第二十六話 抱きつくなりどうぞ
「そういえばさ」
人波の喧騒にかき消されそうな俺の呟きに咲季は目だけを向け、話を促した。
「父さんと母さんの、」
「お兄ちゃんの誤解を解く話?」
先回りされて言葉が詰まったが、話が早いので話を続けた。
「本当に、話すのか?」
「話しちゃだめかな」
「そういうんじゃなくて、やっぱりさ、話しても無駄だと思うっつーか……」
「どうして?」
「今さらそんな突飛な話しされても信じる奴いないだろ。俺が逆の立場でも信じない」
もう何年も前の話だ。
もはや事実として固まってしまった事。しかも自暴自棄になってたとは言え俺も認めてしまったのだ。それを今さら誤解でしたなんて言っても簡単には信じてくれない。
例え明確な証拠があったとしても母さんのあの精神状態じゃ無理だろうしな。
「……結愛ちゃんにも同じ事言われた」
「え?」
いつ?
考えてすぐ、赤坂さんに過去の事を聞いた時だと気づく。
「『理不尽な事は簡単には起きない』。そういう思い込みが人間にはあるんだって。だから絶対に信じてくれない。お兄ちゃんに起きた出来事はそういうものだからって」
「……………………………」
「だけど、理不尽なんてそこら中に転がってるんだってお父さんとお母さんも今なら分かってるはずだって思うんだ。ほら、いい例がここにいるじゃない?」
自身の胸に手を当て、得意げに言う。
「……それは」
冗談混じりに言うものじゃないだろ。
思うが、今一番の理不尽に遭っているのは間違いなく咲季だ。無言で同意する。
「だから大丈夫。お兄ちゃんは私が助けてみせる」
手を握る力が強まった。
俺を見つめるその瞳からは強い意思が確かに宿っていた。
「助けるって大げさな……てかそれ、俺が囚われの姫みたいなセリフだな」
「王子の次は姫とは、秋春くんも大変だねぇ〜」
一転、咲季はにゅふふといつものお馬鹿な調子に戻って、
「次の日曜。お父さんとお母さんを病院に呼んで話しますので。あ、秋春くんは来ないでね。多分話が拗れちゃう」
「……だろうな」
母さん達の俺への態度を前に話したからか、咲季は的確な判断をもってそう言った。
おそらく「何をそそのかしたんだ」とか「咲季を使ってどういうつもりだ」とか、こっちに意識が向いて話どころじゃ無くなるだろうからな。
そうじゃ無くても聞く耳を持ってくれるか怪しいが。
「とまあそういうわけで、くらーいお話はこれにて終了!あれに行こアレ!」
「え、は?」
急な切り替え。
俺の手を引っ張り、咲季は前方を指差した。
バランスを崩してたたらを踏みつつ、俺もその先を見上げる。そこには木製の大きな門が建っており、
「スーパーアスレチック藍原……?」
と、ポップ調な文字が並んでいた。
その向こう側には縦長にそびえ立つザ・アスレチックと言った具合の、足場がまともじゃない建造物が。
「面白そう!」
「………………」
見上げる。6階建てのマンションくらいの高さ。
きゃーきゃーと叫ぶ子供や大人の声がこっちまで聞こえてくる。
っておいおいあんな小さい子供が一番上で遊んでて大丈夫か?
てか何だあれ。一番上のアレ。ロープ一本だけの道(と言っていいのか?)があるぞ。渡れってか。あれ渡れってか。いや渡ってるわあの子供。すげえ。
「楽しそうだゼ!」
「とりあえず一番上まで行くのは却下」
「はー?なんでーやだー。頂きまで登るー」
繋いだ手を勢い良く横に振られる。
「……いや、おま、だってあれ足場がほぼ無いよ?」
「え〜?大丈夫だよーほら命綱してるじゃん」
確かに頭上に張り巡らされたワイヤーにかけられた命綱を掴みながら進んでいるみたいだ。だが逆に言えばそれだけしか無い。踏み外したら腕の力だけで踏ん張らなければならないだろう。
寿命が縮みそうだ。
「そもそもお前の体調面考えるとな……」
「『夜のスーパーアスレチック咲季』まで体力がもたないって?」
「……………………」
「図星かぁ?このむっつりエロ魔神!」
「……………………」
「…………あの、死んだ目でただ見つめるのやめてくださいます?」
#
結局根負けして『スーパーアスレチック藍原』で遊ぶ事に。
ここは1時間毎に数十人が参加できるタイプのアトラクションで、どうやら事前の予約が必要みたいだったがタイミング良くキャンセルが出て、待ち時間無しで入る事ができた。
最初に行われたのは参加者全員を集めての注意事項の確認や命綱の取り付け。
今はそれを終え、数人ずつアスレチックに続く階段を上っているところである。
「こういう命綱つけると本格的に危険なんだなって感じるな」
「なんかキーホルダーにでもなった気分だね」
「あー、これな」
手に持った命綱は上半身と脚に固定され、そこから伸びたキーホルダーの金具(あの輪っかのやつ)のような物を頭上に張り巡らされている太いワイヤーに取り付けているといった形だ。
ちなみに運動する服装じゃなかった咲季は持っていたバッグからシンプルなTシャツとショートパンツを取り出してトイレで着替えてきていた。
「こんなこともあろうかと」とか言ってたが、準備良すぎるだろ。
「お兄ちゃんが落っこちたら写真撮ったげるね。人間キーホルダー」
「ふざけんな助け呼べ」
ていうか物持ち込めないし。
「ね、手繋ぎながらやろっか?」
