今でもずっと、輝いている。

明里 好奇

ひかりのみち

『ひかりのみち』




いつだったかな、あれは。

まとわりつくような夏の暑さ。

履きなれない下駄越しの砂利の感触。

鼻緒が擦れて痛む足。

隠して背中を追っていた。



今でも、ずっと輝いている。



「ヒナ、なにこれ」

「えー? なにがー?」

 積み重なった年月がそのまま降り積もったこの部屋は、今酷くがらんとしている。カーテンも外してしまった窓の外は、毎日見ていたものなのに初めて見たような感覚を覚えて、何かが絞まるのを感じる。

 段ボール箱はいくつも出来た。たくさんの荷物と一緒に今までの生活も詰めこんだ。きっと、寂しいけど新しい生活が始まるのだろう。

 引っ越し作業を手伝いながら夏樹が声をかけてくれる。隣の部屋から顔を出して、確認する。彼が手に持っているのは、両手に収まるサイズの四角い缶だ。丁度、お土産でもらうようなちょっと良い質の、お高い焼き菓子なんかが入っていそうな、空き缶。

 そんなもの、どこに残っていたんだろうか。というか、そもそも持っていたことすら忘れていた。まずいものでも入っていたらどうしよう。何を入れていたのか、忘れてしまっている。確かあれは、

「宝箱?」

「あー、ちょっともう、止める前に開けちゃわないでよー……!」

 声を荒げるときょとんとした顔がこちらを向く。怒る気も失せるような、そんなきょとん。缶の蓋を開けて、びっくりしてさっと閉めてしまったようだ。

 その手のひらを上から掴んで、缶の蓋を開ける。どうせ、何を見せてもきっと何も変わらない。

 そうだ、この中にはそこまでまずいものは入っていないはずだ。多分。


「うっわ、なにこれ! なつかしい……!」

 缶の中でコロンと転がったのは、

「縁日のおもちゃの指輪?」

「夏樹がくれたやつね」

 それも、20年近く以前のものだ。時々缶を開けて眺めていたんだっけな。そっと、指輪を手に取った。安っぽい、いかにもおもちゃの指輪だ。アクリルのリングの中に黄色のきらきらが入っている。舐めても味はしなかった、確か。

「ずっと、持ってたの? それ」

 指でつまんで手のひらに載せたおもちゃの指輪を指して、夏樹は隠しもせずにちょっと笑う。何年前だよそれ! 本当にね!

 二人でくすくす笑ってから、缶の中を探りだす夏樹。それを横目に、指輪を目の前にかざして窓の外を眺めた。

 ほかに入っているのは、上手に折れたおりがみのバラと、おもちゃのネックレス、それからひび割れたビー玉、浜辺で拾った透明な石と貝殻。きれいだと思ったものが入っている。

 指輪越しの陽光は安っぽいラメにも平等に光を反射して、目の前を光であふれさせた。こうやって光を眺めるのが好きだった。万華鏡の中に居るみたいで、わくわくした。


 突然、夏樹が悲鳴のような声を上げた。ばっとこちらを見てからもう一度手の中を確認して、またこちらを見る。一連の動作は一瞬の内だった。そんなに忙しなく動作する夏樹は珍しい。ということは、あれを見られたか。

「ちょっとなにこれ! なんでこんなにたくさん俺の写真……! しかもこれなんか俺、撮った覚えない……!!」

 缶の底には、夏樹の写真が入っていた。入れていたのは無論私だ。きれいだと思っていたから、入れていたのに。

「だって、きれいだと思ってたから」

「だからってなんで、赤ん坊のころのなんて、だって出会ってすらいないのに!」

 そりゃあ、まあ。

「夏樹のお母さんにお願いして、数枚頂きまして」

「おふくろまじかよ……!!」

 ずっと、そばで見てきた。あの日も、追いつこうと必死だった。離れてしまったらもう二度と追いつけない。そう思っていた。あの頃は、本気でそう思っていた。

 だから、すべての瞬間が大切だった。見えていないものは心もとなくてこわかった。今とは違う焦燥感だ。

「いいじゃん、これからはいつでも見られるんだし。これ以外の写真だって、これから先の写真だって、まあ、あんた本人だってさ」

 夏樹は面食らって、はくはくと口を開いて息を吐いているばかりで、言葉にできないようだった。

「あんたのこれからを、私は見ていられる。これ以上ない幸福だわ。ねえ、これからも私ここに宝物入れていくから、見つけても見ないでね?」

 固まったまんまの夏樹を見上げてそう言って、缶を静かに受け取ってその中に指輪を入れた。これは多分、一生の宝物になる。これからも、ずっと。離れてしまっても、ずっと。

 缶の蓋を閉める。しばらくは開けないだろうけど、次に開けるときに元気が出るように、ちょっとだけ念を込める。

 

 夏樹は少ししてから、私の手から缶を奪って何もない床に置いた。見慣れたポーカーフェイスがそっと顔をあげた。数秒見つめられて、何? と首を傾げて、一瞬。

「俺の、一番大事なもんなんか、入んねえんだけど、そんなんずるくない?」

 がっつり抱きしめられて、少し痛いくらい。逃げたりなんかしないのに、夏樹は少し怖がりだ。昔から変わっていない。息が詰まるくらい抱きしめられて、肋骨が軋む。

「俺は、お前のこれからを覚えていくことにするよ。今までも、覚えている範囲で、だから」

「だから?」

 また一瞬の間が空いて、次は優しく抱きしめられる。ため息のような吐息が、漏れた。

「うるせえよ、好きだよ黙ってて」

「はいはい」

「ああもう、なんなの、好きだよ、好き」

「わかったって」


きっと、病めるときも健やかなるときも、ああ、面倒くさいな。多分ずっと、隣に居たい。

彼からもらった今までは、多分きっとずっと、輝いているんだと思う。缶の中で、私の中で。

 ずっと楽しいなんて道ではないだろうけど、お互いに照らして励ませるような、そんな道になるといいなあと、夏樹の赤い耳を見て思った。

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