fragment6 結愛の章(4)
ユウキちゃん、レオナちゃん、アイちゃんの三人と軽くおしゃべりしてから学校を出た私は、冬の近づきを知らせる冷たい風を受けながら帰路についていた。
今日は放課後に遊びに行くなど無く、早めに解放されて少し気分が良かった。うきうきした気持ちで地面を踏み締める。
道路脇に落ちた落葉を踏み締める度に小気味良く鳴るクシャリとした音が私はちょっと好き。低い位置で沈む太陽が落葉へめいいっぱいに光を当てていて燃えているみたいなのもなんだか詩的で素敵だ。
「〝冬は終わりの季節。だからこそこんなにも美しい〟」
「それって『ウルトラ・クエスト』?」
「っ!?」
私の呟きに反応があった。
意識の外から声に肩が跳ねる。
背後へ振り向くと、
「ご、ごめん!驚かせるつもりは無かったんだけど」
背後には野暮ったい髪で目元まで隠れそうな黒縁眼鏡をかけた女の子……
少し前に仲良くなった違うクラスの子だ。
学校の中で唯一、一緒に居て息が詰まらない子。かけがえのない友人である。
「こっちこそごめんね。私ぼーっとしちゃってた」
私は笑顔で返しつつ、霞ちゃんの方に向いた。
制服姿の彼女は寒そうに身体を小刻みに震えさせながら、
「本当にごめんね結愛ちゃん。『ウルトラ・クエスト』のセリフかなって思って、つい」
「うん、合ってるけれど……、恥ずかしいから言いふらさないでね?」
小説の一説を口走って浸っていたなんて知られたら自分に酔ってるって馬鹿にされちゃう。霞ちゃんは「そんな事しないよ!」と手を精一杯振って否定した。本当に良い子だなぁ。
「ところで霞ちゃんはどうしたの?家は反対方向じゃなかったかな?」
「え?えーと、ふへへ、結愛ちゃんなら話してもいっか」
そう言って霞ちゃんが掲げたのは何やら手書きのチラシだった。
聞くと、知り合いに個人経営の洋服屋さんが居て、そこの特売のチラシをお得意様のポストに入れている最中らしい。
こうやって知り合いの
「本当は駄目なんだと思うんだけどね……」
確かに、中学生はまだバイトは出来ない。
まあ、このくらいの小さなものだったらグレーゾーンかなって思う。貰ってるお金も三桁に収まるくらいみたいだし。
でも、そんな事をしなくちゃいけないくらい、やっぱり霞ちゃんの家はお金が無いんだ。
何か手伝えないかと思うけど、他の家の事情には首を突っ込むなって言われてるし。しょうがない事なんだよね。
「あれ?どうしたの結愛ちゃん、も、もしかして私、何か嫌な事言っちゃった?!」
考え込んでたら、どう勘違いしたのか霞ちゃんがあたふた。
「ううん、大丈夫よ。ちょっと今日の体育で疲れちゃっただけ」
「あ、もしかして今日シャトルランだった?」
「そう。霞ちゃんはもうやった?」
「うん、なんとか終わったよ〜。そっか、じゃあ家でゆっくり休まなきゃだね。ごめんね引き止めちゃって」
「全然大丈夫よ。いっぱい声かけて?」
私が冗談交じりにウインクすると、霞ちゃんは顔をふにゃりと綻ばせ、
「ふひひ。うん!ありがと!」
独特な笑いと共に駆け出して行った。
その笑い方は直した方が良いかもなぁ。
世の中、何か一つでも変わったものを持っていたら除け者にされてしまう。特に霞ちゃんは色々な点からして、周りから異端だと思われている節がある。とりわけ思考が特殊だ。異常と言ってもいいほどに。だからちょっと心配。うーん。
「おーい!結愛ねーちゃーん!」
と、霞ちゃんが去ってすぐ、また背後から走ってくる音と共に大きな声が聞こえた。
振り向かずとも誰なのかはすぐ分かった。
私をこの呼び方で呼ぶのは……、
「アキ君」
振り向く。
視界に入ったのは私と同じくらいの身長(140センチくらい?)で、私の家の隣に住む男の子、
小学校に入る前からの付き合いで、いわゆる幼馴染。
出会ったきっかけは、私のお父さんとアキ君のお父さんが大学からの友人とかで仲が良かったから、お互いにちょこっと家にお邪魔したりする機会があって……という感じ。
今は一緒に遊ぶ機会は減ったけど、それでも霞ちゃんと同じ、私が心許せる数少ない子だ。
「久し振り!今帰り?」
「久し振りって、昨日も電話で話したじゃない」
「直接会うのは一週間ぶりじゃん」
不満げに口を尖らせるアキ君。
それはそうだけれど、一週間は久し振りとは言わないと思うな。
まあ、久振りに感じる期間は人それぞれだけれど。
「アキ君も帰り?」
「うん。クラブの後」
「そっか、だから帰りがちょっと遅いのね」
クラブと言うのは文字通りクラブ活動の事。私の通ってた小学校ではクラブ活動が放課後に週一で行われる。中学校の部活動の予行練習みたいなもので、生徒全員がいずれかのクラブに入らなければならない。ちなみにアキ君はバスケットボールクラブに所属してる。
「今日も試合したの?」
「うん。俺のチームが勝った」
と言いつつも、アキ君の声は固かった。
「勝ったのに嬉しくなさそうだけれど?」
「いや、全然、嬉しいし」
「もしかして、誰かと喧嘩しちゃった?」
顔を覗き込むと、アキ君は「う」と言葉を詰まらせ、
「…………結愛姉ちゃんって、エスパー?」
「ふふ、幼馴染だからね」
分かるよ。アキ君は最近喧嘩が多いもの。
なんだか血の気が多くなってきていると思う。
その理由を私は知っている。
アキ君は家に居場所が無いと感じている。だからその寂しさが苛立ちへと変わっていってるのだ。
ある日アキ君がぽつりと洩らした。アキ君はお母さんから「愛せない」って言われたんだそうだ。酷いと思う。本当に可哀想だ。親の言う言葉じゃない。
それを聞いてから私は一層彼に仲間意識を抱くようになった。少しでも力になりたいと思う。
「ちゃんと喧嘩しちゃった子に謝るのよ?」
「やだよ」
「どうして?」
「だって鈴木のやつ、バスケ上手くないやつに「下手なんだからもうやるな」って言ったんだ。殴られて当然だね」
暴力まで振るったみたいだ。
だけど喧嘩した理由はいつも立派なのがアキ君らしいな。
「それでも暴力は駄目よ。明日ちゃんと謝るの」
「…………はぁい」
「うん。いい子いい子」
私はアキ君の頭を優しく撫でた。
こそばゆそうに目を細める彼は見ていて癒やされる。
男の子だったら女の子にこんな事されて嫌がりそうなものだけど、多分こういう事に憧れてるんだろうな。
「ねぇ結愛姉ちゃん、今ヒマ?何か予定あんの?」
「うん?特に無いけれど……」
「じゃあ今から遊ぼうよ!」
突然の申し出に私は数度まばたき。
「遊ぶって言っても、もうすぐ暗くなっちゃうわよ」
「ちょっとだけで良いからさ」
上目遣いで懇願にも近い表情を私にぶつけてくるアキ君。卑怯だそんなの。
私は苦笑して息を吐いた。熱気のこもったそれは冷えた空気にじわりと溶けていった。
「しょうが無いなぁ」
「やった!じゃあ運動公園でいい?」
運動公園とは近所にある少し大きめの公園の事。バスケットゴールやサッカー場など、市民が自由に使える場所だ。
「良いけれど、何するの?」
「バスケ!結愛姉ちゃん上手いし、練習相手になってよ!」
「
「うん!」
「分かった。でも、ちょっとだけだからね。もう暗くなるんだから」
「はぁい。…………なんか、結愛姉ちゃん変わったよな」
少し訝しげに首をひねるアキ君。
私も同じように首を傾げた。
「だって、前はもうちょっと大人しい感じっていうか、人気者なのに後ろに隠れて本読んでる感じっていうか……んー、今は大人みたいだよ。結愛姉ちゃんっぽくない」
雲で夕日が
冷えた空気が顔に当たる。
「なにそれ、今まではお子様だったって言いたいのかしらー?」
