃないよ。見て、ここのガント団長が言ったセリフが、騎士団の中で帝国の在り方に疑問を抱いたサレンちゃんに凄くリンクしてるの。他にもいろんなセリフからそれが推測できるんだけど……とにかく、だから、最終決戦ではサレンちゃんとガント団長が合体技を出せたんだと思うの。だって魔術って心の在り方が関係してるわけでしょ?似た心を持った二人だからこそこの合体技が出たのよ。二巻でも合体魔術っていう概念の説明がされてて、明言されてないけど心が通った人同士が使える技なんだなって分かる描写もあるし。なのに皆「このシーンはご都合主義だ」とか「脈絡無さすぎw」とか言うの。やになっちゃう。もっと深く読めば分かるって言うのに…………」


 ふと、我に帰った。

 視線を少し上に上げると唖然とした表情で固まっている菊池さん。

 頭の中が急激に冷え、サーっと血の気が引いていくのを感じた。


 やってしまった。やってはいけない事をしてしまった。熱くなって相手の意見を真っ向から否定した。仲良くしたいなら絶対にしちゃいけない事。

 今まで同級生と好きな小説について感想を言い合ったりして来なかったから、自分がこんなに制御が効かなくなるなんて分からなかった。


「ご、ごめんね!急に熱くなって……」


 こんな〝ウザい〟事したら幻滅される。

 また小学校の時みたいに〝キモい〟って、〝最低〟だって言われて除け者にされてしまう。

 嫌われたくない。嫌われたくない!

 怖くて顔を俯かせた。俯いたまま、処刑を待つ罪人のように固まって震えた。

 汗がじわりと背中に滲む。

 数分にすら感じる沈黙。



「凄い!そんなに深く考えてませんでした私!」



「えっ」


 しかし、沈黙を破ったのは弾んだ菊池さんの声だった。

 悪意なんて無い、むしろ正反対の声色。


「……なんで」


 私は目を丸くした。

 本音を出して見苦しく語ってしまったのに、なんでこんなにキラキラした目を向けてくれるんだろう。


「赤坂さん!」

「え?う、うん」

「もっと赤坂さんの考え、教えてください!」


 鼓動が高鳴った。

 ふわふわと浮き上がるような高揚感が内側から染み渡るようにして身体を巡る。


 嬉しい。

 久し振りに味わう純粋なその感情に、私は戸惑っていた。



 # #


「最近結愛付き合い悪くね?」

「あー分かるー。もしかして、あの時の地味でくらーい子と遊んでたりー?」


 ある日の放課後。先生が教室から去ってすぐ。

「今日はやる事があるから」

 そう言って放課後三人で遊ぼうというユウキちゃんとレオナちゃんの申し出を断った途端、二人は口を尖らせた。

 私は鞄を肩にかけて今まさに去ろうとした所で立ち止まる。

 授業から解放されたクラスメイト達のざわめきが少し遠くに聴こえた。今までこの子達から向けられたことの無いを感じた瞬間、針で縫われたように足が地面を離れず、歩みが止まった。


 二人は私の机の周囲の机の上に座って話し始めた。


「地味?暗い?誰それ?」


 レオナちゃんの言葉にユウキちゃんが食いつく。


「最近図書室で仲良さそーに話してる二人を見たんだよねー」

「だから誰だってばそいつ」

「んー、なんてゆったっけー?とにかく地味な子だよぉ。確か四組」

「四組?……あ、もしかしたら知ってるかも。家がビンボーで風呂もろくに入れてなくて貧乏神って言われてるキモいやつ?」

「そうそう」


 レオナちゃんは嬉々として頷いた。


「へぇ意外。そんなのと仲良くしてんだ結愛」


 ユウキちゃんはちょっと引いたみたいな、げんなりした顔。

 心臓が跳ねた。

 視線がユウキちゃんから逸れる。


「そんなわけないじゃん。勝手に懐いてるんだよ。結愛ちゃんは優しいから嫌って言えないんだよー。ねー?」


 臭い。キモい。

 それは去年まで自分が言われていた悪口。

 冷や汗が止まらなかった。


 友達の悪口を言われている。とても嫌な気分。だから止めて欲しいって言わなきゃ。

 なのに口が動かない。震えるだけで動いてくれない。


 言えば引き返せなくなるから。周りから悪く思われている子を庇ったりすれば、私はその子の〝仲間〟だと認識される。認識されたら今度は私が攻撃されてしまう。小学校の時と同じように。

 絶対に嫌だった。

 それが嫌だから私は仮面を被ってクラスメイトと接しているんだから。


「う、うーん、どうかな……」


 やっと口から出たのは、そんな曖昧な返事。


 じくじくとペンで傷口を抉るような痛みが広がった。

 私はなんて汚い人間なんだろう。


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