影の国のアサシン

ROI

第1話始まりの朝


2020年1月15日、東京都内某所のマンションの一室。

 午前8時、雀がさえずる中、霧島零士は鏡の前に立ち、自分の顔を見ていた。 

 1月の半ばと、まだ寒いせいか吐く息は白い。


「随分と目がくすんだな。 まぁ、無理もないか。」


 (人生には転機と言うものがある。俺の場合はおよそ5年おきにそれが来ている。


 10年前ポーランドで両親を失い、命の恩人であり民間軍事会社ヴァルハラ入るきっかけとなった有香さんと出会い、5年前にその有香さんはヴァルハラの要人警護の任務中、横浜の大型客船で正体不明の武装集団に襲われ、所属していた隊は壊滅。


 クライアントに俺とゲンさんを逃がす為に踏みとどまり行方不明になった。

氷室も探してくれているが、今だに何の情報もない。 

 あの日から今年で5年目、充分な金もできた。殺しの仕事は長く続けるもんじゃない。問題は辞めるタイミングか———)


 そう言うと赤いニットにジーンズ姿の零士はリビングのソファーに座り込む。

問題はそれだけではなかった。

 その問題となる人物から、零士のスマホに連絡用のメールが届く。


「やれやれ、またか。だが、まず最初に相談するべきは彩の奴だよな。」


 メールの送り主を確認する。


 どうやら依頼が来た事を報せるメールらしい。この仕事のパートナーである彩に、どう仕事を辞める事について切り出すか考える零士であった。


(考えてても仕方ない。)


零士はスマホにを手に取り、メールの内容を確認した。


 (今度は竜星りゅうせい会か、てっ事は政治家かフリーのジャーナリストってとこだろうな。まぁいい。この前みつけたカフェで、時間は....午前10時。あいつはいつも5分前には来てるから、遅れないようにしないとな。)


零士はスマホの時間表示を見る。

「まだ8時31分か。」


 (ゆっくり準備しながら、なんて切り出すか考えながら行くか。

任務中はいつも用心深くしろといつも有香さんは言ってたな。)


零士は仕事を始めた頃の自分を思い出した。

 待ち合わせに使う場所は固定せず、その都度変えていた。

 いつ自分自身が狙われるか分からなかったからだ。

 

 色々考え準備をしている内に時間は迫って来る。PCでその日の情報に目を通し、仕事仲間のゲンとも情報交換。


(ゲンさんは相変わらずだな。だが、傭兵時代の自分を知るこの国では数少ない、なんでも話せる仲だ。)


 ゲンとのやり取りの中、時間表示を一瞥いちべつする。

 

「もう出た方が良いか.....」


まだ時間に30分は余裕があるが、黒いコートを羽織り、零士は彩が指定したカフェに向かった。


 カフェ、バンビーナ

 初めて来る店だが、イタリア風の洒落た店だ。零士は約束の時間の10分前に店に到着した。途中まではタクシーで、渋滞に捕まりそうになった為にその後歩きにした。

 道には迷わなかったが、やはり彩にどう辞める話を切り出すか考えていた。

 店はカフェテラスがあり、零士はテラスに彩が居ないのを確認すると店内に入った。だがやはり彩は居ない。


(ん?珍しいな。あいつがまだ来てないなんて。俺が時間を間違えたか?)


