リザードマン勃興記(『水棲派清書』より)
くろかわ
『三章二節』
狩りの上手いやつはでかくなる。だから俺は群れで一番でかいし、他のやつは俺と比べて大きくない。今日も群れの為に食い物を探す。そして獲る。
四本の足で立ち、身を屈め、狙いを澄ます。水中にいる魚の群れの、できるだけ大きいやつに。
『じりじりと水辺に近寄り、水面が彼を歪ませている間に距離を詰め、最後に一瞬の隙を狙って噛み付く。歯と顎に鱗を貫通する感触と骨を砕いた振動が伝わり、刹那遅れて水流が乱れる。魚の群れは散々に逃げ出し、後に残るのは獲物になった肉の塊と、それが流す血の色だけだ』
濡れた顔から食い物を放り投げる。わらわらと集まってそれを食う幼体と老体。まだ狩りができないやつと、もう狩りができないやつ。
「美味いか」
問いかけても応えるものは少ない。答えるものは更に少ない。皆、顔面を血塗れにして魚をがっつく。
まぁ、佳い。この能力はあまり重要ではないのだろう。
「すまんねぇ」
老体の内、明瞭に会話のできる一体が答えた。
「食えないのは辛かろう」
「なら、もう寿命なのさ」
「まだ死んではないだろ」
一欠片を食い、それきり獲物を口に運ばずにいる。
「もういいのか」
「もう食えんよ」
そうか。
食えないやつから死んでいく。獲れないやつが死ぬのは嫌だったから、代わりに獲る。だが、食わないやつを救う手立てはまだない。だから、こいつはそろそろ死ぬ。仕方ない。
仕方ないんだ。
「オマエは」
老体と並んでいると、俺の次にでかいやつが来た。口に魚をたくさん咥えている。
「食ったか」
「食ってないやつはもういないか」
『互いに問う。言葉でのやり取りは貴重で、一番大きいやつはこれが好きだった』
「オマエで最後だ」
そいつはそう言うと、魚を放り投げてよこした。陸の上を泳ぐ魚を口で受け取る。
『そのまま噛み砕く。咀嚼で絶命した魚が彼の血肉へと変わっていく』
「子供は狩りを覚えたか」
「覚えた。見せた。やらせた。やれた」
「言ったか」
「通じない。半分くらいはわかってない」
「そうか」
『彼は頭を落とし、落胆の色を隠さなかった。それが二番目に大きい彼に通じているかどうかはあまり関係なかった。しかし、二番目に大きい彼は、一番大きい彼の気持ちを何となく察していた。
彼にとって、会話は楽しいものだ。しかし、もう片方の彼にとっては、そうではなかった』
「言うのは無駄。見せればいい。それで食える」
「食えないやつはどうする」
「死ぬ」
「それはよくない」
「食えないやつは死ぬ」
『そうだな、とだけ返した』
皆が食い残した頭を分解して中の内臓を啜っていると、小さな這いずり音がした。そして、
「あ」
声。
「おう。遅いかったな」
「ごめんなさい。その、」
頭を落として、気落ちする子供。こいつもきちんと答えてくれるやつだ。そして、
「またなんか、気になったもんでもあったか」
『その小さな個体は目敏く、賢い幼体だった。前に一度、濁流を予見した時から一番大きな彼に目を掛けられていた』
「うん。食べられそうなんだけど、逃げられちゃった」
顔を上げて、鼻息荒く答える。
「ま、食え」
残しておいた魚を鼻先で突き出した。
「いっぱいある」
「いくつある?」
「七」
『それを聞いて、一番大きい彼は満足気に頷いた』
「狩り、得意だよね。こんなにたくさん」
「一匹が上手ければ、もう一匹は他のことできるだろ。お前みたいに、水の濁りを読んだりとか」
「陸の魚を見つけたりとか!」
「それで、多分高さが足りないんじゃないかなって」
そいつが目を見開いて話すには、どうやら水辺以外にも食えそうな魚がいるらしい、という事だった。
勿論、知っている。俺はこいつより長生きしているからだ。だが、
「高さ? 上から襲えばいいのか」
「水の中にいるやつと同じで、あとは僕達とも同じで、前や横はよく見えるけど、上はあんまり見ないだろうし。見えないとこから嚙みつけばきっと捕まえられるって!」
わかる。そこまではいい。
「けどよ、そいつは無理だ」
「どうして」
首を傾けた小さな瞳に見つめられる。
「あの、なんかあれ。えぇと、これ」
近くにあったその細長くて硬いものを叩く。
「あぁ。木」
『これが最も古い、地上のものの名付けである』
「キ?」
「うん。魚と陸の魚みたいに、呼び方あるといいでしょ」
まぁいいや。キね。
「上から襲うならこのキだ、と言いたいが」
「登れないよね?」
「わかってんじゃねぇか。……もしかして」
「無理無理、登れないよ」
小さいやつはいけるかと思ったが、だめらしい。
「爪は引っかかるけど、坂道が急過ぎて体を持ち上げられない」
「モチアゲ……なに?」
「体を上に運べない」
「なるほど」
ふむ、と考えこむ。どうしてものか。いや、どうもこうもない。
「大きいやつの上に小さいやつが乗っても、結局下のやつが見つかっちゃうしなー」
「おい、いい考えがある。老体のとこに行こう」
「なんで?」
「俺は陸の魚を知っていた。お前より長生きだからだ。だったら、俺達より長生きな老体なら何か知ってる。多分」
「なるほど! いこういこう!」
「おい」
群れに戻り一声かければ、応じるやつが何体か。食い物を持っていないと見るや、不思議そうな顔をした。
「食えなくて死にかけてるやつがいたろ。どこいった」
見渡す。更に数は減るが、応じたうちの何体かが鼻先を向けてくれた。
「おい。まだ生きてるか」
暗がりへと歩き、閉じた瞳に聞いた。
「まだな。なんだ」
酷く疲れているようだ。動かなくなる前のやつはこうなる。
「陸の魚は知ってるか」
「おう」
「獲り方を考えている」
「何故」
「……それは、」
何故だ?
