章末 1 転んで、立ち上がって
男が倒れ、凛が合流し、警察を呼んで待機している最中。
今まで魂が抜けたようだった城ヶ崎がぽつりと言った。
「な…んで、助けたの?」
言葉の内容から俺に向けてのものだと分かり、傍の気絶して倒れたた男を気にしつつ、離れた位置の木陰にいる城ヶ崎を見遣った。
しかし向けられた感情は決して好意的なものでは無く、
「助けなんて要らなかった……アタシは罰を受けなきゃいけなかった…!アタシは咲季にもっと酷い事、いっぱいしたのに!!」
必死の形相で城ヶ崎は叫んだ。
その突然の感情の爆発に凛がぎょっとして城ヶ崎を見た。俺も思わず固まる。
「助けられる、権利なんて無い!アタシは、アタシはっ…いっそ死んだ方が、いいに…決まってるんだから!」
いままでの鬱屈した思いを吐き出すような叫び。
その姿はあまりにも痛ましい。
過呼吸気味に息を荒げて涙を流し、獣のような獰猛さをもって俺を睨み付けている。少し腫れた顔。土に汚れた衣服と肌。
男に襲われかけたのだ。平気なはずが無い。それはさっきまでの弱々しい様子からも察せることだった。
だからきっとこれは本心であって本心で無い。
城ヶ崎も自分の言葉と態度の矛盾に気付いているだろう。
それでも止められない。そんな印象だった。
「ちょっと舞花……」
城ヶ崎が俺に向けた突然の敵意に凛は戸惑いつつも止めに入ろうとする。
それを俺は目で制して、城ヶ崎へ向き合った。
酷いことをしようとしている。
自分でそう感じたがこちらも止まりそうに無かった。
出来るだけ冷静に、言い聞かせるように、言った。
「あいつは周りにそういうの望んで無いよ。咲季の親友なら分かるだろ」
城ヶ崎が自分の言葉で傷つく。
きっとそれが咲季の大きな心の負担になっていた。
あいつは陽だまりみたいな空気が好きで、暗闇が嫌い。そういうやつ。
だから、
「城ヶ崎が傷つく事が咲季への罪滅ぼしになるはず無い。そんなの、
今俺のしている事だって自己満足の域を出ていないかも知れない。
それを棚に上げて人に説教じみた事をする資格は無いと思う。
それでも、他者だからこそ、咲季の家族だからこそ分かる見当違いを放って置けるはずがなかった。
「あいつに悪いって思ったんなら、ちゃんと正面切って謝って、親友続けてやってくれ」
「そんな、軽い事じゃない…!」
涙を流しながらも、鋭い視線。
しかし口調は弱い。
「城ヶ崎がどう思おうが関係ない。重要なのはあいつが望むかそうでないかだろ。それに軽くもない。咲季の余命を知ってなお、笑顔でいろって言ってるんだ。しかも無理も同情も無く、ただ純粋にそばで笑っていてくれってな」
分かって欲しくて、自然と口調がきつくなる。
……きっと同じだと感じたから。
「そんな…そんなの、出来るわけないっ!無理…無理だよぉ……っ!」
頭を振って泣きじゃくる。
多分城ヶ崎は目を逸らしたいんだ。逃げ出して、現実を直視したくない。耐えられないから。悲しみで押し潰されてしまうから。だから一番しなくちゃいけないことを出来ないでいる
そして安易な罰に縋る。
俺も同じだ。
咲季がいなくなる事が怖くて、目を逸らしている。
いつも笑っているあいつの泣き顔を見たら否応無しに意識してしまうから。
だから咲季の心に寄り添って、抱き締める事が出来ないでいる。
今のあいつには必要な事なのに。家族がしなくてはいけないことなのに。そうしなければあいつはずっと一人で抱え込んで泣き続けるだろう。それを分かっているのに。
咲季に尽くそうとするのはその負い目も混じっているんだと思う。
「逃げてるって、分かってる…!臆病で情けないのも、分かってる……けど、どうしても、動け、ないよ…」
嗚咽。
涙が頬を幾度となく伝い、地面へ落ちた。
赤くなった目が縋るように俺に向いた。
救いを求めるような目。
しかし俺に大層な事は出来ない。
「逃げる事は悪くない。なんでもかんでも立ち向かっていったら、心がボロボロになるから、時には逃げ出したっていいと思う。けど、」
