White Flower
ひゐ(宵々屋)
White Flower 前編
どんなに大きくても。どんなに美しくても。そしてどんなに文明が発達した街でも、墓地はあります。
どんなに人間が進化しても、死からは逃れられない。抗えない――だからこそ、街の人々は、最終的に行くことになってしまう墓地を、忌み嫌っていました。
そして墓地を管理する墓守も、忌み嫌われていまして、それにふさわしい人間一人が選ばれていました。
――その街の墓守は、醜い男。生まれながらに、顔の半分が焼けたかのように黒く潰れた男でした。
彼は、家族からも他の人々からも忌み嫌われた男でした。その顔故に、生まれたばかりのころに教会に捨て置かれ、そして大人になった時、墓地の管理を押し付けられたのです。
死人が出れば死体を預けに来る人以外、墓地には誰も来ません。男は寂しくないわけではありませんでした。話し相手もいないのです。それでも、黙々と仕事をこなしていました。掃除や辺りの植物の世話。それから新しい墓穴を掘って、棺桶を埋める――。
そうして生きていくことしかできなかったのです。そうして日々を過ごしていくことしか、できませんでした。
* * *
ある日のことでした。
その日もいつものように墓地の掃除をしていた男は、珍しく、誰かが墓参りに来ていることに気がつきました。
もう随分前に作られた墓の前。そこに、黒い衣の女が立っていたのです。
とても美しい女でした。服だけではなく、その髪と瞳も漆黒で、肌ばかりが眩しいほどに白いのです。そして女が手にしている一輪の花も、汚れ一つ知らないように、真っ白でした。
物好きな人だなぁ、と、男は遠くからその女を見守りました。自分の容姿は醜いのです、近づいただけで、女は驚いて去ってしまうでしょう。男は、女の邪魔をしたくなかったのです。
女は男に気付いていない様子でした。手にした花を墓に供えると、音もなく去っていきました。
男はその時、女のことを、ただただ不思議な人だと思うだけでした。こんな忌み嫌われた場所に来るなんて。
――その日以来、女は時々墓地に姿を見せるようになりました。服装は喪服のような黒色のまま、手にはあの白い花を持って。
何度も来るなんて。それはそれは不思議なことで、男はいつも、遠くから女を見守りました。
けれども、それ以上に不思議だったのは、女性は墓地に来る度に、別の墓に花を供えていくことでした。彼女は、その墓の下に埋まる人々と関係のあった人物なのでしょうか。
いや、と、やがて男は気付きました。
女は他人であっても、死者を想っているのです。何度か女を見かけて、やっと気付きました。そうでなければ、ずっと前に死んだ人間――彼女も、そして男自身も、生まれるよりずっと前に死んだでしょう人間の墓に、花なんて供えるでしょうか。
とても優しい人なのだと、男は思いました。
そう思うと、男は女と話してみたくてたまらなくなりました。いままでは、邪魔をしないようにと気にしていたのに。
――彼女の前に出てしまえば、他の人間がそうしたように、きっと自分はまた蔑まれるに決まっている。
……考え直して、男はぐっと堪えました。
思えば、女がこうして何度も墓地に来ているのは、自分が姿を潜めているからかもしれません――女が来ていると気付いたとき、男はすぐに隠れるようにしていました。だから女は、未だに男に気付いていないようだったのです。
それにしても、あの女の、悲しそうな顔。
女はいつも、どこか悲しそうな顔をしていました。墓地に来ているのだから、ふさわしい顔と言えば、そうなのかもしれません。しかし男は、女のその表情が、ひどく気になり始めました。
あの女には、一体何があったのでしょうか。そもそも、どうして墓地に来てはおそらく全く他人のものであろう墓に花を供えるのでしょうか。気になって仕方がありません。
けれどもなかなか、男は女に話しかけられません。どんなに日にちが経っても、まず女性の前に姿を現すことができません――そんなことをしてしまえば、女が二度と墓地に現れないような気がして、男は怖かったのです。自分の顔の半分は、黒く潰れてしまっています。こんな不気味な人間がいると知ってしまえば、彼女はきっと怖がってしまうでしょう。
それだけではありません――男は単純に、女と話すのが、その前に立つのが恥ずかしかったのです。
でも、女がやってくるようになって、しばらくが経った、よく晴れた日のことでした。
その日、男は墓地の隅にある茂みの手入れをしていました。やっと終わって、額に浮いた汗を拭いつつ立ち上がり、出来を眺めます。そうして、次へ行こうと振り返った時でした。
――墓地の中、離れた場所から、あの女がこちらを見ていました。黒いスカートをなびかせて、その手にはあの白い花を持って。
男の目は、その女の黒い瞳と合ってしまいました。
ついに女に気付かれてしまったのです。
男は息を呑みました。
けれども初めて見られたのです。距離はあるけれども、正面から、その女の顔を。
やはり、とても美しい人でした。
しかし気付かれてしまったのです。こちらが相手の顔を確認できたように、あちらも自分の顔を見てしまったに違いありません。この、醜い顔を。
――女は、軽く頭を下げて、挨拶をしてきました。
だから男も、反射的に頭を下げました。
男が顔を上げれば、女は表情一つ、変えていませんでした。どこか憂いを抱えたような無表情、そのまま。そうしてまた墓を見つめれば、いつものように花を供えて、去っていきました。
……後日、女は再び墓地にやってきました。いつものように、花を手にして。
また来た、と、男は思わず凝視してしまったものの、女は前にそうしたように頭を下げて挨拶をしてくれました。だから男も挨拶を返します。言葉なく、頭だけを下げて。
――男が女とやっと会話するようになったのは、何日もその挨拶を繰り返した後でした。
最初は遠くからでしたが、日々を追うごとに、その距離は徐々に縮んでいきました。そして今日、やっと女の目の前に立つことができたのです。そして、ようやく。
「……優しい人なんですね。よく、墓参りに来て」
男はそう、初めて女に声をかけました。女は手にしていた花を、いつものように墓に供えました。そして男を見上げれば、
「あなたも優しい人なんですね……こんなところに一人追いやられて、ひどい仕打ちを受けているのに、黙々と仕事をしているなんて」
いつもはどこか悲しそうな顔をしていた彼女でしたが、その時かすかに笑ったのを、男は見ました。
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