ささやかなロマンス⑩

水ぎわ

「ささやかなロマンス」

1「他の女・よその女・大事な女」

第1話 「キヨ。お前、もう他の女じゃ勃たねえんだろう」

おれは、今さら佐江さえ以外の女と、”できる”んだろうか?


井上清春いのうえきよはるがそんなことを考えたきっかけは、親友の一言だった。

清春が岡本佐江おかもとさえと一緒に暮らし始めてしばらくたったころ、二十年来の親友である深沢洋輔ふかざわようすけに、なじみのバーでこう言われたのだ。


「お前も、こうなったら首輪をつけられたようなもんだな」


洋輔が色気たっぷりの表情でからかうので、清春はかっきりした眉毛をゆがませ


「佐江と付き合ってるくらいで、犬扱いするなよ」


と言い返した。すると洋輔はますます面白がって


「犬だろ。ご主人様は、”佐江ちゃん”だ」


清春はムッとしたまま自分の前のダイキリに手を伸ばした。

この酒はバー“トリルビー”では、むかし洋輔が命名したとおりに”洋輔のダイキリ”で通っている。

ヘミングウェイが好きだったレシピを再現していて、ホワイトラムを使い、砂糖を抜いているので酸味と爽快さが強いカクテルだ。そして、うまい。

清春はひんやりと汗をかいているグラスをもって、きりりとしたダイキリを一口飲み、憤然として


「ひとりの女が居ればそれだけでいい、という状況こそが、しあわせだろう」


と言い返した。洋輔はにやりと笑ったまま、清春のダイキリを取り上げて、遠慮もなく一気に飲み干した。

くいっとあげられた洋輔の顎からのどにかけてのラインが、同性の清春から見ても鳥肌が立つほど色っぽい。


洋輔はこの春に清春の妹と結婚したばかりだが、今も独身時代と同じく、浮気しほうだいだ。そうであっても仕方がないと思わせるほど、色気がある。

清春のダイキリをあっさりカラにしてから、洋輔は


「”しあわせ”かよ。これまで三カ月おきに女をとっかえてきた男がねえ」


と、正面から親友を眺める。清春がますます、むっとした顔をした。

洋輔からは、清春のきれいに伸びた鼻筋と絶妙なカーブを描く切れ長の目が見えた。


清春は身長百八十五センチの長身だ。細身だが実はしっかりと筋肉のついている全身から、こちらも隠しようのない色気をなびかせている。

いまも、”バー・トリルビー”にいる女客のほとんどが、清春と洋輔のふたりをちらちらと盗み見ている。


洋輔と清春は子供のころの親友で遊び仲間だ。お互いに、これまで女をとっかえひっかえしてきた。

そんな清春が、今はひとりの女で幸せだと言うのを聞いて、洋輔は首をかたむけて、コキリと音をさせて考え込んだ、


「じゃあ、なにか?この春に、佐江さんと付き合い始めてから、ほかの女は一切、なしか?」

「まあ、なしだ」


一瞬だけためらってから、清春は断言した。

清春の気も知らず、洋輔はにやりと笑って、身体を寄せてきた。そして、清春の耳元でささやく。


「キヨ。お前、もう他の女じゃ勃たねえんだろう」

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