第2話 父の死とスタン・ゲッツ

 私が初めて「音楽脳」であることを意識したのは、父親が亡くなった日だった。遙か昔、遠い銀河系のどこかではなく、関東地方のとある場所だが。忘れもしない、1981年の夏だった。


 私は大学生で、夏休みで帰省していた。実家の奥の座敷で昼寝をしていた(ように見えた)父が、通りかかった私に気づくと、「医者に連れて行ってくれ」と言った。

 

 父は長いこと心臓を患っていた。狭心症だった。ニトログリセリンも服用していた。後で母に聞いたのだが、医者には、次に発作が来ると危ないかもしれない、と言われていたという。


 自動車まで父は普通に歩いた。かかりつけの町医者までは車で5~6分の距離だった。車の中で、心臓を右手でおさえてはいたが、それほど苦しそうな表情ではなく、会話もしていた。


 医院に着くと、自分で車を降り、診察室まで歩いた。だが、ベッドに横になると、容体が急変したようだ。父は目を閉じた。息づかいが荒くなった。吐いた。言葉が混乱した。そして沈黙した。医師は、その医院では対応できないと判断し、救急車を呼んだ。医師の奥さんが、私の実家にも電話で連絡してくれた。


 総合病院の救急外来へ向かうその救急車の中で。父の脈をとっていた救急隊員に、「大丈夫なんですか?」と聞いてみると、どんな表情もつくりたくない、というように表情筋を複雑に動かし、なにも言わなかった。大丈夫じゃないんだ、危ないんだ、という切るような思いが胸に迫ってくる。


 と。ふと気づくと、私のアタマの中に音楽が流れていたのだ。スタン・ゲッツの曲だった。買ったばかりのレコード、『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』の中の「ホップスコッチ」だった。


 スタン・ゲッツというジャズ・ミュージシャンのことは、村上春樹さんの小説『1973年のピンボール』で知った。興味を持ち、初めて買ったのが、ジャケットでスヌーピーがテナー・サックスを吹いているこのアルバムだった。ライナー・ノーツは村上春樹さんが書いていた(CDのライナー・ノーツは、村上春樹さんではないらしい)。


 救急車のサイレン音にもかき消されず、「ホップスコッチ」は進行する。スタン・ゲッツは、テナー・サックスを奏で続けている。死の淵にいる父の姿を前にして、どうしてこんなにアップテンポな曲がアタマの中で再生されたのだろう。もっとスローで叙情的な「ストリート・タトゥー」の方が合っているとも思う。でも、どうしても、どうしても、「ホップスコッチ」がアタマから離れなかった。


 目をつむったまま横たわり、まったく動かなかった父が、一度、突然くっきりと目を開いた。そして私を、穏やかな表情で何秒間か見つめた。何か話したいのだろうかと顔を近づけると、ゆっくりと瞼が閉じられていった。父の最後の視界の中にいたのは、私だった。その間も「ホップスコッチ」は止まなかった。


 病院に着くと、すぐさまAEDによる電気ショックと心臓マッサージが始められた。が、後から追いかけてきた家族が病院に到着したときには、もう父は死の淵を渡っていたのだろう。母が呼びかけても、何の返事も返ってこなかった。


 何分経ったかわからない。医師は心臓マッサージをしていた手を父の胸から離し、そうしなければならないと決まっているような動作でゆっくりとベッドの脇に立ち上がり、そうしなければならないように静かに、「…ご臨終です」と告げた。一瞬の間を置いて、母の泣き声が聞こえた。


 気がつくと、「ホップスコッチ」は消えていた。私の脳内で「音楽脳」が覚醒したのは、この日かもしれない。


 次回は、仕事場の音楽について。


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