ゼロ魔力でも幸せに生きています。だから王様、ほっといて!?

ヤギです

第1章 平凡こそ幸せ

第1話

この世界は魔力と精霊の力によって成り立っている。





「はっくしゅんっ!」


 くしゃみが狭い小屋の中に響き渡る。


「薪がない……」


 涼しくなってきた秋の初め頃、森の中でひっそりと暮らしている女が独りつぶやく。そして自分のベッドを見る。この家に住んでいるのは女一人なのだが、家主である彼女の視線の先には粗末な毛布をかぶって震えている男の姿があった。男は紫の巻き布を身に着けている。紫の巻き布はかなり高位につく人物しか身につけることを許されていない。至高の色とも言われるそれは高潔な血筋であることを意味する。このようなみすぼらしい場所にいるべき人物ではない。


「ホゲー! ホゲゲゲー!」

「うるさいよチキンッ」


 チキンと呼ばれた茶色いニワトリは小さな目玉をきょとんとさせて、三秒間黙った。そしてまたホゲホゲと声高らかに叫ぶ。

 女――ミチルは頭を抱えて玄関横にかけてある黒いローブを羽織って外へ出る。ミチルの家は日当たりの悪い森の奥にあった。鬱蒼と生い茂る木々は自然に身を任せて伸びているため本来なら手入れしてやるべきなのだ。空を覆いつくすように広がって伸びている枝のせいで太陽の光はさえぎられている。

 男はいきなり現れ、ミチルが魔力ではなく道具を使って火をつけることに驚いていた。何度も言うが、この世界は魔力と精霊の力によって成り立っている。魔力は生まれたばかりの赤子でも備わっているのだ。魔力のない人間など存在しない。それが常識である。

 ミチルはフードを深く被って顔と髪を覆い隠した。歩きながら男と出会ったときのことを思い返す。


   


『ホゲ、ホゲガッコー、ホゲーゴッコッ!』


 チキンが床板を猛スピードで突き始めた。空腹になると狂暴化するのだ。このままでは床が穴だらけになってしまう。

 ミチルは鳥餌を保管してある自宅裏の小屋に行く。小屋には鳥餌のほか、畑仕事をするための道具や掃除道具も置いてある。鳥餌があるのは入ってすぐの左側に置いてある二段木製ラックの天板上だったはずだ。記憶をたどりながら薄暗い小屋の中を手探りで探すが、なぜかなかなか見つからない。

 小屋には採光用の小窓もついていたはずなのだが、適当にモノをしまいこんでいくうちに荷物で塞がってしまったため頼りになるのはミチルが開けた戸口から入り込んでくる光だけだった。

 外からホゲホゲと聞こえてくるチキンの鳴き声がいよいよ騒音レベルに達してしまいそうだ。

 ミチルはため溜息をつき、戸口の左上部に吊り下げてあるランプを手に取り、マッチを擦って火をつけ明かりを灯した。マッチは製造している会社が1社しかないため入手ルートも限られてしまう貴重なものだが仕方ない。

 魔力で簡単に火を使える一般国民には必要のないものでもあるため、希少アイテムである。ミチル以外で所持している者がいるとすればそれは変わり者のコレクターくらいだろう。


 ランプの小さな明かりを掲げて中に足を踏み入れるとホコリや木くずだらけだった。少し動いただけでホコリが舞い、ミチルは口元を手で覆って咳き込んだ。


『掃除……しないとね……けほっ』


 奥まで進むと足元に見覚えのないボロ切れまで落ちている。鳥餌はボロ切れの横に落ちていた。いつも保管している場所から数歩離れた場所にあったことを訝しみながらしゃがんでそれを拾い上げると袋の底からバラバラと鳥餌が降ってくる。


『うあー…ネズミかなぁ……』


 床に撒き散らされた丸いタブレット型の餌を眺めて肩を落とすミチルの耳にチキンのけたたましい間抜けな鳴き声が聞こえてきた。


『ホゲーホーゲー!』


 チキンが早くメシをよこせと騒いでいる。ミチルは片付けるのも面倒になり、チキンを小屋に放り込んで散らばった鳥餌を食べさせてしまおうと思いつき、持っていた穴開きの袋を投げ捨てチキンを連れに戻るつもりで外に出る。


『ホゲーホーホゲギョ! コケコケ!!』


 小屋に出て一歩進んだところでミチルの思考は停止した。首をむんずと掴まれて奇声をあげながらもがいているチキンがすぐ目の前にいたのだ。


 チキンを捉えているのは真っ白な男だった。髪も白く、肌も透き通るように白い。しかし瞳は新緑の色をそのまま写したかのように鮮やかな深緑で、穏やかな印象を与える。

 男の身に着けている紫の巻き布から彼の階級がミチルよりもずっと上位にあることを窺える。

 そんな男が変なニワトリの首根っこを掴み宙づりにして、ミチルの方に差し出してきた。ミチルが手を伸ばすとどさっとチキンが腕の中に収まり、錯乱しているのかコケコケと真っ当なニワトリのように鳴く。


