fragment 4 秋春の章(四)


 罰として課せられる掃除はサボろうと思えばいつでもサボれる。なぜなら監督する教師がいないからだ。それは単純に教師(主に学年主任)が毎日俺を監視するのが不可能……というか面倒だからだろう。まあ、気持ちは分かる。

 だが、数日に一回はちゃんと掃除をやっているかランダムで確かめに来るため、運が悪ければサボっているのがバレて面倒な事になるのだ。

 だから、相当面倒に感じる日でもなければなるべく掃除をするというのが俺のスタンスだ。


「単に暇なのもあるけど」


 というわけで、箒とちりとりを昇降口の下駄箱付近にある掃除用具入れから持ってきて、掃除する範囲に入っている中庭のうさぎ小屋の方へ。なんでうさぎ小屋の方なのか。それは今日の気分だ。特に理由は無い。

 だがその気まぐれの行動が、いわゆる奇遇を俺にもたらした。


「うふふひひ」


 比較的気持ちのいい気温と日光の下、気持ち悪い笑い声を上げてうさぎ小屋の前にしゃがむ女子生徒が一人。

 おさげ髪に黒縁眼鏡の地味な女。菊池だ。最初に会って以来、狙ってもいないのにほぼ毎日遭遇している。

 廊下ですれ違ったり、図書室でばったり会ったり。そして今度はうさぎ小屋でばったりときた。

 いい加減、運命とか宿命とか言われても納得してしまうレベルだなと苦笑し、


「何してんの?」

「ひいっ!?」


 声をかけると、絵に描いたように驚いて肩を跳ねさせた。すぐに立ち上がってこちらへ振り向く。

 そして俺の顔を見た途端、気が抜けたように肩の力を抜いた。


「……な、なんだ、片桐君か」

「気持ち悪い声上げてどうしたんだよ」

「ひ、酷い……」


 俺の正直な感想に心を痛めたのか、肩を落とす菊池。

 俺は気に留めず近づいて、


「うさぎの世話?」

「はい。美化委員の仕事の一貫なんでぃや」

「……あ?」


 突然の謎語尾に大いに困惑。語尾をウルトラマン風にするのが流行っているのかと一瞬疑ったが、


「ご、ごめん。噛んだ……まだ敬語抜けきらなくて……」


 菊池は顔を赤らめ、あたふたと言い訳した。

 なるほど、敬語から標準語に変えようとして口がバグったのな。


 それは俺が頼んだ事だった。年下のこっちがタメ口なのに年上のこいつが俺に敬語なのが微妙に居心地が悪かったから、昨日、敬語を止めてくれと頼んだのだ。


「そもそも最初から年下に敬語使ってたのがおかしい」

「初対面から上級生にタメ口だった片桐君に言われたくない。片桐君偉そうだからついこっちも下手に出ちゃうんだよ……」

「ナチュラルに人をディスってくるよな菊池って」

「え?」


 首を傾げられた。

 自覚無しか。


「それで、えっと、片桐君は……お掃除してるの?」


 俺が持っている箒とちりとりを見て、怪訝そうな顔で菊池が訊く。


「まあな」

「えっ、どうして?」

「俺が学校の掃除してたらおかしい?」

「いえ、そういうわけじゃ……」


 目が泳いでいた。


「問題起こした罰で掃除させられてるんだよ」

「なるほど!」


 手を叩いてすげー納得された。

 こいつクソ腹立つな。


「菊池は美化委員の仕事でうさぎ達を捨てに来たんだっけ?」


 俺はちょっとした腹いせでクソみたいな冗句を言ってやった。

 すると菊池は顔をムッとさせ、


「捨てないよ!この子達は私の子供なんだから!」

「あ?」


 なんか言い出した。


「毎日私のあげたエサを食べて、なでなでしてスリスリして、細胞の一つ一つが私で染まっているんです!」


 なんかメンヘラい表現で熱弁し出した。何こいつ怖い。

 この過剰反応を見るに……


「……えーと、うさぎ……っつーか、動物好きなの?」

