第62話 希望と窮地

「今度こそ気分が落ち着いたのではないですか?」


「......ああ」


涙を流したのは久しぶりだ。

人の涙を見ることはあったが、その度に自分がしっかりしなければならない

弱音を吐いている場合じゃない


だからこそ突っ走る、

そうすれば振り返らずに済む...


そんな考えを現実は許さなかった。

トラウマになるような障害が行く手を阻み、

つい後ろを振り向いた


すると自分の今までの辿った道と

自身が知りうることはなんとちっぽけなものか


それに気付き、

平凡な少年の頃から大して成長もなく

心に抱いた不安に、突き付けられる恐怖に

正気を砕かれそうになった。


ただ幸運にも自分には背を支えてくれる手があって

隣には同じ境遇の人がいてくれた


またその人はとても優しい人だった。



未だ自身に宿る悪魔のことも、

空白の記憶もまるで知る由もない


それでも前を向かなくては


せめて仲間はいてくれる内は、

正気を失うにはまだ早い



「ありがとう、アイリス...本当に気が楽になった」


「いえ...私も勇者になってからの自分の本音を打ち明けられる人は......

 似たような人は貴方しかいなかった。

 そして口に出来たことで心持ちは以前よりずっと軽くなった...ありがとう、ウィン」


抱擁は解かれたが、

代わりに力強い握手がガッチリと交わされた。


絆を確かめ合うことが何度にでも渡ってあるからこそ

確かな信頼になっていく


そのことを今に痛感した。

そして目の前の勇者を自分とは縁遠い存在だと他人行儀に

捉える態度は完全に捨てた



「では行きましょう、貴方の友人と故郷の人たちが待っている」


「うん、行こう!」



「俺はこっちだ~! 助けてくれ~」


同時に踏み出した足が止まって

俺とアイリスが突然の第三者の掛け声のする方に顔を向けると...


「泳法なんて田舎者は知らねえんだぁ!

 助けて~!!」


「「ラッテ!?」」


間違いなく藁の様な明るい黄色のボサボサの髪が

ぐっしょりと顔に張り付いた男が流されている


「ど、どうしてラッテが!?

 アメルの方向にいたんじゃ!?」


「もしかすると川の上流で何かあって飛び込んだ結果、

 こちらに流されて来たのかもしれない!」


彼女は装備を外して今にも飛び込もうとしている。

その急く手を俺が防いだ


「ラッテの救出は俺に任せてくれ!

 二人とも流されては今度アメルとの合流が難しくなる...

 ここはアイツを呼び戻しにアイリスが行ってもらえるか!?」


それに薄着の状態の女の子に男の救助に行かせるわけにもいかない、との

視点に熱が入った指示をなんとか納得してくれた


「わ、分かりました!

 でも貴方も気をつけてください!

 泳ぎに心得があっても、この激流じゃ――」


「溺れてるアイツと同じで俺もそんなのないさ!

 じゃあ、そっちは頼んだ!!」


下着だけになるとすぐさま川にダイブした。


涙に続いて水泳もまた久しぶりの体験であった


「待ってろ! ラッテ!!」


「ずっと流されてきてもう限界だ~!!

 足がおかしくなっちまうぅぅぅ!!」


適当にひたすら足と腕で水を押していく。

川の流れの後押しもあってグングンと黄色い頭に近付く


でたらめな泳ぎ方ではあるが強い水の流れのおかげか浮力は死んでない、

このまま行けばアイツが沈んで見えなくなるより早く手が届くかもしれない


あと少しだ......!


「くっ...よし、掴んだ!」


「お、おお! 友よ!!」


あと少しで溺れ死にそうだったとは思えない人間の力で

我が身にしがみ付いてくる


「なんだよ、かなり体力残ってるじゃないか!」


「うぅ、怖かっただよ~!!」


子供返りした情けない友人を片腕でしっかりと捕まえた。

これで後は戻るだけだ


取るべき行動が簡単なもの1つにになると俄然体にやる気という名の

エネルギーが満ちる。


容赦なく川から抜け出そうとする俺達を水の勢いが前に押しやろうとする。

だが今に解放されたパワーは横に泳ぎ切る荒業も難なくこなせる


そんな自信と力に満ちた状態は



「! お、おいおい! ウィン!! 前!!」


「え?」



友人の警告で前方の


川の続きが無いことに気付くまでのことであった



「はッ!? どうなってんだ!!」


「どうなってるってそりゃお前......この先、落下注意ってことだろ!」


「注意も何も、川の切れ目が見える地点からもう抜け出せる訳ないだろ!!」


もはや俺もラッテにしがみ付いて

祈るような気持ちで全力で叫ぶ


「何とかなってくれえええ!!!」


「ああああ!! 落ちるぅぅぅ!!!」



その後すぐに今まで自分たちを支えてきた水の浮力はサッと消え、


二人の男の絶叫が滝壺まで響いた

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