ドレスを捨てよ町に出よう

 それは、私が十歳になってからしばらくした秋頃の話だった。

 その日私はすっかり友人として仲良くなったアレックス、ダグラス、そしてクレアとの四人で馬車に乗っていた。

 馬車が向かう先は、帝都スフィンクス。場所としては、もう何度も父や母、そして使用人達と訪れたことのある都だ。

 だが、その日はいつもと勝手が違っていた。

 まず、付き添っている大人がいない。馬車を御している御者は一応公爵家ゆかりの人物ではあるが、帝都までは着いてこない。馬車に乗っているのは私達四人の子供だけである。

 そして第二に、私達の服装だ。

 それぞれがいつものきらびやかな洋服や給仕服ではなく市井のものが着るような一般的な市民服を着ている。

 アレックスも、ダグラスも、クレアも落ち着いた服を着ている。

 そして、私に至っては――


「……なんで私は労働者服で男装なんだい」


 私は今、白いシャツに、サスペンダー付きの茶色い麻のズボンを履いている。頭にはハンチング帽をかぶり、大分伸びてきた髪をその中に結って収めている。

 成長して顔が悪役令嬢として整ってきたせいか、一見すれば確かに男の子と間違われるかもしれない見た目をしていた。


「しょうがないですよ、お嬢様はわりと帝都に行ってますから、普通にスカートとかを履いていたら俺達よりもバレる可能性があるんですから。そもそも、お忍びで帝都に行きたいと言ったのはお嬢様じゃないですか」


 そう、今回の事を言いだしたのは私だった。

 みんなでこっそりと身分を気にせずに町で遊んでみたかったのだ。

 子供らしい願望かもしれない。だが、いつもアレックスやクレアを我が家に遊びに来させるだけなのは、なんだか忍びなかったのだ。


「いや、確かにそうだが……でも公務とかで帝都に出る機会のアレックス皇子は普通な格好をしているじゃないか」

「僕はあんまり出ないんだよ実のところ。だいたい第一皇子か第二皇子である兄様方が外に出られることが多くて、留守番が多いんだ」

「うう、なんだか納得がいかない……」

「まあお嬢様の気持ちも分かりますけどね。というかアレックス皇子、なんであなたは俺達と同じ馬車に乗ってるんですか。あなたは普通に皇城から合流すればいいでしょうに。二度手間じゃないですか」

