24/11/10 インプットに勤しむ
そういえば。
金曜日の夜。
なんかないかって、ずっとSwitchでダウンロードゲーム一覧から探してたんだよ。
でさ、広告に動画があるものも多いんで、色々みてたんだよ。
思ったんだけど。
絵が美麗なのも分かった。
イケメンがいっぱい出てくるのも分かった。
が。
肝心のストーリーが、どんななのか全く分からんかったんよ。
世の中の乙女たちは、それでいいのか?
決して安くなかったぞ?
それとも、好きな声優さんとかが出てれば、取り敢えずやってみる感じなのかな?
これはディスってるとかそういう話ではなく。
ホラ、私は今、書籍の広告でPV作成を企んでてさ。
ラノベの広告とか、結構参考として見てるんだけど。
ラノベの広告は、ラノベを買ってもらうために、そのラノベが『好きかも! 好みかも!』と思ってもらう為に、掴みのあらすじが語られるんだけどさ。
乙女ゲームの広告には、あんまなかった。
イケメンたちが甘く囁くシーンが、キャラ紹介と共に次々に流れてた。
流れてたんだけど、肝心のストーリーが、何一つ分からなかったんだよな。
なんでだ??
多分。
乙女ゲームユーザーが、『何を期待してゲームを買うか』の、その視点に合わせてあるから、こうなってるんやな。
イケメンとどんなイチャラブ(※死語)すんのか、とか、キャラボイスはどの声優さんなのか、とかとか。
勿論ストーリー性もある程度重要なのだと思うけれど。だって没入感が必要やろ? そういうシチュを楽しむゲームってのは。
でも『一番』じゃないんやな。
ターゲットをどこに絞り、そのターゲットたちが何を重要視しているのか。
これって、広告を作る上では、やっぱり大事なんやな。
これは勿論、広告PVだけの話ではなく。
小説だと、タイトルやキャッチコピーで発揮しなければならない視点だな。
うむむ。難しいな……
……。
話が逸れている。
私は、十章のヤマとオチのシーンを思いつくために、インプットの一環として、乙女ゲームに手を出していたのだ。
忘れていた。
必要なのはインプット。
というワケで(?)、方々から絶賛されていた実写版ゴールデンカムイの映画を、遅ればせながら拝見させていただいた。
漫画版も読んでいたし、比較的ファンでもあるので、楽しみにしていた。
結論。
いや、すっげぇな。
コミックでいうと、3巻の中盤? ぐらいまでを、一本の映画に落とし込んでいた。
なのに、違和感がない。
抜けてるエピソードや複数のイベントが一つにまとめられていたりもしていたが、違和感が全くなかった。
漫画の記憶があるので『おや? ここは』と気づく場面も多かったけど、知らないで見てたら多分すんなり受け入れる。
こりゃ凄い。
なのに、漫画で大コマでドーンと演出されていたり、読者の印象深いシーンは外してない。
これは、ちゃんと漫画を読んだ人達が作ったのだな、と思った。
俳優さんたちの演技も秀逸だった。
個人的には、白石役だった役者さんの凄みを感じた。
多分、難しいんだよね、白石役。
彼は、重くなりがちなこの作品の中で、かなり重要なコメディリリーフで、でも『ハイ、笑わせますよ』というスタンスでやったら大爆死するタイプの役。
これを見て思い出したのは、エクスペンダブルズに出てた、アントニオ・バンデラスさんや、インディジョーンズ魔球の伝説に出ていた、ヒロイン&少年の二人。
漫画や小説でも、コメディリリーフを置くのって本当に難しいんじゃないかと思っているのだけれども。
下手をすると、作品のリズムを壊しかねないし、悪い意味で雰囲気を壊してしまう事もある。
これで失敗してる商業作品をゴロゴロ見てきた。
勿論、脚本や演出もあるけれど、出す雰囲気や間などは演者さんの力量だと思うし。
本当に凄いな、と感心した。
キャラ作り、という部分について、
俳優さんの演技を参考にするのって、本当に重要だし勉強になるな、と感じた。
あと。
ダラダラ長くなってしまいがちな長編小説で必要な作業が、ここに詰まっているのだと実感した。
イベントを削る、一つにまとめる、入れるタイミングを変える、必要要素以外削っていきつつ、息詰まる感じにならないようにリズムをつける。
小説なら1冊分、映画なら2時間分。
WEB小説では仕方がない側面もある。
1エピソードは大概1500〜2500文字程度、私の場合は2800〜3800文字程度。それ以上長いと隙間時間に読む事ができず、離脱を招く可能性が高いし、毎日更新を目標とすると、どうしても1エピソードの分量は短くなる。
つまり、続ける為に分散させたりする事が多くなる。
ただ、それが読者離脱を招かない為の手法であり、むしろそうじゃないとWEB小説との相性は悪くなる。
でも、書籍化された作品については、読者さんはまとめて読む事になるので、WEBの体裁のままでは良くないのだ。
同じリズムでダラダラ続く印象を受けてしまう。
書籍化にあたり、WEBの体裁だったものを、書籍に合わせた形に変える必要がある。
コミック3巻ちょいを、2時間の映画に纏めるように、ね。
リズムをつけ、エピソードを纏め、必要に応じて削る。
この作業は、多分WEB作家をしている人にとっては、とても難しい作業になるだろうな、と思った。
私?
