第七話 ゆーるびーばーっく
春。
桜の花びらが舞い落ち、アスファルトを薄桃に染め上げる、暖かい季節。
そんな昼下がりの中学校で、休み時間にじめじめとした体育館裏に来る奴なんてろくなのがいない。
そんな事を自分を棚に上げて思いつつ、今日も示し合わせる事無く体育館裏に集まった
体育館の裏口の階段に腰掛け、イヤホンをしつつ優雅に音ゲーを楽しんでいる、長めの髪をワックスでセットした男子。
体育館の壁に背を預け、未成年のくせにタバコを吹かしているベリーショートの男子。
どちらも中学一年生以来の俺のクラスメイトで、前者が
色んな人間に楯突いて敬遠されてる俺に平気で話しかけてくる、同じ穴のムジナのような奴らだ。
しかし辻堂は似てるようで少し違った人間だった。
「疲れないのかお前?」
「あー?」
アスファルトに座り、同じく背中を壁に預けた姿勢で見上げ、訊いた。
短くなったタバコを壁に擦り付けて火を消しつつ、辻堂は視線を俺へと下ろす。
「裏でこんな事やってんのに、教師の前では優等生ぶって、信頼されて」
言葉を続けると辻堂は「あー…これ」とタバコを眺め、
「なんだよ。羨ましいの?」
「別にそういうわけじゃねーけど」
俺がそう返すと、辻堂は得意げな表情でライターの火をつけたり消したりする。
「ま、処世術?ってやつだよ。片桐みたいになんでも反発してるだけじゃ、一々目くじら立てられるし、女子も寄って来ねぇしな」
「俺は媚びを売らないだけだ」
「ハハッ、そりゃあコーショーな事で」
辻堂は笑って、タバコを茂みに投げ捨てた。
ライターをポケットに突っ込む。
「ま、大人は味方につけといて損はない。ってね」
じゃれるように、無駄にでかい手で頭を掴んでくる辻堂。「殺すぞ」と思い切りぶっ叩いて振り払う。
あんな奴らが味方になったところで何にもならない。俺はこの時、テンプレートな不良よろしく、そんな事を思っていた。
だからその本当の意味を、怖さを知るのは、もう少し後。
# # #
嵐のような辻堂の登場からすぐ、俺達は咲季の病室へと戻ってきていた。
一息ついた後、俺は咲季達三人の前で軽く頭を下げた。
「…色々巻き込んでごめん。あいつは…」
辻堂の事をどう説明したものか。
中学時代の旧友?いや、もしあの事件が無かったとしても友なんてつくような関係じゃなかった。俺とあいつはただ何となくでつるんでただけだ。
あいつは俺が誰かと喧嘩してる姿を横で眺めて愉しんでいただけ。俺もそんなあいつを特に否定しなかっただけ。
それだけの関係だった。
まあ、あいつが俺の喧嘩観戦を愉しむために色々と大事にしないように働きかけてたりもしていたらしいが、今となってはどうでもいい事だ。
俺と辻堂の空虚な関係はあの日、完膚無きまでに俺が壊したのだから。
だが、そんな割と重い話をこの場でするのは悪いし…
「いいですいいです話さなくても。別にお兄さんの過去がどうこうとか興味無いですし」
悩んでいると、凛が真顔で手を振った。
かなりズバッと言われて、思わず面食らう。
「リンリン!言い方!お兄ちゃん後で泣いちゃうから!少しは興味出して!」
ベッドに腰掛けた咲季が、同じく隣に腰掛けた凛の腕を掴んで説教。
いや泣かねぇよ。
「お兄さん。過去は攻めだったけど今は受けって事ですか?」
「咲季。この子興味の出し方が雑」
「違うよリンリン!昔のお兄ちゃんはどっちかって言うと俺様受け!」
「咲季。もういいから黙りなさい」
BL用語を突然ぶっ込まれてもどう反応したらいいか分からん。
「う、うぅ…」
二人から意識を移すと、グロッキーになっている城ヶ崎がメイクボックスを抱えて地面に座っている姿が視界に入った。
凛と咲季に視線を戻す。
「…えっと、城ヶ崎はどうしてこんなこの世の終わりみたいになってるの?」
「メイクボックス壊れたからじゃなくて?」
咲季が答えた。
