飯が食える小説家になろう

一ノ瀬メロウ

飯が食える小説家になろう

「東堂みるく☆ぷりん先生、受賞おめでとうございます」


 壇上の司会者が、照れくさそうに笑う中年の男に言うと、会場は拍手の音で包まれた。

 今日は、第4回 KODAKAWAグルメ小説大賞の受賞式である。緊張した面持ちでマイクを握るこのやせ型の中年男性こそ、見事大賞を獲得した東堂みるく☆ぷりん(ペンネーム)だ。


「しかし、わたしなんかが受賞して本当によかったのでしょうか……」


 東堂は遠慮した様子で言った。


「いえいえ、そんなご謙遜なさらず。東堂みるく☆ぷりん先生の作品はホンモノですよ。本当に素晴らしい作品でした。東堂みるく☆ぷりん先生といえば、四年前に賞をとった歴史小説でデビューして以来、長くスランプに悩まれていらっしゃいましたね。ですが、今回の大賞でついにぷりん先生が復活できそうで、たいへん喜ばしい限りです」

「あの、あんまりペンネームをフルで呼ばれるのはちょっと」

「気に障りましたか?」

「できれば東堂だけにしてもらえると助かります。しかし『みるく』と『ぷりん』の間の星マークはさっきからどうやって発音してるんです?」

「それは失礼しました。さて東堂先生、話は変わりますが、先生の本を読んだファンの方々からは、自分も東堂先生のように、小説でご飯を食べられるようになりたいがどうしたらよいか、という内容のメッセージがたびたび届いていますね」

「それはよく聞かれる質問ですね。とはいえ、一言で説明するのは中々難しい話です。こうやるんだよと実際にお見せした方が分かりやすいかもしれません」


 東堂は悩ましい顔で答えた。現代において、小説は物質的な縛りから解き放たれており、作品を世間に公表するハードルは過去のどの時代よりも低い。いまやウェブ上の小説投稿サイトには、オリジナル小説を公開するユーザーが数百万人という規模で存在するのだ。

 それほど多くの人が執筆にいそしんでいるが、一方で、小説でご飯を食べられる程に至るのは、ほんの一握りである。


「ええ、そうおっしゃると思いまして、実は、本日はその様子を見せていただこうと用意をしてあるのです」


 司会者が壇上から聴衆に向かって言った。思ってもみないサプライズに、会場がどよめき始める。東堂もどよめき始めた。


「そ、そんな企画があったのですか」

「急なお願いで申し訳ありません。ただ、わたし含めて多くの人が、東堂先生の実力をどうしても生で見たいと思っておりまして……」

「なるほど、そこまで期待されているのなら仕方ありませんね。わたしでよければ、お見せします」


 東堂の目つきが変わった。先ほどまでの弱々しい雰囲気は消え去り、覚悟を決めたプロの作家が、そこにいた。

 すぐさま諸々の準備が整えられた。机と椅子が一つずつ運ばれ、さらに炊飯器、茶碗、箸が机の上に並べられた。そして今回の読み手として呼ばれた、テレビ帝京の現役アナウンサー、藤井亜香里ふじいあかりが、一冊の本を携えて壇上に上がった。


 東堂は椅子に腰かけ、姿勢を正した。司会者が茶碗にご飯をよそい、東堂の前に置くと、会場は静寂に包まれた。

 読み手の藤井が表紙をめくり「走れメロス。太宰治」と口にすると、東堂は無駄のない動きで箸と茶碗を手に取った。


「メロスは激怒した――」


 読み手の朗読が始まるやいなや、東堂は炊き立てのご飯を口いっぱいに頬張った。伊達に小説で飯が食えると豪語しているわけではないようだ。まさか一行目からこんなにも勢いよく箸を進めるとは予想だにせず、会場は沸き上がった。


「『呆れた王だ。生かして置けぬ』」


 メロスが王城に乗り込もうとする頃には、東堂はすでに茶碗三杯目を空にしようとしていた。スタート時の勢いはやや落ちたものの、安定したペースを維持しながら小説でご飯を食べている。


「セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である」

「げほっ、げほっ」


 東堂が咳き込んだ。むせたのだ。一方、セリヌンティウスは捕縛され、メロスは妹の結婚式に参加するため村へ向かった。


「先生、大丈夫ですか。無理なさらずとも……」

「まだいけます」

「よければこれをお使いください」


 心配した司会者が食卓塩の入った小瓶を差し出した。東堂は無言で受け取り、茶碗にさらっと一振りすると、さっきよりもペースを上げてご飯を食べ始めた。小説以外でご飯を食べるのはどうなのかという声もあるかもしれないが、ルール上、食塩の使用は認められている。


「――見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである」


 メロスが川を渡り切った。一方東堂は、三合半もの白米を平らげようとしていた。炊飯器にはあらかじめ五合の米が炊かれていたが、すでにほとんどが東堂の腹に移っていた。

 しかしここからが難所だった。食塩の助けがあっても、胃袋の重みは容赦なく箸の動きを戸惑わせる。メロスが山賊を打ち倒すころには、東堂の表情は苦痛にゆがんだものになっていた。

 それでも東堂は箸を止めなかった。プロの作家として、小説でご飯が食べられることを身をもって証明したかったのだ。会場の誰もが、彼を見守った。ついに炊飯器の残りが一合になった。メロスは王都にたどり着いた。


「はあ……、はあ……」


 玉のような汗を流し、呼吸さえ途切れ途切れになりながらも、東堂は白米を口に運び続けた。

 司会者が炊飯器に残った最後の一盛ひともりを、茶碗によそった。これが最後の一杯だ。東堂は濁流を泳ぐように白米をかきこみ、かきこみ、


「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」


 箸にはさまれた一口分のご飯が、きらめく塩つぶをまとって輝いている。すでに茶碗の中は空だ。メロスはついに磔台はりつけだいにのぼり、東堂は最後の一口を頬張り、噛みしめ、飲み込んだ。


「ごちそうさまでした」


 東堂が箸を置いた。用意された五合の白米を見事平らげたのだ。聴衆はどっと叫んで喜んだ。拍手の音が響きわたる中、東堂はゆっくりと、司会者がコップに注いだ水を飲んだ。メロスとセリヌンティウスは熱く抱擁を交わし、暴君ディオニスも彼らを認めざるを得なかった。ここで藤井アナウンサーは朗読を終え、本を閉じた。


「先生、わたし感動しました。先生の勇姿は、きっと多くの人の心に響いたことでしょう」

「これで少しでも、小説でご飯を食べたいと考えている人を勇気づけられたら、幸いです」


 東堂は謙虚に言葉を返した。


「しかしまさか、五合もご飯を食べられるなんて、さすがプロの作家ですね」

「いえいえそんな……。わたしの場合、一昨日から何も食べていませんからね」

「一昨日からですか? これまたどうしてです?」

「ええ。デビューから四年、ほそぼそと作品を世に出してきましたが、わたしの本はさっぱり売れないのです。恥ずかしながら、食費すら賄えないくらいに……」


 東堂は、ひどく赤面した。


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