第140話 マザコンの暴走

(この状況は、自分のせいだよね……)


 武道大会の閉会式後。

 エンダー国との話場がもたれた。

 緊張する周囲は気にせずと、気難しい王妃レイリーはミツへと周囲の文官が見たこともない程に口を滑りもよく、それに応えるようにミツもまるで親しげに会話を繰り広げていた。

 しかし、それをよく思わぬ人物がいたのだ。

 それがレイリーの息子。

 エンダー国の第一王子であり、レイリーへと母以上の愛情を向けているジョイス・エンダー。

 嫉妬なのか、逆恨みなのか、それともただのあてつけなのか。

 本人の意思は取り敢えずおいとくとしても、ジョイスが怒りで振り上げた剣をそのままにはできない。

 何故なら、ここはジョイスの家の庭先ではなく、フロールス家の中庭。

 彼は今、他国で問題を起こそうとしているのだ。

 正直、先程から彼の失礼な物言いや態度が重なり、ジョイスが後々叱られるような事があっても気にもしていないミツである。

 しかし、ジョイスが今剣を振り落とそうとした者は、流れながらもミツを庇い、国の事を考えた良き人であった。

 何も関係ない人が責任を負わされ、危険に晒される事はあってはならない。

 ミツは咄嗟にジョイスの振り上げた剣をスキルのスティールで奪い、彼の怒りの矛先を自身へと向けた。


「ジョイス様。申し訳ございません! 王妃様へと、自分の不敬に当たる発言の数々。また、そのために貴方様のご気分を害したことを深く謝罪いたします……。直ぐに返答はできかねますですが、どうか剣を収め、この場で血を流すことをお控え頂きたいと思います。ここは他国の皆様が友好を結ぶべき場所です。貴方様の剣が振り落とされ、血の一滴でも流してしまっては、アンドル様のおっしゃる通り、宣戦布告と勘違いする者も出かねません。どうかジョイス様。王妃様の寛大なご理解を受け入れ下さいませ」


