第3話 戦だ…
妹の咲季は誰からも好かれる八方美人。端的に言うなら人気者だ。
引力が他人の倍くらいあるのかと錯覚するくらい、自然と周りに人が集まるタイプ。
背中半ばまで伸ばした黒髪をなびかせて友達と歩く姿は、ドラマのワンシーンかよと突っ込みたくなること請け合いだった。
身長165センチ。バスト、ウエスト、ヒップは本人曰く(ある日勝手に自慢してきた)恵まれている方。
いつもヘラヘラとしている顔は愛嬌があり、羨望よりも親しみを抱きやすい。
つまり何が言いたいかと言うと、
「神様はクソ野郎だ」
口から漏れたのは呪詛を込めた言葉。
誰に聞かせるでもない独白だったが、それに応える声があった。
「急にどうしたん?」
短髪の、眼鏡をかけた線の細い男がパソコンと睨み合いながら俺に問う。
その名の通りやせ細り、ついでに言えば髪の毛も細く、目も細い理系を代表したような大学二年生。俺とは同学科、同期である。
「いや、このレポート意味分からなすぎて神への不満まで頭がトリップしてた」
「壮大な脳みそだねぇ」
神経質そうな見た目とは裏腹に、独特の間延びした声で、細田。
「余裕こいてる細田は進捗どうなんだ」
「問二で止まってる。一週間でこれができる人間の気が知れないよ」
「お前が見た目より低スペックで精神的に助かる」
言いながら、俺も目の前のパソコンに視線を移した。
現在俺達がいるのは中高の教室くらいの広さしかない大学のパソコン室。主にレポートを進めるために学生が使う場所だ。
自宅のパソコンでは出来ないようなレポートを作らなくてはいけない時や、グループワークなどで重宝されるため、意外と多くの学生が常時いる。
特に、今のような朝の一限目が始まる前はレポートを作るために学生が殺到し、満員になっていたりするから、少し息苦しい。
見渡しても空いている席は見当たらなかった。
「これ何なんだまじで。自分で文献調べて作れって無茶だろ。頭わいてるのかあの教授」
何をどう手をつければいいか分からない鬼畜レポートという現実を直視し、不満が溢れ出てくる。
「田中が頭わいてるのはもう公然の事実だよね。オレ、あそこの研究室には絶対いかないと誓ってるよ」
田中とは、現在俺達を苦しめているこのレポートを期限一週間で突きつけてきた教授の名前である。
科目は、解析学Aというもの。
一週間でやるには調べる時間が圧倒的に足りないレベルの宿題もといレポートを出されたので、たまたまパソコン室で会った細田と意見交換しながら進めていた。
今の時代ネットがあるから調べ物なんて楽勝…と大学に入った当初は思ったものだが、生物系の調べ物は大抵、普通にネットを使っても出てこないのである。
適当にでっちあげようとしても、その情報元のサイト、または文献の名前を証拠として提出しなければならない。しかも個人が勝手に書いたようなもの(みんなの味方ウィキ〇ディアさん等)は使用禁止という縛り付き。つまり研究機関のホームページとか、論文のデータとか、そういうものを一々探し出さなければならないのだ。
「学生の負担をまるで分かってないよなあのオッサン。こちとら実験レポートも抱えてるってのに。しかもよりによって一番面倒なやつ」
「DNA解析なんちゃら」
「そうそれ」
適当な事を喋りながらレポートを進めた。
提出は今日の十三時半。メール送信での提出だ。今は九時だからまだ時間はある。とはいえ俺と細田は二限に授業が入っているから、実質二時間半くらいの猶予か。
設問五つの内、三つまでは終わっているため、まあ期限内に提出できるだろうとは踏んでいる。
……おそらく。
「あ、おっはーよ」
黙々と作業していた俺は、間近で聞こえた高い声にチラリと視線を向けた。
そこにいたのは顔見知りの女子。
「お、多恵ちゃんじゃん」
細田が気付いて笑顔を向けた。
同時に、女子――
俺も「おっす」と軽く手を上げて応える。