「好き!哺乳類大好き!犬猫カワウソカモノハシなんでも好き!……だけど家では飼えなくて」


 目を輝かせてマシンガントークを始めるかと思ったら途中でニヒルに乾いた笑顔を浮かべてテンションがめっちゃ下がる菊池。

 飼えないって……、ああ、


「貧乏だから」

「うぅ……、でもいいんです。私にはこの子達がいるから。ねぇ〜アリスぅ〜?」


 菊池は自分に言い聞かせるように言った後、気持ち悪い笑顔で金網の向こうにいる数匹の内の白いやつに指を伸ばして撫でる。

 しかしエサだと思われたのか思いっ切り噛まれた。


「うふふふひ……違うよこれは私の手ぇ♡」


 だが菊池は怯まなかった。むしろ嬉しそうに笑ってるくらいだった。

 すげぇな。俺だったらマジギレする。どうやら動物好きは筋金入りらしいな。


「……それ名前?」

「そう!こっちの白い子がアリス。向かって左からチェシャ、ハート、ぴょん吉!」


 最後だけテイスト違くないか。カエルに付ける名前っぽいぞ。


「入れこんでるな」

「こんなに可愛かったら当然ですよぉ〜!」

「あ、そう……」

「ほら見てぇ〜?美人さん揃いでしょ〜?」

「まあ、癒やされるかもな」

「かもじゃないよ良く見てよ!!」


 俺の引き気味の態度が不満だったのか、菊池はスカートのポケットから小屋の鍵を取り出し、素早く開けて中の白いうさぎを逃がす間も与えずに抱え、「ほら!」と見せつけてくる。

 いや、それでどうしろと?ていうかテンション無駄にたけぇ。


「……そ、そうだな。カワイイな」

「だよねぇ〜♡当然だよねぇ〜アリスぅ〜!んー!」


 撫で回した後にうさぎの耳にキスをする菊池。暴れるうさぎ。

 必死に脅威から逃げようとしているようにしか見えないのは俺の気のせいか?


「もーあなた達がいれば私なんにも要らないよぉ〜」

「そんなにか……」

「……はっ!お母さんも弟もちゃんと大切だよ!?」

「あ?お、おう?」


 いきなりなんだよ。ていうか誰に弁明してんだよ。


 なんかもう、柄にもなく女に振り回されてペースを持っていかれていた。結局掃除出来て無いし。まあ、したいわけじゃないからいいけどさ。

 俺はもう掃除は諦め、完全に会話する頭に切り替えた。


「兄弟いたんだな」

「うん。三歳年下で、小学六年生なんだぁ。私と違って行動力もあって、頭も良くて、自慢の弟」

「ふーん」


 本当に誇らしげに語る菊池。

 小六って言ったら俺の妹と学年同じか。住んでる地域も近いだろうし、もしかしたら同じ小学校にいるのかも知れない。


「片桐君は兄弟は?」

「妹が一人」

「……やっぱり嫌われてる?」

「あ?何がやっぱりなんだよ何が」

「あ、えっとぉ、片桐君がどうとかじゃなくて、兄と妹ってあんまりうまくいかないって世間的に思われてるから……」


 まあ、そんなイメージはあるな。

 だが、妹――咲季さきに関してはそういう、「男キモい」みたいなのはまだ無い……というか、こんな兄なのに積極的に話しかけてくるくらいだ。


「特に嫌われては無いんじゃねーの?普通に話すし」

「お互い良い兄弟に恵まれて幸せだね」

「おい、今の言い方だと俺と話すだけで良い奴だって意味になんねーか?あ?」

「え?え?」

「また無自覚かよ。直せそれ」


 近い内に絶対それで敵作るわ。

 戸惑う菊池にデコピンしてやる。手をうさぎで塞がれているから、手を使えず身体を仰け反らせて「いたっ、いたっ」と痛がっていた。

 そのアホらしい姿を見て、自然と笑みがこぼれる。


「………………あれ」


 そこでふと気づいた。

 なんか普通に、友人同士みたいに話してないか、俺?