脇腹を
その後ちょっとだけじゃれ合って、一旦荷物を置くために帰る事になった。
アキ君の笑顔を見て、思う。
――それはきっと、私が汚くなったからだ。
# #
アキ君と夢中になって遊んでいたら帰るのが遅くなってしまった。
時刻は夜の7時頃。外は真っ暗で、街灯の少ない田畑ばかりの道はちょっと怖かった。アキ君が必要以上に怖がって手を繋いでこなかったらちょっと取り乱していたかも。
私は家の玄関のドアを開けた。
一戸建ての少し新しめの家だ。大きさも他の家より一回りくらい大きい。それだけが自慢の家。
「ただいま」
返ってくる言葉は無い。
目の前に広がったのは大口を開けた深い暗闇。すぐに電気をつけ、まっすぐにリビングへ向かった。
リビングの電気もつけ、何の気なしに視線をキッチンの方へ。
大きなダイニングテーブルにぽつんと置かれた封筒が目に入った。
中身は分かっていた。逆さにして中身をテーブルの上に出す。
一万円がざっと二十枚くらい。
うん、いつも通り。今週もまともに帰ってくる気は無いみたいだ。
私はそれを乱雑に置いたまま、ソファーに座ってリモコンを取り、壁につけられた大型テレビの電源をつける。
番組はちょうどCMの最中。〝幸せな家庭を築くために〟とか言って、談笑しながら食卓を囲う家族の姿を映し出していた。
「幸せ……」
幸せな家庭って、こういう姿の事を言うのかな。
私はどうなんだろう。
これ、幸せかな。
周囲を見渡す。私一人だけの広い室内。木の色と柄を基調とした壁と床。背後には必要最低限に置かれた引き出しと戸棚。右横にはキッチンとダイニングテーブル。ここにあるのはそれだけ。
分からない。私が小学校中学年くらいの頃には、家に誰もいなくなるのは当たり前だったし。
父は製薬会社の副社長で、今は海外へ長期出張。
母はジャーナリストで、家に帰る事はほとんど無い。だからといって二人とも仕事に不満なんて無く、むしろ楽しそうな感じ。
いわゆるワーカーホリックなんだろう。家庭なんてそっちのけで仕事を優先するのが普通で、たまに家にいる時は仕事のちょっとした息抜き程度の感覚。そういう日は私の予定も聞かずに日帰りの旅行に連れて行ったりもする。たまには家族サービスがしたいのだそうだ。
一週間以上家を開けるのは日常茶飯事。
そのくせ私の外での振る舞いは気になるらしく、帰って来た時の会話は成績や学校での評判の話ばかり。
だから私は完璧でなくてはいけない。
成績優秀でスポーツも万能で、人気者で虐めなんかされなくて。
だって「虐めなんかされる方が悪い」なんて平気で言うような人たちなのだ。弱みなんて見せられない。
「あ、そうだ」
いけないいけない。
私はリビングの入り口の傍の壁に掛けられたルーズリーフを手に取った。
開くと、今まで私が書いた日記がびっしりと書かれていた。
疲れて寝ちゃう前に、終わらせちゃわないとね。
私の家にはちょっと変わったルールが二つある。一つは、私が一日の終わりに日記を書かなければいけない事。あと一つは、その日記を帰って来た両親に読んでもらう、というものだ。
発案した母曰く、〝普段家にいられない代わりの家族の連絡ツール〟と言う事らしいけれど、実際は違う。
これは監視だ。私がちゃんと皆から慕われる自慢の娘だと確認するためのもの。
自分たちが家にほとんど居ないものだから、自分の娘がまっとうに育っているか不安なんだ。
その証拠に、日記の内容が薄いと怒られる。だからちゃんと学校であった事を細かく書いてあげなければいけないのだ。
私はテーブルに向かって考える。
どんな日記にすれば、両親は喜ぶかな。
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