暗殺
準備は整った、殺そうか。
異能も魔術もない、ただの暗殺者である僕は、これくらいしかできないから。
向かいに立つ、建物。
会社……を装った、騎士団に雇われた諜報員の溜まり場。
仕事は簡単。
そこへ潜入し、諜報員達を統率している者を殺すことだ。
建物へ近づき、正面入り口から中へ入る。
堂々と、いつもいたような顔をして、ここにいるのが当然のように。
そうして、十人ほどが自由にしているフロアを、誰にも気づかれずに移動する。
入って真っ直ぐ進むと、扉が一つある。
そこが社長室、統率者の部屋だ。
扉をノックし、返事を待つ。
「入っていいぞ」
扉を開き、中へと入る。
扉を閉め、お辞儀をした。
「どうも、初めまして」
椅子に座る男は、警戒できなかった。
その姿は少年であった。
純真無垢な、子供であった。
穢れを知らない笑顔で、挨拶をする少年を、警戒などできなかった。
それどころか、無意識の内に、警戒心が緩んでしまった。
「あぁ、君は?」
戸惑いながら聞く男は、気付けなかった。
少年が内に秘めていた、その殺意に。
「僕は……」
少年が突然距離を詰めた。
その手にナイフを握り、優しい微笑みで答えた。
「あなたを殺す者です」
首にナイフを刺し、声を出せなくする。
僕はまだ未熟者だから、おじさんや、先生みたくはできない。
だから、逃がさないようにして、助けを呼べないようにして、確実に殺す。
首からナイフを抜き、胸に刺す。
男は椅子に座ったまま息を引き取った。
良かった、骨の隙間、ちゃんと狙えた。
さて、また同じように、普通に帰ろう。
部屋を出ようと、扉を開けると、異常な光景が広がっていた。
床が真っ赤に染まっていた。
床に散らばっているのは、人の頭や足。
一直線の綺麗な断面。
血だらけの部屋、刀を手に立っていたのは、和服を着た老人だった。
な、んで……あれは、誰…………妖組か。
その光景に、思考を停止しかけるも、何とか持ち直す。
どうしよう、僕、暗殺者だよ。
剣客なんて相手にできるわけないじゃないか。
どうやって逃げよう。
「むぅ?先客がいたか。にしても、ギルドには子供の殺し屋もいるのだな」
「ねぇ、おじいさん。見逃してくれない?」
淡い希望を込め問う。
「儂に、子供を斬る趣味はない」
「…………」
「しかし、妖組幹部として、ギルドの人間であるお主を、斬らぬという選択肢は、最初からありはせぬ」
まぁ、そうだよね。
最初から期待なんてしてなかったさ。
勝てるかなぁ、いや無理だ、勝てるわけない。
僕は先生みたく万能じゃない。
どんな相手だろうと正面から勝ててしまえるほど、僕は強くない。
僕はおじさんみたく天才じゃない。
どれだけ警戒されようと、気付かれずに殺せるほど、僕は強くない。
だけど、無理だからと諦めるほど、僕は弱くない。
ポケットからナイフを取り出し、前に構える。
「ほぉ、逃げずに立ち向かうか。名を聞こう」
「…………」
「警戒するな。ただ、殺した相手のことを、忘れないようにと思っただけだ」
「……
少年は覚悟を決め、静かに、地を蹴った。
武術の足捌き。
未熟な僕でも、少し位相手の警戒を掻い潜れる。
間合いに入るその瞬間、世界は減速する。
間合いに入ってまだ、ほんの一瞬しか経っていない。
瞬きほどの時間で、その刃は眼前へと迫っていた。
ほぼ無意識に、ナイフの向きを変える。
攻撃の為ではなく、防御の為へと。
ナイフがその刃を受け止める。
大きな音と共に、火花を散らせた。
少年は勢いよく吹き飛ばされ、壁に背中から激突する。
「いっ……」
あぁ、勝てないことは分かってた。
だけど、ここまで実力に差があるか。
少年は、呼吸を整えながら立ち上がる。
ナイフを仕舞い、スカートの内側、脚ベルトに小型のナイフがいくつも収納されていた。
脚に差した小刀の数十二。
その他一。
総数十三、全て払い除けた後、斬り殺すとしよう。
小型のナイフを二つ、右手に持つ。
さて、手札は公開したし、勝とうか。
手に持ったナイフを、タイミングをずらして投げる。
別々の軌道を描き、ナイフは老人に向かって飛んでいく。
片方は直線で、もう片方はカーブを描いて、老人の左側から。
そのナイフを老人は、流れるような動きで、弾いた。
視線を狢から外さないまま。
まず二つ。
僕を見続けてる、なら、ナイフが尽きるのを、待ってるってことだよね。
良かった、まだ勝てる可能性がある。
ナイフを二つずつ持ち、同時に投げる。
高さをずらし、角度を変えて、四つのナイフがバラバラに、だが同時に老人に向かって飛んでいく。
全てのナイフは、老人に弾かれる。
四つ。
あぁ、速いなぁ。
同時なのに、全て弾いた。
一瞬のうち、だけど……見えた。
僕は知ってる、見ることすら出来ない早業を。
