10/28 短編・悪役令嬢モノ。溺愛、カケナイ。ははははははは。

 今日は先に結論書くぜヒーハー!!!


 結論


 私には、多数の乙女が求めているであろう『溺愛』は書けない。


【完】


 *** 牧野先生の次回作品にご期待下さい ***



 昨日、人と溺愛について(※厳密に言うともっと深い系統の話)をしていて、そこで気がついたのですよ。


 私、溺愛、書けます。


 ただし。

 その溺愛は、目上のものから目下のものを愛玩するような感じです。

 親が子を、祖父母が孫を、叔父叔母が甥っ子姪っ子を、近所の子供を、親しい友人の子供を、飼ってるペットを……etc


 そういうのは、結構いける。

 現に、放っておくと、姉の心理描写は妹可愛いで埋め尽くされる。語彙力発揮して延々どう可愛いのか、どうしてあげたいのか書ける。


 しかし。


 ここに、『恋愛』や『性欲』という感情が入り込むと。


 まぁ大変!


 あっという間に、嫌悪感の出来上がり☆


 基本、恋愛感情はお互いに対等であるべき、そうであって欲しいと思ってる。

 しかし『溺愛』は、上から下へのお目こぼしや恩情のようなもの。

 なので、溺愛『される側』として物語を書こうとすると、理由なく相手が自分を下に置いているように見えて、嫌悪感が湧いてくるのではなかろうか?


 ※これはあくまで、私の主観の話なので、『溺愛』という言葉の意味そのものには、そんな事は含まれていません。


『いや、そういうんじゃないよ』という最もなご意見もあるでしょう。

 でもこれ、感覚の話なので、変えられないんですよ。


 私、虫超苦手なんです。

『カブトムシやクワガタも? カッコいいじゃん!』とか言われたって、私の目にはG様と同じに見えます。

 無理なものは無理なんです。


 それと同じです。

 人によって嫌悪感を感じる対象は違います。

 私の場合『世間の多くの乙女達が求める溺愛と言われる態度をされる』事に嫌悪感があるのです。


 もしかしたら、もっと細分化して突き詰めれば、書ける恋愛系溺愛も書けるかもしれないけど。

 現に、30コン作品は『溺愛』に似た『偏愛』だけど、書けてる。


 でも、アレ、ポイントがあります。


『される側』はその行動を拒否ってます。

 受け取り側が拒否するなら書ける。

 いくらでも書ける。

 頭オカシイフェチとか発揮するモノとかでも書ける。


 でも、それを『受け入れてあげる』という設定だと、途端に無理になる。

 嫌悪感やべぇ。

 なんでこっちがなんとも思ってないのに、性欲の対象にされなアカンねん、気持ち悪い。

 って、思って書けなくなってしまう。


 特殊フェチがダメなのではない。

 むしろ特殊フェチは好きだ。

 クッソ重たい好意を一方的に向けられて、事が、地雷っぽい。


 ……もっと早くに気づくべきだったッ……!!


 でも、大丈夫パターンもあるんだよなぁ。

 でも、具体的にどこが自分にとってNGなのか、OKなのかのボーダーが今のところ分からない。

 多分、受ける側がまんざらじゃなくなればいいのかも。

 うーん、難しいなぁ……


 いや!

 いけるぞ私!

 地雷さえ回避すれば、溺愛モノいけるよ!

 むしろ、自分の溺愛パターンを見つければいいんだっ!!


 うん!

 頑張るっ!!!


 カクヨムコン5 開始まであと32日!


 ……ええー……マジか。

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