染谷も俺と同学科、同期で、一年の頃から割と話す方の奴の一人だ。
この大学の女子の中では珍しく、限りなくスッピンに近い薄化粧。
だからと言ってその姿が周りから劣るかと言ったらそんな事は無い。むしろ美人の方に入る。
と言うより美人だからこそ素材の良さで勝負しているんだろう(と勝手に思っている)。
くっきりとした目鼻立ちに、茶に染めたショートボブの髪。身長は150センチと小さいが、スキニーデニムにシンプルな黒のTシャツといった出で立ちから、子供っぽさはほとんど窺えない。
多分だけど、男子からはそれなりに人気があるんじゃないかと思う。
「何してるの二人とも?」
パソコンの画面を覗き込んで笑顔で訊いてくる。元来そうなのかは分からないが、鼻声でなおかつ媚びてるような口調なので、俺は何だかいけ好かなく思っている。ボディタッチも多くて、〝作られた女子〟感があるし。
完全なる偏見だが、生理的に抵抗があるから少し苦手だ。
表面上なら仲良く出来るのでわざわざそんな態度は取らないが。
「レポート」
パソコンの画面を指さして言う。
「何の?」
「解析学A」
「あー。それ提出いつだったかなぁ?」
その一言を聞いた瞬間、俺と細田は顔を見合わせた。
浮かべているのは、苦笑。多分俺も同じような顔をしていると思う。
察した。
こいつ終わったな。
わざわざ教えてやるのも億劫だったのでその役目は細田に任せ、調べ物に集中。
「うっっそぉ!?」
真実が細田から語られ、文字通り飛び上がって驚いた染谷はすぐさまパソコンに飛びつこうと…したが、席が満席だということに気づき、
「うぅぅ…どうしよどうしよ!」
見るからに混乱し始めた。
「どうすればいいと思う!?」
どんな相談だよ。
必死(に見える)の様相で慌てふためく染谷に細田は「えっと…」と視線をこちらに遣った。いや俺を見るな。
「…………………」
染谷もうるうるとした目で俺を見つめてくる。まるで俺が悪い事をしているような空気。
「……はぁ」
小さくため息をついて、俺は鞄からUSBを取り出し、レポートのデータを移す。
次いで、パソコンのウインドウを全て消し、アカウント入力画面まで戻った。
「こうすればいいんじゃない?」
鞄を持ち、席を譲る姿勢を見せると、染谷は見る見る内に笑顔になり、
「ありがとぉ!片桐くん!いいの?」
俺の手を優しく包むように掴んだ。
ゾワリと背筋が粟立つ。
俺は後退りながら、
「後で席が空いた時間にやりに来るから」
と言い捨ててそそくさとその場を離れた。
#
「やっぱ苦手だああいう手合い…」
パソコン室を出て、一息つく。
何だあのフルメタルアーマーみたいな外面は。いや、素であれなのかも知れないけど、いや素でアレは無いわ。
計算づく(にしか思えない)の完成された言動。表情。美人だからこそ許される振る舞いだろう。それ故に、人間味が無くて恐ろしい。裏で何を考えてるんだか知れたもんじゃない。
咲季の何も考えてない、生身の殴り合いみたいなアホ会話が恋しくなった。
「――と?」
思っていると、ポケットのスマホが震えた。
画面を見ると、見計らったようにメッセージアプリに咲季の名前が。
《おはよ》
メッセージはそんな一言。
いつものように、妙なテンションのふざけた文章ではなかった。
様子がおかしい。
だけど昨日の出来事が起因している事は分かったので別段驚くこともなかった。これは多分、何を送っていいのか分からなくて、悩み抜いた結果、このように簡潔になったんだろうと思う。
つまり、いつものふざけた咲季じゃなく、真面目な部分が出てしまったに過ぎない。
「いつもこれぐらいのテンションでいて欲しいもんだな」
苦笑し、返事を返す。
俺もとち狂ったものだ。
きっと俺の選択は間違いで、おかしいものなのだと思う。
それでいて逃げ道を用意している辺り、中途半端というかなんというか。