 同時に、感じたのは心地良い空気。

 久し振りに感じる感覚だ。

 なぜだろう。気兼ね無しに話せているからか?いや、気兼ね無しに話せるというなら羽柴や辻堂もそうだ。しかしそれとはまるで種類が違う。


 ならば、会って数日の奴に何故――



「…………………あ」



 そこでふと、思い至った。


 そうか。単純な事だった。


 中学生になってから、結愛姉ちゃん以外で俺を真っ直ぐに見て話してくれる奴は居なかったから。


 だから、こうやって菊池とくだらない会話を交わすのが楽しいと思うようになっていたのだろう。


「単純だわ、マジで」

「はい?」


 うさぎを撫で回しつつ俺の言葉に反応した菊池へ、俺は笑って「なんでもない」と誤魔化した。




 # #



「ただいま」

「あ……おかえり」


 夜、21時。遊んでから帰ってきたから少し遅い時間となってしまった。

 多分母さんが怒って待っているだろうと思ったら、玄関に立っていたのは妹の咲季だった。どうやらリビングに行く途中だったらしい。手に持っているのは小学校の算数ドリル。恐らく母さんに問題の解説を聞きに行くのだろう。


 咲季は三歳下だが、学年は二つ下の小学六年生。ツインテールの髪を揺らしている、見るからにちんちくりん。いきなり妙な事を言い出したりするおかしな奴だ。

 家で問題児扱いをされている俺に普通に話しかけてくるし、本当によく分からん妹である。


「またけんかしてたの?」


 ほら、今日も例に漏れず普通に喋りかけてきた。


「してない」


 靴を脱いで家に上がる。


「じゃあ女の子とぱーりーないつ?カラオケうぇいうぇい?」


 うぇーいうぇーいと不思議な踊りを踊って俺の周りを回りだす咲季。

 なんの儀式だ。


「お前俺にどんなイメージ持ってんだよ」

「だってお兄ちゃんふりょーでしょ?」

「別に不良が全員遊び歩いてるわけじゃねぇんだよ」

「じゃあこんな時間まで何してたの?」


 この流れで羽柴とゲーセンで音ゲーしてたとは言い辛い。


「学校の掃除」

「ふ、ぐんそー。つくならもっとマシなウソを考えておくんだな。それとも、どくぼうでさびしくクリスマスをむかえるかね」


 適当な嘘を言うと、咲季は回るのを止め、壁に背をつけて煙草を吸う真似をしだした。

 また変なドラマに影響受けてんなこいつ。海外ドラマか?ていうか季節真逆だし。


 下らないやり取りを続けつつ、鞄を肩にかけ直して二階の部屋に行こうとリビングの横を通り過ぎる。

 と、


「秋春!」


 リビングから鋭い声。

 立ち止まって振り向く。


「……ただいま」


 見るまでもなく判る。


 リビングのドアから廊下に出てきたのは母さんだった。苛立ちが伝わってくるような強い歩みでこちらへ歩いてきて、泣いているような、怒っているような表情で俺を睨め上げた。

 隣の咲季はさっきのふざけた態度と一転、剣呑な空気にあわあわと慌て始めてしまう。

 悪いなと思いつつ、


「どうしたんだよ」

「どうしたじゃないでしょう!またこんな時間まで帰って来ないで、何してたの!」


 近所に響いているんじゃないかと思うくらいの大声。

 母さんが何故ここまで過剰な反応を見せているのか。それは至って単純で、俺が数回喧嘩で補導された事があるからだ。

 それに加えて世間体というのもあるのだろう。それと、父さんから責められたくないからか。


「別に、これぐらい普通だろ」

「また喧嘩したんじゃないでしょうね!?」

「してねーよ。顔見りゃ分かるだろ」

「じゃあどこで何してたの!?」

「学校で掃除」

「真面目に答えなさい!」

「……あー、そこら辺で遊んでただけだよ。ホントに喧嘩とかやってない」


 今回は正直に答えているのだが、今日は母さんの機嫌がすこぶる悪いらしい。剣呑な気配は鎮まることは無く、


「本当に、誰に似たのかしらね……」


 言った。

 底冷えした、暗く淀んだ声で。


「………………………」


 胸が締め付けられるようだった。


 やめてくれ。

 そんな目をしないでくれ。

 頼むから、


「……………ッ」


 舌打ちし、俺は二階へ続く階段を上った。

 母さんが追いかけてくることはない。

 好都合だった。あんな露骨な事を言われて冷静に喋れる気がしない。


「……お兄ちゃん」

「……あ?」


 呼び止める声に再び振り向いた。

 咲季が後ろについて来ていた。

 何かを案ずるような上目遣いで俺を見上げている。


「え、っと」

「なんだよ?」

「……ごめん、なんでもない」


 だけど結局何も言わず、リビングへと戻っていってしまった。


 ……ああ、ホント、


「居づれぇな……」





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