AH!AH!AH!

@mate729

始まりのはなし

 外から変なオトが聞こえたので寝ぼけ眼で窓を開ける。自慢の鼻に届いたのは嗅ぎ慣れた匂いで、一瞬で意識が覚醒する。堪らず小声でウォンと鳴いてしまった。犬っぽいことをしてしまった。犬だけど。うん。

 眼下に居たのはマウスで、その横には血にまみれた鹿型魔物――だろう、明らかにそのマウスを食っているから。鮮血流れる景色を見て、なんて幸運なのかと一人笑う。お小遣いが自分からやってきた! 

 枕下に潜ませていた携帯ナイフを取ると、窓を完全に開け放ち屋根へ飛ぶ。魔物は食事に夢中で気付かなかったようだ。私の気配殺しが上手いのも理由の一つだろう。ふふん。ナイフをケースから取り出すと、銀色が輝く。手に馴染むよい重さだ。夜、遠くからどんちゃん騒ぎが聞こえる以外は静かで密やかでひみつのじかん。

 目指すは毛むくじゃらな魔物の脳天一撃、寝巻きを血で汚さずクリーンに。――一陣の風の如く飛び降りて、死んだことすら気付かせずに絶命させる。止めていた呼吸は息の根を止めたことを確認してからゆっくりと。笑みと一緒に。

「ふひゃー! やったぜー」

 ナイフを刺して死体に注意を向けたまま、宿の部屋に戻り浮島うきじまを叩き起こす。お小遣い入手の為には、魔法が得意なヤツに頼むのが一番いい。すうすう寝息を立てるクチバシをこづいてみる。柔らかい肉球でなく、手入れが疎かな固い爪を向けて。すると翼を力なくぱたぱた動かしながら、嫌そうな呻き声を上げて彼は目を覚ました。

「なに……」

 普段の丁寧口調も、今はすっかり成りを潜めている。

「魔物倒したー、宝石にしてえー」

 体を揺すりながら説明すると、浮島はゆっくり起き上がった。視線はまだどこか虚ろ。軽く何度か頷くとやがて覚醒したようで、慌てて私の後を着いて窓から現場へ降り立った。うっかりして赤い水溜まりを踏んでしまう。じわっと足が濡れて気持ちが悪い。あとで拭かなきゃなあ。浮島はわざわざスリッパを履いてきており、飛び降りた拍子に片方がすっぽ抜けたらしい、小走りで取りに行っている。間抜け極まりなくて、本人に気付かれないようにこっそり笑った。

 私達のように、人からの依頼をこなしてお金を稼ぐウヴァンリャにとって魔物から取れる宝石は収入源の一つだ。宵越しの金にすらならない場合が多いが、今回はどうだろうか。ちょっとした運試しである。

 浮島が脳天に刺さったままのナイフを嫌そうな顔で見つめた。どうせ脳を傷付けるなと言いたいのだろう、宝石は脳味噌が変化するものだから。ただ一度で絶命させるにはやっぱり効果的だし、ホラ、浪漫があるだろう? なんて言ったら怒られそうだから言わないでおく。

「ホーキーチェイシー」

 口笛をくような、息を吐いたオトが聞こえる。途端に魔物から光の粒子が溢れ出していき、頭部が萎む。パキンと軽く固い音に、浮島は一度頷いた。宝石が出来たのだろう。摘出はこちらの仕事であるが、その前にしたいことがある。ヤツの視線を敢えて背中で受けて、もう一つの死体を見下ろした。私が殺した魔物に殺されていた、小さなマウス。

 殆ど元の形を成していないけど、このままマウス監督所――マトの奴らに任せるのは後味が悪い。あいつら生きてるマウスの監督ばっかりで全然処理の方は手出しが遅いらしいし、ソエリオ祭りが終わるまではこの村に滞在する予定なので、放置されると寝覚めが悪い。しかし寝巻きを汚すと宿の店主に嫌な顔をされるのは間違いない。

困ったものだと悩んでいると、後ろから声が掛けられた。

「おめぇさん、もしかしてそいつ片付けたいの?」

「片付けっていうか、んー、軽い供養、だな」

 死に方としては無惨と言っていい部類だし。なあ、と同意を求めてみる。私達と同じく寝間着姿の癖に格好つけて気に入りの中折れ帽を被っている彼に対して。

去間さるま

 名前を呼ばれた彼は思案顔を見せていたが盛大に溜息を吐いてみせると、大仰に両手を上げた。黒い毛並みは寝起きだからか少し乱れていて、あまり格好がつかない。

去間はいちいち演技臭いのを辞めたらもう少しモテると思う。猿型亜人用の葉巻を咥え、丈の長いマントを常日頃から羽織ったり、格好良さを追求して、魔法の演出を研究したり。合理的とは真逆をいく。その所為で魔物退治のとき危険な状態に陥ることなんてしょっちゅうだけど。今回だけは。丁度いいかもしれない。

