嘘ツキスタアラヰト

時瀬青松

永遠の愛だとか。

 僕は列車に乗っている。

 乗客はいない。揺れる列車に独り。


 と、運転席から人が現れた。人懐っこい笑顔で僕に話し掛ける。


「お嬢さんは、夜空の旅は初めてでしょ? みてごらん、星が綺麗だよ」

「星に興味はない」

「そう? きみは星を見上げていたときは、とても楽しそうにしていたじゃない?」


 どきり、とした。この男は、生前の僕を知ってる。違う、星なんか好きじゃない。


 兄ちゃんと見ていたから、楽しかった。

 僕の隣にはいつも兄ちゃんがいて。

 いつも笑ってる兄ちゃんがいて。


 兄ちゃんといっても実の兄ではない。お母さんの姉の息子、従兄弟にあたる人だ。僕より十も歳が上で、いつも僕の前を歩いているような人だった。


 僕は兄ちゃんを探しに来た。

 そのためにこの快走電鉄にのった。


 小さい頃、大好きだった、兄ちゃんの声が耳の内で蘇る。


 __『七鶴乃なつの、星を見に行こう?』


 よく、望遠鏡と一緒に連れ回されたっけか。


 __『もう泣くなよ、俺は何処にも行かないからさ、ずっと』


 この声は僕の母が死んだときだ。


 __『好きな人? ……いるよ? 俺だってもう年頃が年頃だし。……へえ、ナツにもいんの?』


 僕が中学生の頃、兄ちゃんに恋した。結局諦めちゃったんだっけ。


 未だ思い出す低くて乾いた、遠い声。

 僕が微睡まどろんでぼうっとしていると、車掌は僕の隣に音を立てて座った。


「なに、遠い目をしてるの? ねえ、景色を楽しまない?」

「……ちょっと黙っててくれない」

「ちょっとできないかなあ。ねえ、アテはあるの?この広い宇宙の中で、まさかアテも無く探すわけじゃないでしょ?」

「なんで、知ってるの……僕が」

「兄ちゃん探してんでしょ?あぁ、探してるってよりかは……。


 死んだ兄ちゃん、追っかけて来ちゃったんだっけ?」


 笑顔で言われて凍りつく。ちがう。違う違う違う違う違う。兄ちゃんは。


「……でない。死んで無い。違う。ちがうちがう! そんなの嘘」

「あはは。やめてよ怖いなぁ。それにさ、嘘じゃないって解ってるクセに。死んだんだよタカトは。自分も死ねば逢えると思ったんでしょう? それも嘘? 探しに来たのも全部全部、嘘?」

「あんた何者」


 ただただ不気味だった。総てを見透かすその眼も、崩れない笑顔も。


 きっとこいつは知っている。僕の頭に鳴り響く『嘘』の言葉の重さを。


「僕は嘘なんかつかない!」

「それは嘘? それともほんと?」


 イライラしてきた。この男はニコニコしながら人の弱みをついてくる。


 __『俺お前に嘘つかないからさ。お前もつくなよ。自分にも、俺にも』


「そんなに会いたいなら会わせてあげようか?」


「え……?」


 ニヤッと嗤って車掌が言う。信じるも信じないもお前次第だと嗤う。


「……逢いたい。会って言いたいことがある」


 さっきまでイライラしてた癖に、虫が好いことを言ってるのは解ってる。

 でも、それでも縋らなきゃいけないくらい僕は兄ちゃんに逢いたい。

 車掌は運転席に再び戻った。


 暫くして運転席の扉が開いた。


「車掌さーん、何すか見せたい物って……。な、ナツ、なんでここに! なんで、お前まで! 乗るのは初めてなんだな!? まだ周天しゅうてんの景色は見てないだろ!? なあ!?」