「あー。けどあんなに落ち込む?」
「最近買ったばっかだったんだよね〜?」
凛の補足に城ヶ崎がこくりと頷いた。なるほど、それは確かに凹むのも分かる。
「新しく買ったの壊れたらまあ、値段にもよるけど結構引きずるかもな」
「税込み4880円で買った……」
結構したな。
高校生にその値段はきついだろう。そう言えば以前金無いとか言ってた気がするし。
「まあまあ、当初の目的、ナンパを追い払うのには成功したんだし…」
城ヶ崎の側に行き、背中を撫でてあやす咲季。
「違うし…。当初の目的は咲季のお見舞いだし…」
「必要ないくらいアホ元気だけどね」
ニヤニヤと、凛。
「なんだよーアホ元気って」
咲季が口を尖らせると、隣の城ヶ崎が涙ぐみ始め…
「咲季が、元気で良かった……」
「あらやだこの子いじらしいわ大好き…こういうとこだよリンリン」
「はーいウチは可愛げないです〜」
凛は投げやりにそっぽを向いた。
「ちょっといじけんなよぉ。リンリンの事もちゅきちゅきー」
「うざっ」
「久しぶりに会った友達にそんな事言います?」
「ごめ〜ん。つい本音が出ちゃった〜」
「ひどい!ねえこのもじゃ黒メガネ酷いよマイマイー!」
「咲季…ひっく…色々ごめんねぇ……アタシ…今までずっと酷いこと…」
「あれぇ?なんかいつもと違って弱気…あー!いいのいいのこの前謝ってくれたでしょー?だから泣かないのー!よしよし!」
軽く抱きしめ合いながら咲季は頬を擦り寄せて城ヶ崎の身体を撫でまわした。
手つきが気色悪いがそこは言わないでおく。
ともあれ、やはり物が壊れただけにしては城ヶ崎の様子はおかしいと思い、
「…城ヶ崎、そこまで酷くないって言ってたけど本当に大丈夫なの?なんか酒飲んだみたいになってるけど?」
凛へ耳打ち。
「…男に追い回されてその後あの大立ち回りですから、頭がごちゃごちゃしてるんじゃないですかね〜」
「ああなるんなら結構問題ある気がするんだけど」
「そんなに心配だったらお兄さんが常に側にいて守ってあげればいんじゃないでしょか」
「男ダメなのに俺が側にいたら意味ないだろ」
「………………」
「え、なにその顔?」
「いえナンデモ」
「あー!ちょっとまた二人でコソコソしてるー!」
小声で話していると、咲季が指を指して俺達へ抗議してきた。
凛は呆れ顔で、
「はーいはいブラコンブラコン」
「ブラコン違うし!」
いや、普段俺にあれだけウザ絡みしといてどの口が言うんだ。友達にからかわれるのが嫌なのは分かるが。
「お前はブラコンだよ」
「口を慎めあむあむ星人!」
「お前が勝手に捏造してつけたあだ名やめろ」
「ね、捏造じゃないよっ!さっきだってお兄ちゃんが膝枕してって強要するから私が仕方なくさせてやったんだし!」
「あ?」
どの口が言いやがる(再)。
さすがにイラッとしたのでスマホを取り出し、咲季へ速攻でメッセージを送る。
ピロン。と電子音。
「ん?」
咲季が上着のポケットからスマホを取り出した。
《今後一切ああいうの無しにするぞ》
「ごめんなさい。私です、強要した犯人私でした。アキハル イズ ムザイ」
「急に態度変わったな〜」
「…ぐすっ…、仲、良いね」
俺たちのやかましいやり取りに、心の余裕が出来たのか、城ヶ崎も話に入ってくる。
少し安心した。
「ま、まあ、仲は良い…かもね!えへ」
咲季がプロトタイプなぶりっ子ポーズしながらウインクしてきたがとりあえず無視。
というか、今までの会話を聞いてて咲季と城ヶ崎と凛、こいつらは本当に気の置けない仲間なんだなというのが伝わってきた。咲季がここまで素に近い態度なのは珍しい。
三人ともタイプが違うと思うのだが、それが逆に上手く噛み合ってるのかも知れない。
「………」
その後も姦しくお喋りを続ける三人。
段々といつもの調子が戻ってくる城ヶ崎と、ニヤケ顔の凛。笑顔の咲季。