世間か、妹か、どちらかにはっきりと線引きすべきだ。でなければ誠意が無い。のだと、思うが。
「ほんと、倫理って面倒臭い…」
#
返事が来た。
ベッドの上で震えだしたスマホに飛びつき、トークアプリを起動。
《おはよう。調子は?》
画面に表示されたのは簡潔な文だった。
だけどそれだけで咲季の口元はだらしなく緩んだ。
なぜなら、普段彼女の兄はこんな些細な事でメッセージを返してきたりはしない。
その変化に咲季は言い知れぬ喜びが湧き上がってくるのを覚えた。
「きょ、う、は調子いい…っと!」
興奮なのか何なのか、手汗が凄い両手で返事を打つ。
以下、兄妹のやり取り。
《今日は超べりーべりー調子良いヽ(。・ω・。)ノ》
《そりゃ何より》
《お兄ちゃんに会えばもっと元気になれるゾ
(*´ω`*)
ところで今日はどんなセックスする?》
《突然昨日もやった風に言ってくんな。そして発言の記録が残る場で下品な言葉を使うな》
《セッ〇スのどこが下品なんだ\(`_´)/ 》
《伏字してる時点で自覚あるんじゃねーか。ていうかそもそも文脈がおかしい》
《身体元気→運動したい→一緒に青春しよ♡》
《青春を貶めるなアホ》
《お互いを高め合いながら気持ち良く汗を流す。これのどこが青春じゃないと仰るの?》
最初のぎこちなさはどこへやら、いつも通りのやり取りを始める咲季。
いつも通りの会話が下ネタ全開と言うのが色気の無さを助長している。
それが兄妹としての意識を兄から抜けさせてくれないのは何となく分かっていたが、いざ本人と会話するとなるとつい軽口で話を繋いでしまうのだった。
また、兄が一番笑顔を見せてくれるのがそんな適当な会話の時のため、という事も大いに関係している。
好きな人の笑顔が見たい。
最近は自分の病気のせいか兄の元気がなかったため、尚更それを求めてしまう。当然と言えば当然だが、もう少し色っぽい会話がしたい咲季にとってそれはジレンマだった。
しかし、
「………けど…けどけどっ!」
今そんな事はさて置いてと言えるくらいには咲季のテンションは高かった。
ベッドの上でスマホを抱くように蹲り、脚をバタバタさせる。
「おにーちゃん、おにーちゃん!おにーちゃんっ!!」
毛布を抱いてキスの乱舞。
頭のおかしい人のそれである。
いや、実際おかしくなっていた。
仮交際。
咲季と兄――
秋春が常識を切り離せず、しかし常識よりも咲季に重きを置いた結果である。
キスや性行為は無し。しかしそれ以外では恋人らしく振る舞う。と言うもの。
つまり超プラトニックなお付き合いならOKということである。
キスも性行為もしたい咲季にとっては少々不満があったが、兄妹の境界を越えるということ自体が奇跡みたいなものなので、今のところ大満足だった。
何より大好きな人が自分を選んでくれたという事が嬉しい。嬉しくてたまらない。
「えへ、へへへ、今日からは…あ、秋春くん…なんて、なーんて!呼んじゃったりして!!」
きゃー!とまたジタバタし始める咲季。
瞬間、スマートフォンから通知音。
《じゃあ一回やってみる?》
「……………………………」
「……………………うん?」
スマートフォンに映ったメッセージを見て、咲季はサボテン並の思考を停止させた。
「やってみる?」
殺ってみる。ヤッテミル。
「何を?」
思考が遥か彼方までいっていた咲季はメッセージのやり取りを見返し…
「…………………………」
……ヤッてみる!?
煩悩でほぼ支配されている咲季の脳は些細な言葉も性的事柄に結びつける事が多い。
だがこれは一般人が見たとしても明らかに、
「お、お誘い…」
完全に、
「戦だ…、勝負下着の準備だ…!」
彼女の兄がとち狂ったと言わざるを得ない言葉だった。
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