 ジョイスへと、できるだけ本人の怒りを収める様な流れを作ってみる。

 最後の言葉が効いたのか、ジョイスはハッと気付き、後ろに座る母のレイリーへと振り向く。

 彼女はいつもの冷たい視線をジョイスへと向けるが、口を開かない。

 何故なら、ミツはレイリーへと私兵になる話は、他国との話場を済ませてから返答することを承知している。

 ジョイスがミツを責め立てている行いは、ただの一人で空回りしている状態だと言うことがやっと理解したのだろう。

 それでも王子としてのプライドなのか、引くに引けないこの怒り。

 ジョイスは再度ミツへと睨みを効かせる。


「くっ!」


 王族であるジョイスの意思を嗅ぎとったのか、周囲を守る兵の中にはミツへと殺意を込めながら、腰に携えた獲物に手を添える者もいた。

 彼がミツを斬れと言葉を一言でも発したなら、周囲の兵は一斉にミツへと襲いかかり、不適合者として裁かれる状態。

 しかし、それを止めたのが王妃レイリーであった。


「見苦しい……。気分良き話場を乱す者は不要である」


 その言葉に、周囲の兵は驚き、彼らから殺気が霧散するように消えていく。


「!? 王妃様……申し訳ございません……」


 レイリーの言葉に直ぐに膝を降り、謝罪の言葉を述べるジョイスであった。

 いや、謝るならこっちだろ。


 レイリーはジョイスの謝罪の言葉を流すように、後ろに下がれと一度だけ手を降る。

 彼は渋々と兵の列へと下がり、警戒しつつ母を守る位置に戻る。

 取り敢えず先程ジョイスからスティールで奪い取った剣は近くに居たアンドルに返し、レイリーの言葉を聞く姿勢を取り直す。

 レイリーは先程のやり取りで気分を害したのか、少し機嫌が悪そうに思えた。

 このまま話場を続けても良い結果は残らない。

 日本での学生時代の出来事なのだが、クラスでグループを作り何かしらの発表をする事があった。

 しかし、その中の数名が不真面目であり、それを注意した人物と口論になってしまった。

 結果、発表した内容は悪くも、ただの報告のような発表となってしまった。

 ギクシャクとした空気の中では、良い結果は生まれない。

 それはこう言う話場では特にだ。

 ならば、この場の空気を変えてしまえばいい。

 ミツは日本で働いていた時に身につけた、営業スマイルをレイリーへと向け、言葉をかける。


「レイリー様のお言葉、自分は嬉しく思います。自分の様な放浪者が王妃様へのお目にかかれたこと、この気持ちを奏でとし、お送りしたい程でございます」


「……童は剣舞の他にも、余を楽しませる余興事ができると言うのか」


「はい。旅をしていますと、色々と手に付きますので」


 ミツの言葉にレイリーは興味が出たのか、彼女は話に食い付いた。

 彼女の反応に、ミツは内心でガッツポーズを決め、話を進める。

 周りはレイリーの先程の不機嫌さを理解している者だけに、今は二人の話場を邪魔するものは今は居ない。

 勿論息子のジョイスですら口を挟むことはできない。


「レイリー様のご期待に添えますよう、一つ披露させて頂きたく思います。失礼ながら、目の前でアイテムボックスを開くことをお許しください」


「……良い。許す」


 レイリーの許可を得て、ミツはアイテムボックスへと手を入れる。

 通常、王族や貴族の前でアイテムボックスを開く際は、この様に一言他者へ許可を得なければならない。

 話をしていた相手が、突然命を狙う者と変わり、アイテムボックスから武器である暗具を取り出すかもしれない。

 事実、伯爵であるダニエル、王族であるカイン殿下と辺境伯であるマトラスト。

 そして巫女姫の前でもこの様にミツは許可を取るのが礼儀であった。

 アイテムボックスを貴族の前で使用する際は必ず許可を取るべきだと、パメラとエマンダ、二人から挨拶のやり方と一緒にミツは教えを受けていた。

 許可を受けたとしても、やはり何が出てくるか分からないのがアイテムボックスである。

 兵たちはアイテムボックスに入れたミツの右手に視線を外すことなく、警戒を高める。

 ミツが取り出したのは一つの木彫り式の木笛である。

 一度側にいた兵にそれを渡し、武器でない事を証明する。

 それが危険な武器ではない事を確認した兵は笛を返し、また一歩下がる。


「……奏であるか」


「はい。お気に召していただければ幸いでございます」


 木笛に口を当て、少し音色を出してみる。

 演奏する曲は何にするかなと考えていると、ジョイスの立つ方から、数名のボソボソと小声が聞こえてきた。


「フンッ。人族の演奏など耳障りでしかあるまい」


「なんと愚かな。王妃様に対しての不敬を更に重ねる気か」


「良いではありませんか。愚行者の笑い者でありますよ。クククッ」


 そんな声がチラホラ。

 耳障りとはこの事だろうか。

 そんな悪態を気にしないように、一度大きく深呼吸し、気持ちに気合を入れる。


「では……。王妃様や皆様の耳障りにならぬよう。また、笑い者にされぬように披露させて頂きます」


「「!?」」


 ミツの言葉に、先程口にした陰口の言葉が自身達を見ながら返された事に、眉を寄せ驚く者たちであった。

 

 今からするのは演奏スキルの一つ。

 使用するスキルは〈ラブメロディー〉である。

 このスキル効果は、対象の自身への好感度を上昇させる事ができる。

 この場に居る者たちの様に、殺意や警戒心をミツに対して高く持つ者たちに対しては、効果は絶大にあるだろう。

 演奏家であるジョングルールのジョブのスキルを全て取得しなければ覚える事のできないスキルなのだが、実はこれ、特に使いどころが難しいスキルであった。

 何故なら、使用者に対して殺意や警戒心がある者が、大人しくその者の演奏を聞くであろうか?

 いや、それはまず無い。

 警戒している者なら耳を塞ぐであろうし、殺意がある者ならここぞとばかりに攻撃を仕掛けるだろう。

 しかし、今はその問題をたった一人の存在が止めている。

 王妃レイリー。彼女がミツの演奏に耳を傾けるなら、文官や側仕えが耳を塞ぐわけには行かない。

 何故なら、もし後にミツの演奏に対して自身に質問が来たら如何する?