『お前はなぜマッチを使う?』


 男が問う。ミチルはゼロ魔力である。それは隠しておくべき秘密だ。男と対峙してから数分しか経っていないはずなのに口がやたらと乾く。


『なぜマッチを使う?』


もう一度、鋭い声で聴かれた。ミチルはチキンを抱きしめてキュッと唇を引きむすんだ。


『お前はなぜマッチを使う?』


 男は黙り込むミチルに威圧的な態度で同じ問いを繰り返した。


『答えろ。私は気が短いんだ。もう一度だけチャンスをやる。なぜマッチを使う? 効率が悪すぎる。魔力で火精霊とコンタクトをとれば一瞬で済むことだ』


 ミチルはチキンを優しく抱きなおし、


『ごめんねチキン』


 投げた。


『んなっ!?』


 躊躇うことなく男の顔面めがけて放たれた見事な投球はストライクだった。男の顔に直撃したチキンはドサッと地面に落ち、くるくるとその場を回りながらホゲホゲと騒いだ。

 男はというと、気を失っていた。ミチルはガッツポーズをしていたのだが、すぐに冷静さを取り戻したのである。


『下級市民が貴族様を暴行しちゃった……これ、明るみに出たらまずいよね……?』

 男には心穏やかに街へお帰りいただきたい。ここで会った女のことなど綺麗さっぱり忘れてほしい。

『忘却草を煎じてグリーンティーに混ぜてみようかな……』


 忘却草は麻酔薬として流通しているのだが、ごく少量なら頭がぼんやりするだけで麻酔としては機能しない。視界もややぼやけて見えることから顔もなんとなくしか思い出せなくなるはずだ。


『よし、この手でいこう!』


 先の見通しが立ち安堵したミチルは気絶している男を運びながらも、その足取りは軽かった。








 そのような経緯があり、男が寝ている間に忘却草を見つけて飲ませる準備は万端だったのだが。


「なんでまだ目覚めないのかな。あれでも運んでいる時、やけに呼吸も荒かったような……」


 薪を集めながらもミチルは男の容態ばかり気にかかり短時間で家に戻った。チキンの鳴き声がしない。嫌な予感がしてドアを勢いよく開けると、冷たいものが首筋に触れた。

 そっと視線だけ落として首筋を見ると剣の刃先がわずか5ミリほどのところに突き付けられている。刃先をたどっていくと、新緑色の瞳に氷のような冷気をはらんで男がこちらを睨んでいた。


「何を――」


 やっとのことで絞り出した声はかすれていた。男は「動くな」と凄みを利かせ、恐怖に震えるミチルのことを値踏みするように観察してくる。


「私に敵意を向けていたな。まさかニワトリを投げつけてくるとは思わなかった」

「あ、れは咄嗟のことで……」

「マッチを使うのはなぜかと聞いただけで殺されかけるとはな」

「チキンに殺されるですって?」


 思わず聞き返し、ミチルは笑ってしまった。状況がまずいのはわかっている。しかしあのチキンに殺されそうになったと言ったのだ。チキンはとても臆病で残念な要素の多すぎる子でもある。


「ふふ、あの拍子抜けするニワトリの顔をよく見たら? 虫一匹殺せやしないわよ」


 それなのに、殺されかけたと。


「ふ、ふふ……ダメ、おかしくて笑っちゃう!」


 声を上げて笑い出したミチルに男はガシガシと頭をかいた。


「お前に敵意がないのはわかった。しかし私の立場をわかっての態度か?」


 男の横柄な口調にミチルはむっと唇を尖らせた。


「いきなり人の家にやってくる方が悪いのよ!」


 森の家に住んで18年、これまでに人が訪ねてきたことは数えるほどしかないわけで、それも亡き両親の知己である限られた人しか来なかったのだ。


「都市部では面識もないのに挨拶もせず、突然やってくるのが礼儀なの?」


 男がなぜここへたどり着いたのか。疑問を心に抱えながらミチルは慎重に言葉を探した。


(この場所は結界に守られているから手順を知らないと見つけられない)


 結界が保たれているのは両親の魔力が膨大だったことと血の契約が影響している。魔力のないミチルに詳しいことなどわからないが、血の契約は契約者の血縁まで及ぶらしい。


「家の戸はノックした」

「聞こえなかった」 

「ニワトリのせいだろ」

「うぐ……まさかこんなところに人が来るなんて思わないでしょう!」

「だがお前はここに住んでいる。国の地図にすら記載がなく、そこに住む者の存在すら記録されていない。なぜだ?」


 男が厳しい表情で言った。ミチルはため息をつき玄関の前に座り込んだ。これ以上は隠しても意味がない。この場所が見つかってしまい、国に存在を認められていないことが明るみに出てしまった。ミチルは項垂れた。


「私が魔力を持たない存在だからじゃない?」


 答えを聞き、男は片膝をついてミチルの顎に手を添えて顔を上げさせた。

 間近で見る新緑色の瞳は嫌悪に染まっているだろう。そう思っていたのだが、男は瞳を輝かせていた。


「な、なななっ!?」


 男はぐいぐいと顔を近づけてきた。互いの呼吸がわかるくらいの至近距離になる。彼はミチルの頬に柔らかな唇と押し付けてきた。


「は、はああああ!?」


 驚きのあまり奇声を上げるミチルに対し、男は嬉しそうに目を細めた。


「魔力ゼロの女はどんな味がするのか気になるな」


 底意地の悪い笑みとともに彼は口角をにっと上げた。

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