「な、なんのこと……」


 僕の様子を見て、兄ちゃん、タカトは安堵する。ふと僕の頬に手を触れる。


 冷たかった。


 あんなにあったかかった手が。感触はそのままに、体温だけが消えて居た。


 ぽとり。


「七鶴乃……」

「ほんとに、死んじゃったんだ……。なんで……なんで……。言ったじゃない、何処にも行かないって。側に居るって約束したじゃん……!」

「ごめん……」


 涙が溢れて止まらないから、僕は嗚咽混じりに責め立てる。ただただ困っている兄ちゃんなんて御構い無しに。


「嘘つき……!」


 涙が僕の心をつたって嘘を洗い流していく。

 ああ、わたしも君にこんなにたくさん嘘をついていた。

 星が嫌い? 何度も君に見せられる度、変に詳しくなっちゃって、よく空を見上げるようにもなった。嫌いなわけない。

 好きな人? わたしには君しか居ないや。


 昔の話? ……死ぬって分かってたら好きになんかならなかった。今も昔もずっと好きなんて出来なかった。大切な人が死ぬ辛さは知ってるから。


「嘘に、なっちゃったな……。でも、お前ならまだ間に合う。次の駅で降りろ」

「なに言って……! やだよ、やっと会えたのに、わたし兄ちゃんのこと……!」


 わざわざ別れを告げてくれって言いたいのか。やっと会えたのに。兄ちゃんはわたしを遮って言葉を続ける。


「いいか、周天の景色を見たら、もう助から無い。今戻ればまだ生きられるんだ。頼む、お前は生きてくれ」

「なに言ってんの! 兄ちゃんのいない世界に価値も意味もなかったよ。わたしなんか生きてても出会うのは『死』ばっかり! わたしは兄ちゃんと一緒に行きたい。もう死んでもいい……! わたし、兄ちゃんが」

「言うな!」

「なんで!? 悲しいことしかないのに、それでも生きなきゃいけない理由って何!? ねえ!」


 兄ちゃんは一瞬躊躇った。わたしは咎めるように睨んだ。


「好きな奴に、自分のせいで死んで欲しく無いんだよ」

「っ……」


 ずるい。今、そんなこと。驚き過ぎてわたしは目を見開いてしまった。だって、わたしは十歳分も子供で。


「ああもうそんな泣くなってば。これは嘘じゃないよ。もっとずっと、隣でお前を見てたかった。お前に、じゃなくてほんとはお前と恋がしたかった。でも、十歳年上に好かれるなんてちょっとキモいかなぁって」


 気まずそうに視線を逸らすタカトに、わたしはたまらず抱きついた。わたしの頭を大きな手が撫ぜた。


「わたしもずっと好きだった。ううん、今も昔も君だけに恋してる。君が灰になってからもずっと……君だけなんだ」


 頭を撫ぜる手がぴたりと止まる。顔を上げると、君もわたしのように驚いていた。と。


「タカト……!透けてるよ、なんか」


 君の体が透き通り始めている。

 もう残り時間は長く無いのか?


「もう時間かなぁ。七鶴乃……。愛してるよ。でもさ、戻ったら俺のことは忘れてくれないか? ……いいか? 永遠の愛だとか、そんなものは存在しないんだよ。俺もお前もいつか互いを忘れてく。俺は死んだ。もう、同じ世界では生きられない。だから、お前の中の俺を、お前の手で殺してくれよ。辛くなる前にさ、あんときみたいにならないように」


 君は残酷なことを言う。

 でも、解るんだ。君の気持ちが痛いほど。忘れないよって、言ってやりたかった。でも、君が初めてわたしに見せた涙が、わたしをそうさせなかった。


 わたしはもう泣かなかった。


 愛って、残酷だ。


「じゃあさ、わたし迎えに行くよ。来世になるか、来来世になるか分からないけど……絶対タカトを見つけ出して、正直に、1番乗りで、好きだよって言いに行く。もうタカトの影を探すようなことは、しないから、それくらい許してよ」


 タカトは、好きにしろ、優しくと言うと、わたしの笑顔に安心したように微笑した。


 もう大分、空気に溶けるように薄くなった君の、涙が頬から零れ落ちたその時、君は音も無く消えた。


 わたしは車掌のところに行き、次で降ろしてくれるよう頼んだ。

 どうしたの? と訊かれたのでいきさつを答えたら、


「言ったときはそうじゃなかったはずなのに知らないうちに嘘になっちゃったんだね」


 と、ニコニコ顔を、少し淋しそうに崩して言っていた。


 汽笛が鳴って、わたしはもう帰る。


 背伸びしても届かなかった背中には、もう一生届くことはないけれど。


 車窓から望む銀河は、タカトと見に行った空と同じくらい、綺麗だった。


「タカト、星が綺麗だね」

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嘘ツキスタアラヰト 時瀬青松 @Komane04

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