 あの時私は耳を塞いでましたので聞いていませんなど言ったとしよう。

 なら、音を聞く気もないその者の耳は必要無いと、スパッと斬り落とされるかもしれない。

 ジョイスも一応演奏を聞く姿勢を取るが、後々演奏に対して不平不満の内容を考えていた。


「それでは。王妃レイリー様へ。そしてエンダー国の皆様へお送りします」


 中庭に広がる木笛の音。

 演奏スキルの音は決まっていない。

 ミツがイメージした演奏がそのスキルになるのだ。そして、ミツが思いついたラブメロディーのイメージは、海外で有名な豪華客船が氷山にぶつかり、最後は沈没してしまう作品のタイトルとなった映画に流れた曲である。

 木笛だからこそ出だしの音も良く人々の掴みも良かった。

 子供の頃にこの映画を見た時はただ単に船が沈没する怖い映画だと勘違いをしていた程に印象が強かった。

 しかし、本当は愛を題材とした作品と理解すればこの流れる音楽も感動に震えてしまう。

 その感動が聞く者にもジワジワと伝わったのか。

 ミツに対して先程まで向けられていた警戒が霧散するように消え、魔族が経験したことのない音楽に対しての感動。

 口を開けたまま感動に震える者。

 目頭を抑え、故郷に残した家族を思い出したのか歯を食いしばる者。

 今ミツに向けられている視線は敵意ではなく、もっとその奏でを聞かせてくれと思う欲の視線であった。

 レイリーは周りの者達とは違い、感動に震えたり涙を流すことはなかった。

 それでも手に持つ扇に隠された口元はいつも以上に上がり、気分を害することは無かったようだ。

 そんな母の姿を横で見て震える息子のジョイス。

 ミツの奏でる笛の音に対してジョイスにも効果は出ていた。

 いや、この中庭では彼が一番効果を出していたのかもしれない。

 演奏が終われば直ぐにでも罵声をミツに浴びせ、罵ってやろうと思っていたが、彼は笛の音に対して母の笑みを見て、懐かしさを感じていた。

 それはまだ自身が幼き頃、母に甘えた日々。

 城の庭で母と手を繋ぎ歩いた時、見上げれば母の笑みが自身に向けられていたその表情。

 ジョイスは母から向けられる愛は自身にだけとその時思っていた。

 しかし、王妃であるが為に世継ぎの子供はジョイス一人では足りない。

 母が妹を身ごもったと分かると、レイリーは日課のジョイスの散歩を止め、部屋にこもる日々となった。

 幼きジョイス。母のお腹が日に日に大きくなり、ベットからも動かない日もあると彼は不安に襲われた。

 母はもう自身と手を繋ぎ、庭を歩く事はない。苦しそうな母を見て魔王である父は笑ってばかり。

 母が苦しむ姿を見て、何故父が笑っていられるのか分からなかった。

 その時の魔王様は、魔術具でお腹の子が女の子だと判明し、ただ単に娘ができる事だけ、それだけで笑いが出るほどに嬉しかったのだ。

 ジョイスが苦しむ母へと近づこうとすれば、側近や側仕えが近づかせないように部屋には入れてくれなかった。

 可能性は無いが、もしかしたらジョイスがお腹の中の子の命を狙うかもしれないと考えられていた。

 それは世継ぎ争いの後継者を減らす為。

 その様な考えも相手がまだ子供相手だとしても、周りの者は頭に入れて置かなければならない。

 しかし、幼きジョイスにその様な考えはまったくない。

 ただ単に母の側にいたい。

 あの暖かな手を繋ぎ、母へと言葉を伝えたかっただけであった。

 妹が産まれ、また元の生活が戻ると思っていたジョイス。

 だが、やはり母は産まれたばかりの妹に付きっきり。

 魔族の赤ん坊は乳母の乳ではなく、母親の母乳に含まれた魔力を身体に入れる事に能力を開花させていく。

 その為、乳離れする迄はレイリーは妹から離れることもなく、結果的にジョイスとの関わる時間が極端に減ってしまった。

 食事も別、寝床も別。

 唯一顔が見れるのは父が作る話場だけであった。

 その場で久々に母に甘えようとするジョイスだが、その場は家族だけではなく、他貴族や軍部関係者が多数揃う場所。

 母の顔には笑みではなく真面目な表情だけに、結果的に幼きジョイスは椅子に座ったままジッとするしかなかった。

 妹が乳離れする時にはジョイスも幼いと言われる歳ではない。

 周囲の目もある為か、母に甘えようとすると、レイリーは突き放したようにジョイスに厳しい言葉と冷たい視線を送るようになってしまう。

 これもレイリーの母としての愛なのだが、その時のジョイスは母から向けられた視線に心が押しつぶされそうなほどに悲しさで満ちていた。

 そのせいなのか、ジョイスは産まれた妹、その次に産まれた弟に対して、他者から見ても冷たく扱いが酷い物であった。

 自身に向けられていた母のその笑顔。

 それだけを求めて彼は魔王である父へと牙を向け、母の私兵となる事になった。

 ジョイスはミツに対して好意は全く無い。

 寧ろ、弟妹と同じく自身から母を奪う者だと認識している程に敵意を向けている。

 だが、ミツの奏でる笛の音色で母の笑みを見る事ができた。

 これだけでもジョイスは身体を震わせ、向上する気持ちで満たされていた。

 更にミツのスキル〈ラブメロディー〉の効果も重なり、ジョイスの心からミツに対しての敵意が消えたのだ。


 ゆっくりと演奏が終わり、木笛から口を離すミツ。

 今は鳥のさえずりと、風の音だけが周囲の耳に聞こえている。

 息を止めて聞いていたのか、周囲からは深いため息がチラホラと聞こえてくる。

 

「以上となります。王妃レイリー様の前で演奏できた事に感謝申し上げます」


「……」


「「……」」


 演奏が終わり、周囲はレイリーの言葉を待つ。


「良きに。童の奏でに免じ、暫し間は余の返事を待つとする」


 気まぐれで有名なレイリーの言葉とは思えない発言。

 左大臣のアンドルも目を見開くばかり。

 王妃レイリーの機嫌も良くなれば、周囲の気疲れも減るので結果的にミツの演奏は成功であった。

 レイリーはまだこの数日とこの街に滞在すると発言。

 直ぐにその連絡をフロールス家の当主であるダニエルへと伝えられる。

 しかし、王妃様が何日……いや、移動を含めれば何ヶ月であろうか。

 そんなに国を離れて大丈夫なのだろうか。

 野暮な質問は止めておき、ミツはエンダー国王妃の謁見を切り上げる為にその場をあとにすることに。

 その際、この場に呼びつけてきたジョイスが言葉をかけてくる。

 

「おい、人族」


「……はい。ジョイス様。何か……」


 ミツはゆっくりとジョイスの方へと向き直る。


「……名を。貴様の名を改めて聞こう」


 ジョイスの言葉に、彼の側にいた先程までミツに対して嫌悪な視線を送っていた貴族たちが驚く。

 

「はい。改めてジョイス様にご挨拶させていただきます。自分は街町を歩き渡り旅をしております、ミツと申します。未熟さ故に皆様のご気分を害されたと思われます。この場をかり、どうかお許しを」


「……。フンッ。風来人に敬意を求めるのは無駄なこと。貴様が余計な事を発言しなければ良いのだ」


 ジョイスの言葉に、近くに居たスリザナは呆れながら頭を抑えていた。

 王族であるジョイスに対して、ミツの様に貴族でも無い者は低姿勢になるのは当然だが、もう少し他者への言葉を選んでほしいものである。

 後にフォローを入れる者達、特にアンドルとスリザナが毎度大変なのだから。


「ジョイス様……」


「しかし……」


「……」


「母上、いや。王妃様へ贈った奏でに関しては褒めてつかわす。次は私ではなく使いを出す。その際は早々と王妃様へと膝を折るが良い。王妃様が望むのなら喉が潰れようと先程の演奏をしろ」


「はい。分かりました。この度はお呼びを頂きありがとうございました」


「下がれ」


 こうしてピリピリとした謁見は何事もなく終わることができた。

 ラブメロディーの効果が出ているのか、兵達からの視線も柔らかく感じる。

 ミツは立ち去る際、エンダー国の数名にマーキングスキルを発動しておく。

 王妃レイリー、ジョイス、アンドル、スリザナである。

 いつ呼びがかかるか分からない。直ぐに駆けつけるには、このスキルは便利だと思う。

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