だからこれは城ヶ崎への懇願であり、
「自分が大事に思っている事からは逃げないでくれ。臆病だとか情けないからとかじゃない。未来の自分が深く後悔するから」
自分への叱咤だった。
「……っ…」
俺の言葉が届いているのかいないのか、俯いて泣き続ける城ヶ崎。
例え届いていなくても、これが俺の精一杯だった。
ここから先は城ヶ崎自身の判断に任せる他無いだろう。
「…………」
俺が気まずさに視線を彷徨わせる内、警官がこちらへやって来るのが見え、それから城ヶ崎と一言も話す事無く…
#
一夜明けた。
自室の窓から降り注ぐ太陽の光に照らされ、暑苦しくて目が覚めた。
昨日は汗だくで気持ちが悪過ぎたため、痛みに耐えつつシャワーを浴びて寝巻きに着替えてから寝た。はずだが、寝巻きは全身汗で湿っている。
ベッドの上にあったスマホで時間を確認すると、6時ちょうど。いつもなら寝てる時間だが、寝苦しさに身体が耐えかねたらしい。
「痛っつ……」
痛みに耐えてベッドから起き上がり、立ち上がる。左手に巻いた応急処置の包帯が赤黒く染まっていた。一応血は止まっているようなので今は無視し、同様に湿っていたベッドシーツを剥がし、寝巻きも脱ぎつつ一階へ降りた。
まだ母さんは起きていないようだ。もしかしたらリビングの床かソファーに寝ている可能性があるので、そちらは覗かず、まっすぐ洗面所へ。寝巻きを洗濯カゴ、シーツを洗濯機に詰め込み、スタートボタンを押す。
そのままパンツも脱ぎ、風呂へ入って包帯を取った。意外と傷は深くなかったが、少しぐじゅぐじゅ(柔らかめの表現)していたので冷水で流す。めちゃくちゃ痛かったが、とりあえずはこれで良いだろう。中学生の時に怪我ばかりしてこういうのに耐性あって良かったなと初めて感じた。
左手の切り傷にかなり染みたのでさっさと身体を流してあがり、バスタオルで雑に拭いてからパンツを穿いて、新しいシーツを棚から取り出し、重苦しい洗濯機の音を背後にまた二階の自室へ。
「暑苦しい…」
扉を開けた瞬間、呟く。
俺の部屋にはゲーム機やら漫画やら娯楽関係のものは沢山あるが、空調機器は扇風機しか無いため、夏場になると死ぬ程暑くなる。加えて今は朝日がもろに入っているから最悪。
「咲季の部屋にはあるんだけどね…」
ちょっとやさぐれた気分になった。
とりあえずカーテン閉め、扇風機の風力を強にして、
ピロン、と。
スイッチを入れた瞬間、机に避難させていたスマホから通知の音が。
机の上に置きっぱなしにしていた包帯とガーゼを取り出して左手に巻きつつ見ると、城ヶ崎からのメッセージが。
《今から電話してもいいですか?》
初めてのメッセージと、文面が敬語なのに面食らったが、とりあえず承諾する。
十数秒後にスマホが着信音を奏で、通話ボタンをタップ。ベッドに腰かけ、耳に当てた。
「おはよう」
『……あ、お、おはよ…』
電話口から聴こえるらしからぬどもり。それに声も張りがない。
まあ、あんな目に遭ってすぐだからな…
昨日心配になって凛に城ヶ崎の様子やら何やらをトークアプリで聞いたりしていたのだが、〝深刻な状態にはなっていないものの、覇気が全くない〟的な事を言われていた。だからこうやってちゃんと話せるだけでも奇跡的なのかも知れない。
「体調はどう?」
『え、と、顔が少し…腫れてるくらい』
そういえば殴られたような痕があったか。
今更になってあの男への怒りがふつふつと沸いてくる。
「良かった…とは言えないな。それ大丈夫なの?」
『今日、病院行くつもり。そこまで腫れてるわけじゃないから大丈夫だと思う』
「…そう」
他に言葉が見つからず、自然と無言になる。
続くと思った静寂はしかし、すぐに城ヶ崎によって破られた。
『あのっ…』
「ん?」
『昨日は、ごめんなさい。アタシ、酷いこと言っちゃって…』
電話の向こうで頭を下げていそうだなと思うくらい申し訳なさそうな声色。
だが、酷いことと言われてもすぐにピンと来なかった。
強いてあげるとすればなんで助けたんだって怒ったあたりか?
