頭の上に数字が見えるようになりましたが、何か?
九重 遥
全てはこうして始まった
第1話 これが全ての始まりだったと思う
「あの……ラブレターの返事なんだけど……」
「うん……」
手をスカートの前にギュッと握りしめ、俯く美少女。
相対する男、
ほのかに甘酸っぱい空気が辺りを包みこんでいた。
場所は、四階の一番奥の空き教室。四階は使われなくなった空き教室が置かれている場所。昔は四階までクラスがあったのだが、少子化によって学生が減ってクラス数を削減。そのまま使われることなく、予備の椅子と机の置き場所となっている。普段なら吹奏楽などの文化系クラブが利用しているが、今はテスト一週間前ということで、クラブ活動は禁止されている。だから、放課後にわざわざこの場所まで来る奇特な生徒はいない。
四階奥の空き教室は俺と眼の前の美少女、
観客のいない舞台、誰かに聞かれたくない話にはもってこいの場所だ。
例えば、告白とか告白の返事とか。
「ごめんなさい」
朝比奈さんは深く頭を下げた。その膝元に握られた手の力の入れ具合から、俺の告白に真摯に対応してくれたと嫌でもわかってしまう。
「……そっか」
朝比奈さんと目が合った。
俺は苦笑いしながら、肩をすくめる。どうせ告白は失敗するとわかっていたのだが、思っていたよりショックを受けているようだ。なんでもないと朗らかに笑いたいのに、顔がこわばってうまく笑えない。
「本当にごめんさない。気持ちは嬉しいけれど、私……誰とも付き合うつもりはないの」
それは俺を振った理由なのか、慰めなのかはわからなかった。
ただ、変わらないのは俺が彼女とお付き合いできない事実。
「ねぇ、朝比奈さん? 告白して振られた側なのに都合のいいこと言うけど……今まで通りに接していい?」
「今まで通りって……」
「うん。朝教室で会ったら挨拶する関係?」
そこで初めて彼女は笑った。なんで疑問系なのと。
「友達というには関係性が希薄な気がしてね。それでも朝に朝比奈さんと挨拶して、ちょっと雑談するのは気に入っているんだ。それがなくなるのは惜しい」
朝比奈さんは友人も多く、異性からの人気も高い。学年トップクラスの美少女と言っても過言ではない。俺にとってはまさに高嶺の花。俺が気軽に話しかけれる存在ではない。クラスカーストの上位者に低位の者が話しかけにくいと言えば一番わかってもらえると思う。
だが、周囲に人がいなければ話は別。
朝比奈さんは運動部の朝練を除けばクラスの中で一番早く登校する。俺は二番。そして、五分ほど遅れて三番目がやってくる。
朝の五分間、他の誰もいない教室で朝比奈さんと会話をするのは俺のひそかな楽しみだった。
普段教室の中というのは級友達がひしめき合って騒がしい。約三十人の人間が一つの部屋に詰まっているのだ。十分休憩であろうと昼休みだろうと静かな時間はない。ただ、朝のあの時間だけは世界に俺と朝比奈さんしかいないみたいに静まり返っている。
朝の静謐な空気と場の静けさが相まって特別な雰囲気を作っていた。
挨拶や世間話をするだけなのにまるで内緒話をしているかのように気分を高揚させる。
それがなくなるのは、ちょっと嫌だなと思った。
「うん……それぐらいなら」
何かを警戒するように慎重に朝比奈さんは返事をする。
「ありがとう。なら今まで通りに話しかけるよ」
それ以上の裏はないと。それでお終いと話を打ち切る。
しばしの沈黙のあと、朝比奈さんは口を開いた。
「ねぇ?」
「ん?」
「月見里君って変だよね?」
「そうかな? 自分では普通だと思うよ」
「ううん、変」
きっぱりと断言するように、朝比奈さんは頷いた。
「今まで私に告白してきた人は断ったら、よそよそしくなったり、逆に酷いことを言ったりする人ばっかりだったの」
朝比奈さんは語る。
挨拶しても返してくれず、逃げるように立ち去る人の話。
付き合おう、好きだと言い、断ってもしつこく食い下がり、それでも付き合えないと強固に断ると、逆に朝比奈さんを非難する。誘ったのはお前だろと見当違いなことを言い、周りに事実無根の悪評を振りまく人の話。
前者はわかる。距離感がつかめなくなってしまったのだ。好きだけど、付き合えないとわかると、どのような距離でいればいいのかわからなくなり、必要以上に距離をとる。嫌われたくないという不安と近づいたとしても付き合えないという現実がミックスされ、自分を守るために好きな人から影響されない場所へと逃げる。相手の気持ちを考えない自己防衛だけを考えた自己中心主義者。
ただ、後者の態度は気に入らない。
酸っぱい葡萄精神を悪化させたものと思えばいいのか。付き合えないとわかると悪態をつく。好意を抱いたはずの人なのに大したことのない存在だと偽り、相手を下げることで告白が成功しなかったことを正当化する。自分の幼稚な自尊心を守るだけに好きな人を嫌悪する自己中心主義者。
前者は格好が悪いと言えるが、後者はクズだと吐き捨てることができる。
同じにはなりたくないと心底思うが……。
自分がそれほど人間できていないとわかっているので、この思いは同族嫌悪かもしれない。同じクズになるにしても、せめてマシな存在になりたいものである。目指せ人畜無害のクズ。
「それでも、月見里君は普通。すごく普通。だから、変」
「嫌?」
端的な言葉。
もし嫌だったら、距離を取るという心の表れ。
この茶番劇に突き合わせてしまった贖罪でもある。
「ううん、全然」
「そっか。うん……なら今まで通りによろしくお願いします」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
互いに頭を下げあった。
これだけ見れば告白が成功したようにも見えるから不思議だ。
朝比奈さんもおかしいと思ったのか、目が合うとクスッと笑った。
「じゃあ、明日また教室で」
「うん……バイバイ」
そう言って、朝比奈さんと別れた。
朝比奈さんは下校するために下駄箱へ。
俺は部室に行くために文芸部の部屋に。
互いに背を向けて歩いているために、表情はわからないが、俺は今頬が緩んでいた。
胸のつかえが下りて、それまであった閉塞感が消えた。まるで嵐が通り過ぎて快晴の天気がやってきたかのように清々しい。
俺はやり終えたのだ。
とてもよいバッドエンドでした。
気が緩んでいたのだろう。だから、この告白劇を誰かが覗いていたとは露程も知らなかった。
そして、後にとんでもないことになることも。
今はまだ知らなかったのである。
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