第十八話 兄妹揃ってうぜェな
「うーっす、さーきちゃん」
昼。
部屋に入ってくるなり飛んできた小気味いい挨拶に、
「えっと、
病院着のポケットに手を突っ込みながら、咲季の病室を我が物顔で歩くのは、ベリーショートの髪を銀に染めた男、辻堂明。
ベッドに腰掛けている咲季の隣に遠慮無く座り、距離を詰める。
「そうそう、アキラでいいよ。いやァ、まさか君から逆ナンされるとは思わなかったわ。もしかして一目惚れ?」
覗き込むように顔を近づける辻堂。
会って一日二日くらいで失礼だとは思ったが、あまり好きになれそうにないタイプだ。顔に不快感が出るのを咲季は必死に抑え、その顔をまっすぐ見つめ返す。
何故、辻堂が咲季の元へやって来たのか。
それはひとえに、咲季が彼を呼び出したからである。
昨日の夕方に病室を訪ね、話がしたいと翌日会う約束を取り付けたのだ。
理由は当然、秋春の中学時代の暴力事件の当事者であろう彼から詳しい話を聞くため。
他意は無い。故に、浮ついた気持ちでやって来た辻堂との明らかな温度差が浮き彫りになり、滑稽とすら言える一人芝居じみた光景が生み出されていた。
「……あまり時間も無いので、単刀直入に訊きます」
辻堂の軽口を無視し、咲季は腰を浮かせて拳一個分横にずれる。
話は早めに済ませなければならない。
秋春がどうやら看護師の櫻井に、辻堂が咲季に近づかないように注意して欲しいと頼んでいるようなのだ。
もしこの場面が見られて自ら迎え入れたと知れれば、秋春から良い顔はされないだろう。兄に嫌われるような事は避けたかった。
よって櫻井に気づかれないよう、彼女が休憩の時間帯に辻堂を呼びつけた。
また、自衛のためでもある。
秋春の態度と辻堂の見た目を見れば、大体どういう人物なのかは察しがつく。人目の無い夜に会うといった状況はなるべく避けたかった。
話の性質上二人きりで話すのがベストなので、結果人目は避ける結果となっているのは本末転倒かも知れないが、それでも自分のテリトリーで、明るい内にというのは心にいくらか安心感と冷静さをもたらしていた。
「兄が中学生の時、暴力を振るって病院送りにした人って、あなたですよね」
警戒を巡らせて、尋ねる。
「……兄?」
「片桐秋春は私の兄です」
「へー、妹!マジか!似てねぇー」
好意的な、人懐っこそうな笑顔で不躾に顔を寄せて見つめてくる。
「……あの」
思わず眉根を寄せてしまう。
兄以外の男に顔を近づけられるとここまでの嫌悪感があるものなのか。
「あ、悪ぃ。可愛過ぎてつい?」
「……ありがとうございます」
歯の浮いた褒め言葉に社交辞令的に返した。
「おぅ、言われ慣れてるってカンジの反応だ」
「いえ、あの、それで……」
「ああ、病院送りの話な。そうそう。オレがやられたんだよ。顔面何発も殴られて、歯ァ折れて、全治何週間だったっけ?覚えてねぇや」
あっけらかんと、辻堂。
「その節は、兄が本当に申し訳ありませんでした」
恐らくそうなる原因を作ったのはこの男だ。
確証はないがそう直感していた咲季は気の毒だなと思うも、事務的に謝罪をする。
「ハハッ、いーよ別に。咲季ちゃんはなんもしてねぇし。悪いのアイツだから」
「そうですか……」
「そーそ。咲季ちゃんが気に病む必要無いって」
拳一個分空いたスペースを詰めてくる辻堂。
自身のパーソナルスペースを侵される感覚に、咲季は顔を強張らせる。
「お、何?緊張してんの。かっわいー」
「いえ……」
単に不快なだけだ。
言ってやりたかったが飲み込む。
今は訊く事が先決だ。
「……あの、嫌なことを思い出させるようで心苦しいのですが、兄はどうして辻堂さんを……?」
「あ、聞いてねぇんだ?単にムシャクシャしてやったんだよ。ひでぇよなァ」
「いえ、表向きにはそうなってますけど……」
散々聞いてきた納得できない理由。
ムシャクシャしていたから殴る?そんな訳がない。中学の時は確かに今より荒っぽい性格だったし、喧嘩などもしょっちゅうだった。だがそれでも、根本は変わってはいないはずだ。
だから、
「裏があるって?」
頷く。
「ハッ、考えすぎ。家でどうなのか知らねぇケド、あいつ屑だぜ?」
「……………………」
溢れた怒りが口から出かかったが、喉の辺りで押し留めた。
心を落ち着かせるように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
しかし――
「でも、ムシャクシャしてしまった理由が、何かしらあるんじゃないでしょうか?」
強い言葉は出なかったものの、一度湧き出た怒りは咲季の態度をひどく無機質で刺々しいものへと変えていた。
「あ?何、オレが何かしたっての?」
「兄はくだらない理由で人を傷つけたりしません。原因が相手の方にあったと考えた方が自然です」
まくし立てるような矢継ぎ早な口調で言った。
「例えば兄の大切な誰かを、あなたが傷つけたとか」
正面を向いて、辻堂を横目で睨みつけるようにして口にした。
秋春と辻堂の性格を考えた上での推察。
授業をサボる。喧嘩をする。などと社会からはみ出た行動をしていたと言えど、秋春が暴力を向けていた相手はいじめをしている人物やカツアゲをしている人物など、暴力を振るわれたとしても一定の理解が得られるような人間に限定していた。
それが正しいか間違っているかと問われれば間違っていると言わざるを得ない。
しかし、だからこそ秋春は何かしら理由が無ければ暴力を振るわないと言う事実の証左であると言える。
故に咲季の推察は確信に近かった。
「兄妹揃ってうぜェな……」
数秒の沈黙の後、辻堂から漏れたのは苛立たしげな声。
友好的な態度は消え、代わりに獣の威嚇を思わせる攻撃的な視線が咲季を射抜いた。
咲季もそれに負けじと、強い意志を持って見つめ返す。
「あのさ、咲季ちゃんはそれ知ってどうしたいわけ?」
「兄を幸せにする。ただそれだけです」
「わけわっかんねー。てか、あのゴミにそんな必死になる必要無くね?」
「兄は屑でもゴミでもありません」
「おーおー、こえー。殴られるかと思った」
小馬鹿にした口調で大袈裟に肩をすくめる辻堂。
そして何を思ったのか口角を上げて、
「気が変わったわ。話してやらんこともねぇよ、あの日に何があったか。けど後悔するかもなァ。あいつはお前が思ってるほど高尚な人間じゃあ、ね・え・ぞ」
馴れ馴れしく肩を組み、咲季の耳元で囁く。
嫌悪感をあらわにして全身を使って振り払い、立ち上がって距離をとった。
「……教えてください」
対する辻堂は愉しそうに犬歯を剥き出して笑い、
「まあ待てよ。話してやりてぇのは山々なんだけどさ、オレにとって恥っずい過去を晒さなきゃなんねぇわけよ。なのに咲季ちゃんは何も無しか?それじゃあ不公平じゃねぇの?なァ」
「……私も何か恥ずかしい過去でも話せってことですか?」
嫌な予感がして、咲季は身を強張らせた。
「ちげぇよ。馬鹿か」
そう吐き捨て、辻堂は嗜虐的な笑みを深くし、
「服脱げよこの場で。そうしたら話してやる」
言った。
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