それを見て暖かい気分になると同時、暗い影が心に差すのが分かった。
こんな暖かい空気に浸っていると、さっきの出来事がまるで嘘みたいに思えてきてしまう。
それを意識してしまうと、段々と芋づる式に嫌な記憶が引っ張り出されてしまい、
「……………………」
息苦しくて、少し呼吸が浅くなった。
「……お兄ちゃん?」
「ん?」
いつの間にか、咲季が俺を見ていた。
「大丈夫?」
「……全然。大丈夫だよ」
心配そうに見上げる咲季の頭を軽く撫で、ドアの方へ。
「ちょっとトイレ」
怪訝な表情の三人から逃げるように言い捨ててドアをスライドして廊下に出た。
出て、そのままドアのすぐ側の壁に寄りかかった。
周囲を見渡して辻堂が居ないことを確認すると、天井を仰いで息を吐く。
広い空間に出て息苦しさが少し霧散した気がした。
「……メンタル
静かながらも、何人もの人が行き交う独特な空気感。
普段あまり感じることの無いそれは心を落ち着かせるにはちょうど良かった。
辻堂明。
表向きは気さくで話しやすく、いつの間にか懐に入ってくる人懐っこい奴。
しかしその実、人を貶める事に微塵も罪悪感を抱かない男。
しかも、自分の敵だと判断した者には嬉々として攻撃してくる
思い出したくもない奴だとは思っていたが、今会っても取り乱しはしないだろうと感じていた。
けど実際に目の前にしてしまうと、古傷を抉られるような感覚に襲われ、心が落ち着かなかった。
ぐつぐつと煮えたぎった、泥濘に似た何かを胸の中でかき混ぜられるよう。
熱くて、息苦しい。
ある程度乗り越えられたと感じていたのは全くの見当違いだったのかも知れない。
結局俺は、父さんと母さんに完全に見放されたあの日を未だに後悔しているんだ。
きっかけとなった辻堂を見ただけでこうなるほどに。
母さんにあんな態度を取っているくせに、結局のところ俺は……
「……ん?」
咲季の病室の扉が開いた。
出てきたのは咲季。無言で俺の前を通り、隣へ。
そのまま俺の方を向かず、右手を包むように握ってくる。
「…咲季?」
突然過ぎて、何がなんだか分からない。戸惑いと共に咲季に呼びかけた。
咲季はさっきまでのアホっぷりから一転、静けさを感じさせる眼差しで、
「さっきの人のこと…考えてる?」
遠慮がちに言った。
「……」
「…そっか」
やはり分かりやすい態度だったようだ。素直に頷く。
咲季はこのまま追求してくるかと思ったが、手を握ったままそれ以上何も言ってこない。
「何も訊かないんだな」
「ん?」
「辻堂との事」
「だってお兄ちゃん話すって言ってくれたじゃん」
「まあ、そうだけど」
「じゃあ話してくれるまで待ってあげる」
そう言って俺に笑いかける。
普段は見せないような静かな微笑み。
それがあまりにも綺麗だったから、逃げるように目を逸らした。
「…お前にしては殊勝だな」
「いい女は待ち続けるものなのよ」
「へーそーなの」
「心こもってねー、っな!」
「いっで!!」
右手の甲を思い切りつねってきやがった。
「何すんだよ!」
思わず怒鳴ると、キャッキャと笑いながら逃げて病室の扉まで後退する咲季。
「そうそうそれそれー!」
「いや意味わかんねーし!」
「その気持ちを忘れないこと!」
「いや、だから…」
「ゆーるびーばーっく」
ばん!
と音をたててドアが閉められた。
「…わっ、けわかんねぇー……」
俺はただ、嵐が去っていったドアを見つめるしかない。
まあ、あいつなりの気遣いなんだろうなというのは伝わってきたけど。
「…多少は気が紛れたよ」
とりあえず、ありがとうと心の内でお礼を言った。
#
……この時、咲季に余計な気遣いをさせてしまったせいで、後に目を覆いたくなるような事件が起きるのを、俺はまだ知らない。
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