びくりと体を震わせた。何故だ?
「食べてみたい!」
幼体が叫ぶ。沈黙を掻き消したその幼体は鳴き続ける。
「水の魚と、形も色も違う。食べてみたい。上から襲えばいいと思うんだけど、どうやったらいいのかわからないんだ。長生きしてたら何か知ってるんだろ?」
周りの仲間が顔を見合わせる。
それもそうだ。水の魚だけで充分群れは生きていける。陸の魚を狙う必要はどこにもない。それはもっと群れが大きくなってからの話だ。そして、その頃には俺達は皆、死んでいるだろう。
「長生きしてるからって、何かを知っているわけじゃない」
『老体は諭すように、そして慈しみを込めて答える』
「そうなの?」
「お前より答えるのが下手で、お前より長生きのやつもいるだろう」
「そっかー」
「だが、上から狙うのはいいな」
「いいか! でも、木には登れない」
「キ?」
二体が話し合う横でじっとしている。仲間のほとんどは内容も聞かずに体を横たえている。
こんなに胸が高鳴るのに、だ。
「おい、でかいの」
「なんだ」
「お前は今からオサだ」
「あん?」
「これは木」
幼体がいう。キを片足で叩きながら。
「あんたはオサ」
幼体がいう。俺を片足で叩きながら。
「で、」
自分を叩き、言う。
「コ」
「わかった。俺がオサでお前がコ」
「そう!」
コは、他の幼体が始めて魚を獲った時のように言った。『彼は、嬉しかったのだ』
夜は来る。陸の魚を獲ってみようと決めても、夜は来た。なら、昼も来るだろう。
『微睡む彼。月と星が水面に紗羅のごとく揺らめき、虫や鳥や獣が草擦れに紛れて暗夜を奏でる』
「おい、オマエ、陸の魚を獲るのか」
二番目に大きいやつだ。
「獲りたい」
「やめろ」
「何故」
『嘆息と共に、彼はオサを睨みつけた』
「無駄だ。水の魚で食っていける」
「その通りだ」
「なら何故食う。疲れるだけだ」
「お前が正しい。正しいが、俺は狩りたい。それだけだ」
『睨み合う両者。天敵も食糧の取り合いも発生しないこの水辺で、同種の流血は暗黙の禁忌だった。今もなお受け継がれる、鱗の誓いはここに端を発する』
「わかった。オマエが群れに帰って来なかったら、オレが仲間の魚を獲る。オマエが陸の魚を狩り損ねたら、へたくそめと笑ってやる」
「俺が俺よりでかい陸の魚に食われたらそうしてくれ」
『そう言ってオサは、二番目に大きい彼の鼻先に、自分の鼻先をこつりと優しく当てた』
「なんだこれは」
「言ったことを守ってくれ」
「……当たり前だ。言ったことは守る」
『二番目の彼もまた、オサの鼻先に自分の鼻先を軽くこすりつけた』
『夜が明ける。オサは仲間のぶんの水の魚を獲り、そしてコと連れ立って森へと向かった』
「キが多いな」
「多くないと困るよ」
「カゲだったか。あれで陸の魚にばれないように動くんだな」
「そう。水の中と違って、遠くまで見通せる。だから、オチツイて」
「オチツイ?」
「オサは狩りが上手いから、いつも通りやって」
「おう」
違うやり方だが、いつも通りに。簡単だ。
コと一旦別れ、独りになる。水の魚を嗅ぎ分けるための鼻、水の魚を捉えるための眼を、今は陸の魚を食ってみたいがために使う。
いた。いる。
後ろ側の脚に力を込める。背中を丸め、腹をノケゾラセる。『立ち上がる』キのハが近い。『世界が変わる』獲物が見える。『身体中に力が漲る』ただ一匹の陸の魚を狙う。いつもとは全く違う狩りだが、失敗する気はない。何故なら、俺は
※本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品が取り扱っている内容などを考慮しそのままとしました。
リザードマン勃興記(『水棲派清書』より) くろかわ @krkw
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