「なんだいひどい事を言うなぁダグラスは。僕だって一緒に馬車に乗ってみんなとわいわい楽しみたかったんだよ。それが分からないなんて、冷たい男だよ君は」

「みんな、じゃなくて、お嬢様と、でしょう? かーっ! 自分の欲求を隠すのが下手っすねー皇子は!」

「ま、まあまあ……」


 十歳になってもこの二人は相性が悪いらしい。私的にはもうちょっと仲良くしてくれると嬉しいのだけれど、まあ人間関係というものはそううまくはいかないか。


「……でも、もうちょっとやっぱり可愛い服が……」

「大丈夫ですよレイ様! その姿のレイ様も格好良くて素敵です!」


 そんなことを言うクレアだが、彼女は普通に可愛い格好をしているのはずるいと思う。

 クレアはシックなワンピースを着ており、柄こそ派手ではないが、彼女の長い金髪と相まってとても可愛らしく彼女を彩っていた。

 ――いいなぁ、私もあんな服が着たかった。

 正直、今回帝都に行くに際して、私は普通に可愛い洋服を着るつもりだった。

 可愛い服で町を練り歩く。それが、今回の目的の一つでもあったのだ。

 それが、ダグラスやアレックスが男装したほうがいいと言い出し、それにクレアが同調したせいで私はこの服を着ることになってしまった。

 納得いかない。なんだか納得いかない。

 なので私は、一人可愛い服を着ているクレアにちょっといたずらすることにした。


「そうか、ありがとうクレア。クレアの服もとても素敵だよ。まるで物語の世界から妖精が飛び出してきたようだ」

「へっ!? レ、レイ様!?」


 私はクレアの頬をそっと撫でて言う。すると、クレアは顔を真っ赤にし、目をパチパチさせる。

 よし、元々私に弱いところがあるクレアだが、今の男装している姿ではより効果が大きいみたいだ。ここでさらに彼女のツボを抑えた一撃を加えることにする。


「本当に美しいよ、私の妖精さん」


 そう言って、私はクレアの手を取り、手の甲にキスをする。


「ひゃあああああああああっ!? レ、レイ様それは反則でしゅっうごっぅ!?!?」


 クレアは興奮して飛び上がり、その勢いで後頭部を馬車の中の壁にぶつけてしまう。


「う、うごおおおおおおおっ……!」


 クレアは痛そうにうずくまる。

 うっ、ちょっとやり過ぎたか……?


「だ、大丈夫かいクレア? 悪かった、ちょっとからかってしまって……」

「い、いえいいんですレイ様。正直すごく嬉しかったので何も問題はないです!」


 クレアは頭を抑えながらも片手で私にぐっと拳を作ってみせる。

 ああ、たくましいなぁ彼女は……。


「ったく、お嬢様は本当にお転婆なんですから……いやお転婆で片付けていいかちょっとよく分かんないですけど。ほら、クレア様もちゃんと座り直してください。もうそろそろ、帝都に着きますよ」


 ダグラスが私達に言う。その言葉を聞いて窓の外を見ると、城壁に囲まれた都市が見えてきた。帝都スフィンクスだ。

 私はそれを見て、これからの事に期待で胸を膨らませた。



   ◇◆◇◆◇



 帝都の入り口で馬車を降りると、私達は開かれた大きな門を抜け帝都に入る。

 普段は大人達に連れられて来る場所だが、子供だけで来ると違った新鮮さがそこにはあった。

 庶民的生活感のある家屋が立ち並ぶ道、その道を行き交うたくさんの人々、様々なものが売られている露店。

 そのどれもが、大人と一緒にいるときには見えない色で見えた。

 それは、普段皇城にいるアレックスや、由緒正しい家柄の娘であるクレアもそうらしく、目を輝かせている。


「楽しそうですね、みなさん」

「まあ、そうだね。でもダグラスにとっては見慣れた風景なんだろう? 確かアルバート家は平民の出だったはずだからね。なんだかすまないね付き合わせてしまって」

「いいんですよ、お嬢様達の楽しそうな姿を見るだけで俺も楽しいです。それに、俺達姉弟は田舎の出身なんで、帝都は結構物珍しいですよ?」

「そうか、ならいいんだが」

「あっ、来て下さいレイ様ー! こっちのお店、ガラス細工がすごく素敵ですよー!」

「本当かい? ああ、今行く! ほら、行こうダグラス。せっかく君もあまり経験がないなら、存分に楽しもうじゃないか」

「はいはい、まったく人使い荒いお嬢様ですね」


 ダグラスはそんなことを言いながらも、私に笑顔を見せてくれる。

 それがなんだか嬉しくて、私はダグラスの手を引いて声を上げるクレア達の元へと駆けた。

 そうして、私達は帝都を満喫した。色々な店で小物などを買ったり、買い食いをしたりと、普段の公爵家の邸宅での生活ではまずできない遊びだ。

 その時間は本当に楽しくて、つい時間を忘れてしまいそうになるぐらいだった。そうして、沢山のところで遊びながら、どんどんと私達は帝都の奥へと進んでいった。

 そして……


「……はぐれた! 迷った!」


 私は、クレアと二人、アレックス達とはぐれてしまった。

 正確には、迷ったクレアを一人探しに出たところ、私までもが二人とはぐれて迷子の仲間入りをしてしまったという流れだ。

 一応クレアは見つけたが、彼女はとても意気消沈した様子で私の隣にいる。


「レ、レイ様ぁ……」


 クレアが不安そうな声を出して私の袖を掴む。

 そんなクレアの頭を、私は撫でる。


「大丈夫だよ。きっと向こうも私達の事を探している。とりあえず、ここを出よう。そして、何か目立つ建物か何かがある場所でも探してそこで待ってみよう。そうすれば、きっと会えるさ」