でもあのおじいさんの剣は見えた。
だから大丈夫。
僕とおじいさんの差は、とても大きい。
けれど、埋められないほどじゃない。
大丈夫、焦る必要はない、落ち着いて……勝つ。
狢は走り出した。
そしてその背後から、ナイフが二つ飛び出した。
回転しながら、カーブを描いて飛んでくる。
正面には、全速力で駆けてくる狢。
だが、ナイフは弾かれ、狢は吹き飛ばされる。
丁寧に、一つ一つ順番に弾かれる。
七つ。
残りは六つ。
おじいさんはすごい。
動きにばらつきが無い。
きっと体のすべてを、思い通りに動かしているんだろう。
けど、そのせいで、刀の通り道が、僕にだって見える。
正し過ぎるから、おじいさんは負けるんだ。
吹き飛ばされながら、空中で、ナイフを投げた。
真っ直ぐ正面から飛んでくるナイフを、弾いた。
先程正面から飛んできたナイフと同じように。
ただ違かったのは、その挙動。
今まで投げていたナイフよりも大きいナイフは、弾かれた後、地面に刺さった。
あぁ、あの場所でいい。
これで準備は整った。
右手でナイフを二つ投げる。
ナイフは床すれすれを、回転しながら飛んでいく。
それ老人は難無く弾く。
九つ。
狢は、両手にナイフを二つ握る。
四つ全て使うか。
全て払い除けた時、その首、ここで刎ねよう。
ナイフを先に二つ投げる。
左右両方から同時に迫るナイフ、を弾かれる前に残った二つを投げる。
大きなカーブを描き、老人の背後から迫る。
十三、すべて投げ切った。
老人は変わらずナイフを弾く、一つ目までは。
老人が一つ目のナイフを弾き、二つ目を弾こうとしたとき、刀が動かなかった。
刀には、コードが巻き付いていた。
すぐさまコードを斬るが、ほんの一瞬、動きに遅れが出た。
それは本当に一瞬だけだった。
だが、その一瞬の遅れにより、今までのような余裕がなくなった。
ギリギリで二投目を三投目を四投目を、弾き切った。
背後のナイフをギリギリで弾いた老人は、狢に背を向けていた。
ここで失敗すれば、僕は死ぬ。
今まで失敗すれば死んでいた。
けど、今までは、出来ることしかしてなかった。
おじいさんの攻撃を受け止めるのも、吹き飛ばされながらナイフを投げるのだって、全て、最初からできると思ってた。
でもこれは、出来る気がしなかった。
だから、最後のナイフ、弾いてほしくなかった。
でも弾いたのら、仕方ない。
成し遂げよう、僕にはできるはずのないことを。
ナイフの扱いは簡単だ。
拾われたときからナイフを握らされて、体の一部のように扱えるよう、肌身離さず生活させられてきた。
少し自信過剰かもしれない。
でも、僕はナイフの扱いだけなら、師匠やおじさんに追いつけている。
だから後は、身体能力だ。
頼む……お願いだ……速く、駆け抜けろ。
すぐさま老人は振り返る。
その眼に映ったのは、走り始めた狢の姿。
狢は地を蹴り、今までの人生で最も速く駆けた。
地面に刺さったナイフを蹴り飛ばす。
尚もたまることなく走り続ける。
老人は、鞘に一度刀を収め、横に薙いだ。
居合切り、首を跳ね飛ばすための横薙ぎ、そのはずだった。
だが、老人は予想していなかった、出来るはずがなかった。
地面に刺さったナイフを蹴り飛ばし、そのナイフが、寸分の狂いなく、老人の顔めがけて飛んでくるなど。
故に、狢の拳が握られていようと、ナイフを弾く外に、道はなかった。
その拳は、甘んじて受けよう。
老人が力み、そしてナイフを弾こうとしたとき、ナイフを掴む手があった。
刀の下を滑り抜けようと、姿勢を低くしていく狢の手が、ナイフを握っていた。
な、追いついたのか、自信が蹴り飛ばしたナイフに。
下がっていく手に引っ張られ、ナイフは弾かれることなく、空中で少年が手に入れる。
そして、老人の横をすり抜けた時、老人の足に、ナイフを刺した。
老人は狢を斬ろうとするも、ナイフが足を貫通して地面にまで刺さっており、簡単に動けるような状況ではなかった。
「おじいさん。悪いね、今回は逃げさせてもらう。もしまた会う機会があるなら、僕に殺されると思って」
そこで狢の雰囲気が変わる。
純真無垢な少年から、歴戦の暗殺者へと。
「だって、次に会うときは……おじいさんを殺す準備を整えた時だから」
そう言うと、子供らしく笑って、建物を出て行った。
「ふむ、元気な少年であった。次に会ったときは殺す、か……」
右足に刺さるナイフを抜こうとしてみるもびくともしない。
老人は刀を一振りした。
すると、ナイフはいともたやすく抜けた。
「儂は、何やら不思議な力を持っているようだ。次にあの少年、狢と出会うときまでに、この
刀を収め、老人はゆったりとした足取りで、建物を後にした。
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