 ひゅっと風が流れて、去間の帽子がゆらゆら泳いだ。天気まで彼の味方をするらしい、口角を吊り上げる。私も後ろにいる浮島もノリノリだなあと少し遠い目で、やつを見つめた。

 去間はうやうやしく帽子を取り、弧を描くように胸の前まで持ってくる。猿型亜人だから、そういう動きも小器用にこなす。同時に、彼は「カェリルィ」と歌い上げた。柔らかく帽子を投げるとそれがふわり、小さく踊って浮き始める。そして血で汚れたマウスの体は徐々に清潔なものへと変わっていくのだった。ただ、魔物に食われた部分はそのままなのだけれど。

 先ほど去間が使ったカェルリィは対象を清潔な状態にするものであり、傷を癒し修復するものではない。早く次の工程を行わなければ、傷の開いた臓器からまた血が流れてしまうのだが、去間は流石と言うべきかなんと言うべきか、勿体ぶって先ほどのポーズから動かない。浮島は呆れて私からナイフを奪っていった。さっさと魔物を捌いて宝石を手に入れたいらしい。というか去間に付き合ってられなくなったのだろう。私は頼んだ手前もあって、文句も言わず続きを待っていると、マウスの顔が目に入った。

 物言わぬ死体の表情は、なんとも形容しにくい、複雑なものだった。悲しいような、苦しいような、辛いような、怒ったような、嬉しいような、どれでも何となく納得が出来て、何となく不服で、そんなかんじだ。

 ついさっきまで続いていた命は、私が寝返りを打っている間にいとも容易く終わってしまったのだ。マウスだけじゃなく色々な死に様を眺めてきたから、今更感傷には浸らないけれど。死ぬときは笑って死にたいなあと、雲のようにぼんやりした感情が心の中で浮かんでいた。

 気が付けば去間は次の魔法を使う直前だった。ようやく、と言うべきだろうか。きっと次はこのマウスの体を変容させるのだろう。黙ってその姿を眺める。空はまだまだ白みそうにない。薄暗い村の灯りに照らされた去間が、伏し目がちに魔法を使う。服がパジャマじゃなければ絵になったかもしれないなあ。

「ヒァカト……――純潔の、デイジーへ」

 去間がヒァカト、と口にした瞬間、その死体は一瞬光に包まれていた。台詞を言い終える頃には既に花の種子へ姿を変えており、彼は掌のそれをポトリと地面の上に落とした。優雅な笑みを見せながら「もう一度」と呟く。が、今度は何も起こらない。あーあ、つい微妙な顔で笑ってしまう。ヤツは、連続で魔法を使おうとして失敗したのだ。

 魔法を唱える際に必要なのはイメージすることだ。名を唱えながら脳裏にはそれが行使された光景を思い描く。しかしそれが稚拙であると、魔法は発動しないのだ。だから本当は魔法名を発言しなくてもやろうと思えば使うことは出来る、ただ、口に出した方が”魔法が行使されたその世界”に入り込み易い。

しかし、去間はただでさえ魔法が下手な猿型亜人であるのに、格好つけてあんな言い方をするから失敗した。大方ヒァカトを続けて使う自分に酔いしれていたのだろう、俺カッコイーとか思っていたのである。恥ずかしいオッサンだ。

 声には出していなかった筈なのに、去間は勢いよく振り返って私を睨みつけた。逃げるように浮島の様子を確認してみると、彼は魔物の首をナイフで切り落とそうとしていた。普段使っている剣とは少し勝手が違うから苦戦しているようだ、少し体が震えている。……いや違う! あいつも見てたんだ! 笑ってんじゃねえか!

いぬいィ……」

 予想以上に、怨嗟の念が捨てきれなかった幽霊のような声で去間が私を呼ぶもんだから、考えてた言い訳や話題逸らしが全部頭から吹っ飛んでしまって、更に吹き出してしまう。当然それは火に油を注ぎ、「頼んだ癖に良い身分だな」とか「こっちは頑張ってんのに笑うなんたァどういう了見だ」とか「お前も種にしてその場で粉々にしてやろうか??」とか、烈火の如く怒られてしまったのであった。

 叱り飛ばされる間に種子が落ちた場所も分からなくなってしまい、結局ヒァカトをもう一度かけることは出来なくなったけれど。近いうちにソエリオが開催されるから、記念として彩られる花の道にひとつだけ、双葉がひっそり生えているのを誰かが見つけるかもしれない。

 その瑞々しい双葉を見た亜人たちはどう思うだろうか。普段、ボロ雑巾のように扱っている人間が、生に満ちた姿を見たら。「あのマウスが」と驚くかもしれないし、同じ言葉で嗤うかもしれない。恐らくどの亜人も気分に依るだろう。享楽的な人種である。

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