第11話 とりあえず警察の出番はないから!

 先生が言ったことは俺が要求したものではなく、先生が勝手に言ったことであり、たまたまそうなっただけだ。

 俺の意思とは無関係、偶然なものだという俺の主張は────


「月見里先輩は、胸を張って、良心の呵責に苛まれることもなく、クラスメイトや友人、親、教師、乙藤姫乃先生を目の前にして、断言できるのですか?

 親と交わす口約束以上の誠意を、友人と交わす指切り以上の信頼を、大切な人と交わす誓約書以上の決意を、先祖の名にかけて、自分の守護霊にかけて、この大地にいる精霊にかけて、古くおわします神々にかけて、誓うことができるんですか?

 先輩の言うたまたまが、何ら自身の意図によらず、神の見えざる手より人智を超えたものであり、完全無欠の一分の隙もない徹底的かつ絶対的、天然由来成分100%の偶然であると、

 ───言えるのですか?」


「もう殺せよ!!」


 ────魔女狩りにも似た裁判で審議された。


 うん。なんとか俺の熱弁が実を結び、無罪で解放されました。

 賄賂って大事なんだなと世の中の真理を痛感しました。

 しかし、かがみんに面白半分でゲームを勧めるのはやめるべきだな。後輩の成長に悪影響を与える恐れがある。


「本当に無罪なのに……」


 世界史を頑張ったのは純粋な気持だったのだが、欲望で勉強したと思われている。

 全然そんなはずはないのに、疑われるとは。だが、俺がかがみんの立場ならきっとコイツ年上の魔力にやられたなと確信を抱いたと思うので、かがみんの態度は仕方ないと言えば仕方がないかもしれない。

 

「しかし暑くなったなぁ」


 毎年暑さが増している気がする。

 まだ夏がきてないなのに、真夏に近い気温だ。上着を部室に置いてきたが、それでも暑い。

 ワイシャツを腕まくりして、少しでも暑さを和らげる。


 現在俺は一人である。部活動の日だが、俺は予定があると言って先に帰った。半分は言葉通りだが、もう半分はかがみんのため。

 テスト中に溜まった鬱憤を解放してくれという先輩の優しさだ。別にアニメの視聴にしても、ゲームにしても他人が一緒にいてもいいものだが、アニメやゲームの中には一人で静かに邪魔をされずに世界観に浸るべきものがある。気心が知れた相手だろうが、『ぺいきゅあ! がんばえー!』と言ってるのを見られるのはよくないのである。

 プライベートの時間ぐらいは童心に帰ってもよいじゃないか。


「あ、月見里君! 月見里君も今から帰るの?」


 声がして、振り返ると朝比奈さんが階段の上部にいた。

 見上げる格好になっているため、白い太ももが強調され嫌でもスカートの端の部分に目が行きそうになる。風で揺れるスカートは、ひらひらと何かを誘うように動いた。猫が動くものに反応するように、男はスカートが動けば反応してしまうのである。必死に朝比奈さんに目線の動きがバレないように意思の力で視線を制御する。


「よかったら一緒に帰らない?」


 だが、そんな男の葛藤に気がついているのかいないのか、邪気のない笑顔でそう提案してくる。スカートの中身が見えそうだなと思った俺がいたたまれなくなってくる。

 目線がスカートの端にいっていたのが、まずかった。


「────っきゃ!」


 階段に落ちていたプリントに気がつくのが遅れてしまった。

 なぜそんな場所にプリントが落ちていたのかはわからない。誰かが落としたのか、掲示板から剥がれ落ちたのか。

 朝比奈さんはそのプリントを踏み、足を滑らせた。


 風景が、時間がスローモーション映像のようにゆっくりになる。目を大きく開きながら、転倒する朝比奈さん。危ないと自然に体が動いた。

 バランスを崩し落下する朝比奈さんの体を抱きしめ、体をひねる。予想以上に勢いがよく支えきれない。階段の途中で倒れるのを防ぐために、朝比奈さんを抱きかかえたまま階段の段鼻を蹴り、引っ張られるように地面へと向かう。落下することは避けられないが、俺がクッションとなることで朝比奈さんへのダメージを最小限になるように角度を調節する。


「きゃああああっ!!」


「ぐっ……」


 右腕に電撃が通るような痛みが走る。とっさに腕をたたみ、そのままゴロゴロと回転する。

 勢いがよかったのか、地面に落ちて回転しないと衝撃と痛みは消せなかった。

 いや、自分でもどう動いたのかさえわからない。ただ考える前に体が動いただけだ。衝動のまま、最善と思える行動をしただけ。

 警察がその場にいても、名探偵がその場にいても、これは事故だなと断定できるくらいに、故意はなかった。そう、故意はなかったのである。


「────んんっっ!!」


 痛みと混乱から回復するまで数秒。やっとこさ回復して目を開けると、至近距離で朝比奈さんと目があった。今までにない近距離。朝比奈さんの長いまつ毛が感じられるほど距離。

 そして、違和感。呼吸ができない。いや、鼻はできるが、それでも普段の鼻呼吸と違う。鼻の吐息が何かに当たる風圧。そして、唇に感じる甘く、温かいぷるんとした感触。

 朝比奈さんと目が合った。驚き見開いた瞳は玻璃はり細工のよう。

 なぜ、俺は朝比奈さんに覆いかぶさっているのか。なぜ、こんなにも朝比奈さんの顔が至近距離にあるのか。


 この唇に伝わる感触がなんであるのかは明確であり、夢でも幻でもないことを嫌でも実感してしまう。しかし、なんでそうなっているかはわからなかった。だからこそ、俺も朝比奈さんもすぐには動けなかった。唇の熱が両者の間に伝わり、均一になろうとしている。