「馬鹿言ってないでまじで気をつけてくれ。ほら、はしゃぎ過ぎて跳ねるなって注意あったろ」
「だいじょーぶだいじょーぶ。モーマンタイモーマンタイ」
不安しか生まれない返しだなぁ。
そうやって話してる内に俺達の入場の番が。
階段を上り、まずは1階――上に行くほど難易度が上がり、1階はレベル1。6階がレベルMAXと言うらしい――のレベル1へ。
ここは本当に子供向けといった感じだ。地面に固定された手すりもあるし足場も公園の遊具であるような、例えば丸太とか面積広い平均台のような安全に楽しめるものばかり。さすがにこれをやってたんじゃ時間の無駄だな。
「とりあえずレベル3から行ってみるか」
2階へ上りながら言うと、咲季がわざとらしくため息をついて、
「なーに言ってんですか。私達が目指してるのはただ一つ。レベルMAX、テッペンでしょ」
「お前あれまじで言ってたの?」
「まじ」
「嫌だよ危ねーだろ」
「何?ビビってんのー?」
「ビビるよ。無駄に高いだろ。ビビるよ」
「うわだっせ」
「なんとでも言え。とにかく危険だしお前も万が一踏み外して怪我するかも知れないんだ。だから」
「……あーあ、せっかく久し振りに外で遊んでるのになぁ」
3階へ上りつつ、後ろの咲季を目だけで見遣る。
「結局好きな事をさせてくれくれないのね……私は所詮カゴノトリ!」
「嫌な言い方しやがるなこの女…………」
「ちょっとー?聞こえてますよー彼女に聞かせちゃいけない声出てますよー」
騒ぐ咲季に周りの視線がチラチラと刺さる。すみませんごめんなさい。
「はぁ、しょうがねーな」
「やった折れた!」
「ただし、レベル4からな」
「えー」
「いきなりトリをやったら時間余るだろ」
「あ、それもそっか。よっしじゃあ早速レベルMAXへゴーだー!」
話を聞いてんのかこの馬鹿は。
#
レベル4、つまり4階まで来るとさすがに眼下に広がる景色にはヒヤッとさせられる。地面は遠く、そこにある物も小さく見え、自分が高所にいるのだと嫌でも実感できてしまう。足場がぐらつく状態なのも相まってかなりの恐怖だ。
多分こういう場所に来たがる奴はこの緊張感が欲しくて来るんだろうな。理解できないけど。
ブランコとブランコとを飛び乗っていくステージ……と言っていいのか?とりあえずそんな区画をクリアしてちゃんとした足場へと辿り着いた俺は安堵と共に一息ついた。
「…………秋春くん」
「んー?」
そして、後ろを振り向く。
「あなたはなんでそんな遠くにいるのでしょうか」
そこにはブランコの道の中盤でしゃがみこんで動けないでいるお馬鹿が。
「それはお前が恐ろしく遅いからだ」
俺は震えているお馬鹿をジト目で見下ろしたまま、わざとらしく手を叩く。
「ほらほら、次。早く飛び乗れ」
「い、いや、そんなこと言われて、も……きゃ!」
「大丈夫かー?」
「だ、だいじょう……ぶ、ぁない!!」
淡々とした俺の煽りに咲季は頑張って最後のブランコまで飛び移る。激しく揺れる足場に叫びつつ、その紐にしがみついて落ちまいとなんとか耐えた。
すごい満身創痍だなぁ。
「ほら最後たぞ。こっち飛び乗るだけ。頑張れ」
「いやもう無理!無理!無理です!無理無理無理!飛べない限界!動けない!助けて下さいお兄様!」
もう普通の足場に飛び乗るだけなので簡単なはずだが恐怖補正がかかっている咲季はいやいやと首を激しく振る。
「……あのさ、言っていい?」
「な、なんでしょう!?」
「お前、レベルMAXじゃないと満足出来ないみたいな態度だったよな?」
「ごめんなさいすみません舐めてました助けて下さい!」
「なんであんな強気だったの?」
「だって!だって私高い所に苦手意識とか無かったし!まさかこんなに怖いとか思わなかったしぃ!」
まさかの半泣きである。
さすがに可哀想になってきたな。俺は咲季に向かって身を乗り出し、腕を差し出した。
「ほら、腕」
「…それをどうしろと?」
「掴むなり抱きつくなりどうぞ」
「さっきから動けないゆーとるでしょうが!」
まさかのブチギレである。
しょうがねーな……。
「じゃあ失礼して」
俺は右手で頭上のワイヤーをしっかり掴み、しゃがみこんでいる咲季の脇に左腕を差し込んで背中を抱く。
「!?」
「ん、そのまま俺に思い切り抱きついて」
「へっ?あ、は、あい!」
咲季は言われた通り俺の首周りに腕を回し、ホールドした。
俺と咲季の身体がしっかりと密着したのを確認し「そのままだぞ」と念押ししてから、力を込める。
「うっし、……っしょ」
「ひゃっ!」
距離も短いし咲季の体重もそこまで無かったからか、割と簡単にこちら側へ引き込む事に成功した。
咲季は勢い余って俺に思い切り抱きつくような形となり俺はそれを抱きとめる形に。
傍から見たらアトラクションでいちゃついてるバカップルにでも見えている事だろう。
「……大丈夫か?」
「…………………」
まあ今日くらいそんな目に晒されても良いか、実際これデートだしな。
「……咲季?」
「ご、」
「ご?」
「ごひひょうひゃまでひは」
真っ赤になって湯気を吹かす咲季。
「こんな場所でいちゃつくな」と周囲から冷えた視線を感じた。
もっともな話だが、笑って受け入れようじゃないか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます