第6話

 真田はついつい最後まで読んでしまった。

 ラックに雑誌を戻すと、レジのほうを一瞥してから店外に出た。腕時計は1時を5分過ぎていた。タバコを1本喫ってから向かうことにした真田は、火を点けながらいま読んだばかりの記事を思い浮かべ、もし突然自分がそうなった時に果たして家族が協力してくれるのだろうかという不安と、自分自身が気丈のまま病気に対峙することができるかという疑心が胸の内で交差した。

 マエダビルの前に佇み、一度見上げて看板を確かめてから4段ある階段に足をかけた。スリップ留めのタイルがいくつも剥がれ落ちているところが目立つ。

 ビルの入り口の重そうなドアには、ガラスの部分に金文字で「マエダビル」と縦書きで書かれてある。引き剥がすようにしてドアを開けると、すぐ目の前にエレベーターがあった。

 これまでに感じたことのない緊張感で指先が微かに震えている。ボタンを押してエレベーターを呼ぶ。やがて、油の切れかけたような音をさせながらケージが降りて来ると、所々塗装の剥げたドアを面倒臭そうに開けて、早く乗れと真田を催促する。

 階を表示する2列に並んだ黒いボタンは、数字の部分が磨り減って覗き込まないと見えないくらいだった。

 6階で降りると、すぐ目の前はガラス窓の嵌ったコンクリートの壁で左はまったくの壁である。必然的にUの字――つまり戻るような形で右に折れるよりなかった。剥がれたPタイルの廊下を歩いて行くと突き当たりに擦りガラスの入った木製のドアがあり、「日本臓器製造株式会社」と黒のラッカーで書かれてあった。

 真田がわずかに昂揚しながらノックしようと拳を拵えた時、「ご用の方はインターホンを押してください」と焼けて茶色くなった紙が張られてあるのが目に入った。

 インターホンを押してドキドキしながら応答を待っていると、中年の女性の声が聞こえてきた。真田は早速会社の名前と用件を伝える。すると帰って来た答えは、「うちは車を使っていませんので、すいません」と丁寧かつ恬淡としたものだった。

 そう言われてしまうと、それ以上喰い下がるわけにもいかず、悄然となりながらふたたびエレベーターに乗って1階まで降りた。

 ビルを出た真田は、室内の様子を見ることができなくて落胆したものの、それと同時にどうしても明らかにしたいという挑戦にも似た好奇心が頭を擡げて来た。そしてコンビニの前に行くと、胸ポケットからよれよれになったマイルドセブンの函を取り出してライターを擦った。

(もうきょうの仕事はどうでもいい。あの会社のことがどうにかして知りたい。何かいい方法はないものだろうか――)

 そんなことを考えながら半分ほど喫った時、風采の上がらないひとりの老人がビルに入る姿を見た。あの会社に行くかどうかはわからないが、とにかく調べてみようと考えた真田は、灰皿スタンドに吸い殻を投げ入れると、急いでビルに向かった。

 すでに1階のホールに老人はいなかった。エレベーターがいる場所を確かめると、ケージは6階で停まっていることがわかった。

(あのみすぼらしい身なりや不安げな挙動からすると、6階の会社に勤める人間でないことは間違いない。そうだ!)

 真田はふたたびコンビニまで戻る。そして老人がビルから出て来るのを根気よく待った。

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