零士は思わずもう一度指定された時間を見る。時間は間違えてない。


 日差しが出ているせいか、起きた時よりだいぶ暖かくなって来ていた。取り敢えずテラスの空いている席に座ると、5分遅れて彩がやって来た。


「あら?時間前に来るなんて珍しい事もあるもんね。どうしたの?変な顔して。」


 不意に声を掛けられた零士は、彩の顔を見つめる。彩は見た目どこにでも居る女の子と言う感じで、ジーンズに白いコートの上にチェック柄のチュニックを着ている。


「いや、なんでもない。仕事なんだろ?」


彩は零士に声を掛けた後、テーブル越しに零士の前の席に座る。

そして、いつもの調子で話を始めた。


「依頼主は竜星会。で、いつもの氷室の奴よ。私はあの男に直に会いたくないから、零士、お願いね。」


「ああ、分かった。」


 彩は竜星会の氷室に最近はいつも会わない。何故かを聞くと不機嫌になるので、零士は氷室に関しては彩の要求を黙って聞く事にしている。


彩は話を続ける。


「今回は竜星会がらみじゃないみたいなんだけど、兎に角いつもの場所に今日の午後5時に来て欲しいって。解った?」


 零士は彩の話しを聞きながら、ここで今の仕事を辞める話しを切り出すべきか考えていた。そんな零士に彩は、不信そうな目を向ける。と、そこにバンビーナのウェイトレスが注文を取りに来た。


「いらっしゃいませ。こちらメニューになります。ご注文がお決まりになりましたら、テーブル中央の呼び出しボタンを押してください。」


 零士はその場でコーヒーを2つ頼む。注文したコーヒーが来る間、彩は零士の様子を見ながら、また話しを始める。


「零士、あんた自分の癖に気づいてる?考え事をしている時の零士は、極端に口数が少なくなって、いつも上の空みたいになる事に。」


彩の言葉に、思わず零士はハッ!とする。

「そうか、顔に出ていたか————」


そんな零士に彩は、あきれたような表情を浮かべながら———


 「貴方と出会ってから、もう8年にもなるんだから気付いて当然でしょ?なに?引きずるのも嫌だから、この場で言ってちょうだい。」


 彩に隠し事は出来ないと思った零士は、 彩の言うとおり、引きずるよりはこの場で言った方が良いと思い打ち明ける事にした。


「実はな、この仕事を辞める事にしたんだ。」


 沈黙が訪れるかと思いきや、彩の反応は速かった。

「ふ~ん。なるほどね。まぁ、そう来ると思ったけどね。」


彩の意外な反応に零士はキョトンとする。彩は続けて。


 「一年くらい前からだっけ?あんた時々物思いにふけったり、考え事をしてるように見えたりする事が増えたのは。

最初は妹さんの事かと思ったけど、深刻な表情を見せたりするから、多分そうだと思ってたの。」


やはり彩には隠し事は無理だと思った零士は、むしろ彩の反応に安堵あんどした。


「すまない。もっと早く打ち明けるべきだったな。金も充分に出来た。

もうこれ以上仕事をしなくても良いように思えたんだ。」


表情がゆるむ零士に、しかし彩は、やや怒った口調で零士にこう告げる。


 「辞めるのは良いけど、竜星会はどうするの?今まで受けた仕事の中には、竜星会からの物が一番多かったわ。もし氷室に辞める事を切り出したら、正直どう出てくるか解らない。」


 考えてない訳ではなかったが、竜星会がからんでいる事が世間に知られれば、竜星会の存続に関わる依頼も何件かあったのだ。少し黙った後、零士は口を開く。


「そうだな。氷室は兎も角竜星会の事だ、口封じに出てくる可能性もあるな。」


「黙って消える?氷室に辞める事を伝えるにしても、どっちみち国内に居るのは危険な気がする。まぁ、どうするかは任せるけどね。」


 「ああ、確かに国内に留まるのは危ないかもしれない。有香さんじゃないが、万が一に備える事も必要だな。」


と言ったやりとりをしている所にウェイトレスがコーヒーを運んできた。


 「お待たせいたしました。」


コーヒーをテーブルに置くと。

「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

彩はさっきまでと違って笑顔でウェイトレスに告げる。


「ええ、これで良いです。」


 「ありがとうございます。追加がございましたら、呼び出しボタンを押してください。ごゆっくりどうぞ」


 ウェイトレスが居なくなると彩はコーヒーの入ったカップを手に取り。コーヒーの匂いをぐ。


「ここのは良い豆を使ってるって評判なの。ほら、貴方も飲みなさいよ。」


 彩にうながされて零士もコーヒーを手に取る。

「珈琲はあまり飲まないから、正直よく分からないよ。」


そう言いながら、二人は一時自分達を取り巻く問題を忘れて珈琲を口にした。


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