 

「ご、ごめんっ──痛っ」


 右手に力を入れて、顔を離そうとするが、痛みで力が入らない。

 代わりに左手に力を入れて立ち上がろうとするが、むにゅっと変な感触がして──


「んっ!」


 朝比奈さんが声をあげる。唇から離れたので、声がだせるようになったから。

 しかし、両者の唇に伝う糸が先程までの接触が嘘ではないことを嫌でも立証していた。なんと謝ればいいのだろうか。懸命に頭を働かせる。左手はむにゅむにゅと妙に気持ちの良い手触りのものを握りながら考える。「んっ!」事故は事故でもキスはキスだ。人工呼吸がキスに含むかは識者の中でも意見が分かれるところだが「や、やんっ!」、こういう場合の事故キスはやっぱりキスになってしまうと思う。「や、やまなしくんぅ……」朝比奈さんも照れたのか、頬だけではなく耳まで真っ赤に染めながら、顔を横にしなだれかける。火照った顔は、なんとも扇情的で伝った糸が途切れ頬についたのがまたなんとも蠱惑的だった。拭いたほうがいいのかな。もにゅもにゅと地面を掴んでいるのだが、妙に柔らかくな……。


「ごめん!」


 気がつけば、左手は朝比奈さんの胸にあった! 力強く揉みこんでしまった! 弁解の余地もないほど、何度も何度も揉んだ気がする! ええっ!?

 男にはありえない柔らかな感触。そして、温かく力を入れれば形を変える不思議な、ずっと触っていたいと思わせる力があった。その魔力に無意識下で何度も揉んでいたようだ! え、なんで!? 自分で自分が理解できない!

 意思の力で胸から手を外し立ち上がる。


「あ、朝比奈さんは怪我はない……でしょう……か?」


 言葉が尻すぼみになっていく。声をかけることだけで勇気がいる。声をだすごとに勇気が萎んでいく。

 お互いなんとか立ち上がり、状況を確認する。


「う、うん……」


 まともに朝比奈さんの顔を見ることが出来ない。ふと、頭の数字が勢いよく振動していることが目に入るがそれどころではない。

 朝比奈さんも俺の顔がまともに見れないようで、互いに立っているのにどこか視線を逸したままだ。チラッと見た感じ、朝比奈さんは顔を真っ赤に染めていたが、怒りというより恥ずかしい感じだった。

 警察に駆け込まれる心配はなさそうだが、それでもキスと胸を揉んだのだ。土下座の必要はあるかな? うん、あるよな、あるはずだ。むしろ、土下座で済むのか。

 俺にとってもファーストキスだったのだが、それがなんの言い訳にもならないことはわかっている。むしろ、朝比奈さんがファーストキスだったらどうしよう。慰謝料を払う必要性がありそうだ。

 いや、キスだけじゃない。その後の胸を揉んだことのほうが問題かもしれない。一度だけなら、不可抗力と言えなくもなかったが、何度も揉んでしまった。あの艶かしい声は、胸を揉まれたから漏れた声だった。何度も胸を揉んだからこそでた嬌声。

 胸を揉んでいたと認識していなかったとは主観の話で、客観的に見ればそれは信じられる話ではない。


『知ってます、月見里先輩? 昔の切腹って自分で内蔵を取りだすらしいですよ?』


 突然、かがみんがそんなことを言っていたのを思い出した。

 やめて! わざとじゃないの!? 


『引くわ……』


『マジでやるとは、頭がおかしいのでは……』


 俺の中の天使と悪魔が抗議の声をあげる。お前ら、散々酷いことを言ってたのに! なんで善人ぶってるんだよ!! フォローしろよ!


「や、月見里君……その、じ、事故だから……!!」


「う、うん」


 朝比奈さんはやはり女神だった。

 事故という言葉。それは故意ではなく偶然。

 悪意はなかったと朝比奈さんは思ってくれたのだ。


「そ、それに! や、月見里君助けてくれたんだよね!?」


「うん」


 うんとしか言えなくなった人形みたいに頷く俺。


「あ、あり………え?」

 

「ど、どうしたの?」


 ありがとうでこの話は終わると予感したのだが、朝比奈さんの声は途中で止まる。

 やっぱり土下座? 慰謝料?

 だが、表情には負の感情はなく、ただ信じられないものを見るような、そんな戸惑いだけがあった。

 朝比奈さんの視線は、ある一点に集中していた。

 それは俺の右腕、肘のあたり。ワイシャツを腕まくりしていたため、はっきりと地肌が見える。


「月見里君、腕が……」


 じんじんと痛む右肘。

 その肘周辺の皮膚が黄色と紫色に大きく染まっていた。

 

「うわぁ……」


 自分の腕ながらちょっとグロい。一目見て異常と思わせる状態だが、見た目ほど重症ではない気がする。

 右腕を動かそうと思えば、動かせる。だから、骨が折れているいうことはないはず。

 ただ、右腕は動くには動くが、ゆっくりとしか動かせない。軽く右腕を触ると鈍痛が走る。激痛というほどでもないから、やはり骨折という線は薄そうだ。打撲の可能性が高い。


「び、病院ーー!! え、でも、まず、保健室!? そ、それとも救急車? 110? 110だよね!?」


 朝比奈さんが混乱しながら叫ぶ。

 うん。まずは朝比奈さんを落ち着かせることから始めよう。このまま警察を呼ばれたら、俺が捕まってしまう。

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