他に思い当たらないからきっとそうなんだろうけど、
「あの時はしょうがないだろ。気も動転してたろうし、全然気にしてない。むしろ俺の方があの後追い打ちかけた感があるし…」
『そ、そんな事無いっ!』
電話の向こうでガタン!と物音。次いで『いたっ!痛っ!』と声。
大丈夫か訊くと、椅子から勢いよく立って机の脚に小指をぶつけてしまったらしい。
さらに向こうから『なにしてんの〜』と間延びした声。凛だ。声の感じから寝起きだろうか。
『ぜ、全然、アタシもなんとも思ってないし…って、や、その、なんとも思ってないって、どうでもいいって意味じゃなくて…!』
だいぶ混乱しているみたいである。
俺は城ヶ崎が落ち着くまで気長に待った。
やがて城ヶ崎は深呼吸し、喉の調子を整えるように咳払いして、
『……アタシ、あれから考えた。凛と一緒に、ずっと悩んだ』
言葉を紡ぎ出す。
いきなりなんの話だと怪訝に思ったが、途中で咲季の事だと気いた。
おそらくこれが本題だろう。黙って続きを促す。
『けど、やっぱりアタシには、難しい。咲季がいなくなるなんて、耐えられない。傍で笑い続けるなんて、とてもじゃないけど出来そうにない』
「……………」
弱々しい声で、必死に。彼女なりの答えを伝えてくれる。
『けど、それでも、やっぱりアタシは咲季と一緒にいたい。咲季はアタシにとって大切な友達だから』
しどろもどろだった口調が、はっきりとしたものに変わっていく。本当に一晩ずっと考えて、考えて、考え抜いてまとまった答えなのだろう。
だけど降って湧いた考えなんかじゃない。彼女の中に元々あったもの。それを整理して言葉にした、彼女の中に根付いていたものなんだと感じる。
そこには強い意志が確かに宿っていた。
『だからアタシ、目を逸らさない。せめて一緒にいて、支えになりたい。そうありたい』
言い終えて、城ヶ崎は『はぁっ』と息を吐いた。
『こんなんじゃ、だめ…かな』
「駄目じゃないよ」
否定の言葉がすぐに出た。
口元が思わず緩む。
「…ありがとう」
『な、何が?』
「咲季のことそんな真剣に考えてくれてさ。なんて言うか、嬉しい」
晴れやかな心地。
カーテン越しの光がなぜだか気持ちいい。
『こ、こちらこそ、ありがとう、ございます』
「へ?」
なんで俺がお礼を言われるんだろうか。
『アタシが今こう思えるのは、秋春君のおかげだから。家族の…秋春君の方がずっと辛いはずなのに、秋春君は凄く強くて……アタシだけ甘えてなんていられないなって』
『それに気付いたのも凛のおかげなんだけど』と自嘲気味に呟く城ヶ崎。
そうなんだろうか。考え直すきっかけにはなったんじゃないかとは思うが、それだけだ。結局言いたい事を言い逃げしたようなものだったので少しバツが悪いし。
それに、
「いや、あんな事言った手前言いにくいんだけど、辛かったら誰かに甘えたっていいと思うぞ」
『…え?』
「立ち向かって欲しい的な事は言ったけどさ、どうしようも無くなる時ってのもあると思うから……えっと……」
立ち向かえとは言ったが、それは一人で頑張れって事じゃない。人間そんなに強く在るなんて簡単に出来ないんだから。
「そういう時は、俺を頼ってくれ。大した事出来ないかも知れないけど、出来る限り力になる」
『………』
……………………。
………………。
………うん。今の、なんか恥ずかしいな?言い終わって気づいたけど、凄い恥ずいな!
いつまでも返事が返って来なくて、それも恥ずかしさに拍車をかけてる。
「えっと、城ヶ崎?」
『え、う、うん。わ、分かった……』
やっと反応したが、それが鈍い。
「大丈夫か?体調悪かったら無理するなよ」
『ち、違う。ちょっとぼーっとしちゃっただけ』
城ヶ崎の口からは出ないような可愛らしい高い声。
今までは怒っているような強い口調だったので隠れていたが、こっちが城ヶ崎の素なのかも知れない。
「…そっか。けど、何かあるんなら遠慮なく言って」
『秋春君って結構心配性?』
苦笑いで城ヶ崎。
「そんな事無い。まあ、そう見えるのは俺も城ヶ崎に感謝してるからじゃないかな」
『?』
「城ヶ崎のおかげで決心がついたんだよ。立ち向かう勇気ってやつ」
『…アタシ何もしてない』
「目を逸らしてたのは俺もだったって事」
言った後、間。数秒の静寂。
『そっ、か』
何かを察したのか、城ヶ崎は弱く笑った。
『じゃあ、お互い頑張らないとね』
「そうだね」
俺もつられて苦笑する。
なんだか気恥しい空気だが、嫌いじゃなかった。
それから少し話して電話を切った。
ごろんと、またベッドに寝転がる。
身体の節々や打撲が軋むように痛んだ。
扇風機の風に吹かれた髪が揺れる。
風呂からあがってしばらく経ったが、まだ身体は火照っていた。
傷の痛みによるものと、もう一つ。
「さて、ラスボス戦がこれから待ってるわけだけど、どうするかなー」
とりあえず病院行って、あ、それと警察に話をしに行かなきゃか。そうするとその後になるが、このボロボロの身体見たらあいつキレそうだよな。
まあ、なるようにしかならないか。
伝える事は大体決まっている。後はタイミング次第。
「うっし!」
痛みを跳ね飛ばすように気合いを入れて起き上がり、クローゼットの中から服を取り出して着る。
そこでふと、流したままにしていた疑問が脳裏に浮かんだ。
「……そういえば、」
城ヶ崎、俺の事呼び捨てじゃなくて〝君〟付けしてたけど、どうしたんだろう。
些細な疑問はやがて思考の波に流され消えていった。
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