結婚しよう
綿柾澄香
結婚しよう
「ねえ、結婚しよう……」
と言われたら、普通の女性はどう思うのだろう。
まあ、嬉しい。だとか、なんだよこいつ、気持ち悪い。とか、その言葉は嬉しいけれども、今はちょっと……等々。多分、色々な反応があるだろう。
私の場合、この言葉に対する反応は「またか」だ。
なぜなら、彼のこの言葉には続きがあるからだ。
「……ってさ、めちゃくちゃ面白いよな」
が、彼の場合はワンセットでついてくる。
つまり、彼の言葉は「ねえ、結婚しようってさ、めちゃくちゃ面白いよな」なのだ。
『結婚しよう』とは、今売れ始めている若手お笑いトリオのトリオ名だ。最近はトリッキーなお笑い芸人のコンビ名やグループ名が増えてきたものの、さすがに『結婚しよう』は無いだろう、と思う。とはいえ、彼らは実力派らしく、そのトリオ名にちなんだ結婚ネタ、プロポーズネタを中心に作られたコントの評判は高く、彼らのライブのチケットは完売御礼状態なのだという。最近はテレビでもちょくちょく見るようになってきている。
最初に彼の口から「結婚しよう」という言葉を聞いた時には動揺して手に持っていた洗いかけのお皿を一枚割ってしまった。のに、それはプロポーズの言葉なんかではなくお笑い芸人のトリオ名だったのだから、割れたお皿も浮かばれない。
それから数回お皿を割った後に、ようやく私は彼の「結婚しよう」に慣れた。
今日も、彼はソファーに横になってテレビに映った『結婚しよう』を見てアホみたいに笑っている。
そんな彼の後頭部を眺めながら、小さな溜め息を一つ吐き出す。
彼と付き合い始めて六年、同棲を始めて二年。彼のことは大好きだ。性格は凄く優しいし、仕事も割とできるほうみたいで、後輩からの電話がしょちゅうかかってくる。顔も犬っぽくて私好みだし、家事も手伝ってくれるし、細かな気遣いもできて文句はない。彼が本当に今この場でプロポーズをしてくれたのなら、きっと即答でオッケーを出してしまうだろう。
けれども、彼の口から出てくるのは「結婚しようってさ、面白いよなー」だ。しかも何度も何度も。もううんざりする。結婚願望があるのかどうか、彼にそれとなく聞いてはみたものの、かなり曖昧にはぐらかされた。
私ももうすぐ30歳になる。もう正直そろそろ切実に結婚がしたいとは思っている。けれども、いつまで経っても彼が煮え切らないものだから、この状況が続くようならば、最悪は彼と別れてしまうのも選択肢に入ってくるだろう。お父さんもお母さんも、最近は会うたびに結婚はまだか、と急かしてくる。そのプレッシャーは私の胃をチクチクと刺してくる。
「ねえ……」
と、背後で声が聞こえて、私は振り返る。そこにはさっきまでソファーで横になりながらテレビで『結婚しよう』を見てアホみたいに笑っていた彼が立っていた。
「なに?」
と訊ねると、彼は笑って、
「結婚しよう」
といつものように言った。私は溜息をついて、その言葉の続きを待つ。
「……」
「……」
「……?」
けれども、彼はそれ以上なにも言わない。不思議に思って、彼の表情をよく見てみる。その顔は笑っているけれども、その笑顔はいつもよりも少し硬い。瞳は小刻みに小さく揺れている。
その意味を理解して、私の両耳と頬は熱くなって、思わず息をのむ。
「あの、それって……」
動揺のせいか、私の声は裏返ってしまう。
「あ、ゴメン、コレ忘れてた」
そう言って、彼はポケットから小さな箱を取り出す。それを目にした瞬間、私の視界はあっという間に不鮮明になって、輪郭がぼやけた。彼はその小さな箱をとても大事そうにゆっくりと開く。その中央には光輝く石がちょんと置かれている。
「もう一度言うね。結婚しよう」
「……っ……ん」
私は声も出せずに、両目から雫を溢しながら頷くことしかできない。
「それはオッケーってこと?」
彼は不安げに私の顔を覗き込む。
そんなの、決まっているじゃないか。私は大きく頷いて、声を上げて泣き出してしまった。
* * *
「いやあ、実はさ、あの『結婚しよう』っていうトリオが出てきた時に、しめた! て思ったんだ。これで普段から君に結婚しようって言ってても怪しまれない。だから君の前でわざと何度も『結婚しよう』のコントを見ながら君に結婚しようって言う練習をしてきていたんだ」
と、泣き止んだ私に彼は説明した。それを聞いて、私は何それ、なんて笑ったけれども、彼の目が少し赤いのを見て、本気だというのがわかった。
「ねえ、結婚しようってさ、面白いよね」
と私が言うと、
「うん、そうだね」
と彼は笑った。
結婚しよう 綿柾澄香 @watamasa
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