私は、むしろ足りないから足したんだよ!!
3万字近くな!!!
リズムは直したけど。
劇場版ゴールデンカムイの残念だったところは、原作漫画が長い事もありつつ、続編がドラマとして作成決定していた為、『映画の中で完結してる物がない』事だったけど。
これは仕方がないので、残念に思いつつもマイナスポイントにはなってない。
ただ、一応、映画のオチとして、アシリパさんと杉本の共闘関係が出来上がる、という所なのだろうな。
個人的な不満は、そこに白石が入ってなかった事、かなぁ。
エンドクレジットの中で、三人でキャッキャしてるエピソードが入っていたのだけど、ゴールデンカムイを知らない人が見たら、エンドクレジットが流れるタイミングは、集中力が切れているので、なんだか、原作ファンへの目配せ、的なエピソード扱いになっているように見えた。
勿体無い。
ちなみに、劇場版からスタートして、ドラマに繋がる構成は、私はアリだと思っている。
逆──ドラマでやって、最後に劇場版でオチをつけるってヤツね。アレ、苦手です。いくらドラマを楽しく見てても、劇場に足は運びません。
これ、フリーレンの時、そうだったやろ?
一番重要な作品序盤を、金曜ロードショーで二時間やり、続きが30分アニメで続いた。
その世界観に引き込む為にはとても良い手法だと思った。
二時間で、長い作品の大切な冒頭を丁寧に描く。
これって、視聴者にとっても、贅沢で濃厚な時間になると思う。
……あー。
そうか。オチがああなり、桜鍋のシーンがああなった理由。
実写化ゴールデンカムイは、アシリパさんと杉本の話であり、中心は杉本だからか。
だから、白石の立ち位置がああなったのか。
コレも小説書きには大事なモノだ。
主軸をどこに置くか。
初心者が書く時に、群像劇はやめろ、というのはここに関わってくるのか。
主軸がブレる事。
特に群像劇は、作中、第三者視点になったり、とあるキャラの一人称になったり、視点が変わる。
視点が変わるから、作品としての主軸がブレやすくなるのかぁ。
なるほどなぁ。
作者からすると、全部可愛い子供みたいなモンだ。
登場してるキャラに、表現していない背景があったり、行動の根拠となるエピソードがあったりなど。どの子も活躍させていあげたい、と言うのが親心。
でも、一つの作品として見た時、それじゃダメなんだ。
主軸をブレさせない為に。
そして、見る人の「作品を見る視点」をブレさせない為に。
作者にとっては、せっかく時間を書けて考えた事でも、読者が読み取る主軸の邪魔になるのであれば、削ったり端に避けたりしなければならないのか。
なるほどなぁ。
深い。
インプットの為に見た作品だったけれど、思わぬ思考展開が出来たなぁ。
よきよき。
この調子で、他の作品もガツガツインプットしていこう!
今回はここまでな!
以上!
それでは!!
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