「……はい!」


 クレアは私の言葉に勇気づけられたのか、顔を明るくして答える。

 頑張って元気を出そうとしているようだった。

 私もこの気持ちに答えなくては。


「さて……」


 私は周囲を見回す。

 どうやらここは帝都の貧民街のようだった。人通りは表通りと比べると殆ど無く、服装もあまり褒められたものではない人が行き交っている。

 道も狭く、陽の光もあまり入ってきていない。

 どうしてクレアはこんなところに迷い込んだのか……さすがドジっ子。まあ、それは後で聞くとして、今はここを出ないと。


「いいかいクレア、絶対に私の側を離れてはだめだよ。私が表に出る道に進むから、私の後をしっかりと着いてくるんだよ」

「は、はい! 分かりました!」


 そうして私達は貧民街の狭い路地裏を歩き始める。不安で仕方のない道だったが、クレアをなんとしても助けなければという気持ちで自分を奮い立たせ、道を探した。

 そんなときだった。


「よう、そこのかわいいカップルさんよ」


 私達の目の前を遮るように、目つきの悪い少年達が現れたのだ。

 見たところ、十四、五歳といったところだろうか。私達の前に二人、私達の後ろに二人、計四人が私達を囲むように現れた。


「……なんだい」

「あんたら、ここのもんじゃねぇな。悪いことは言わねぇ。金目のもん置いてきな。そうすれば、あんまり乱暴な事はしないからよ」


 どうやら、私達は所謂ごろつきに囲まれてしまったらしい。

 彼らは私達から金品を巻き上げるつもりでいるらしい。

 なら、素直に置いておくのが身の安全のためではあるのだろう。

 だが、それはできなかった。

 第一に、それではクレアが可哀想だ。クレアはここで楽しい経験をいっぱいした。それなのに、最後はごろつきに金目のものを巻き上げられて終わりだなんて、あまりにも可哀想だ。


「レイ様……」


 クレアが涙目で私にすがる。そうだ、彼女にこれ以上悲しい思いをさせていはいけない。

 第二に、私は彼らに渡したくないものがある。それは、七歳のときの誕生日にもらったネックレスと髪飾りだ。私はあれを貰って以来、ずっと身につけている。それは、男装している今日だってそうだ。

 服と帽子の下に隠れているが、私はしっかりとそれを身に付けているのだ。

 目の前の彼らが、それを見逃すわけはないだろう。もし金品を渡すとなれば、彼らにそれを渡してしまうことになる。それだけは、絶対にイヤだった。

 だから私は彼らにこう答えた。


「……嫌だと言ったら?」

「力づくで奪うまでだっ! いけっお前らっ!」


 リーダー格の少年が言うと、彼らは一斉に襲ってきた。


「クレア、伏せてて!」


 私はとっさに言う。クレアはその言葉通り頭を抱えて伏せる。

 そして、私は近くに置いてあった箒を手にして、回るようにそれを振り回した。


「っ!?」


 ごろつき共は一旦引く。

 私はクレアを守るように、箒を構えて彼らに相対する。


「残念だが、素手じゃ君達は私に勝てないよ?」

「抜かせっ! そんな箒怖いわけないだろうがっ!」


 彼らは再び襲ってくる。私はそんな彼らの拳をそれぞれ素早く避けて、箒の柄で彼らの急所をついていく。


「ぐえっ!」

「うぐっ!」

「げぇっ!」


 ごろつき共は次々と地面に倒れていく。

 私がしているこれは、要は剣術の応用だ。

 箒を剣に見立て、振るっているに過ぎない。

 だが、箒も巧みに使えば立派な武器となる。

 マリアンヌ先生に三年間教え込まれた剣術が、まさかこんな形で役に立つとは。世の中分からないものだ。


「ちっ、ちくしょう!」


 襲いかかってきたごろつきの少年共を次々と倒し、残ったのはリーダー格の少年だけになった。


「さあどうする? 降参してこの場を去るならば、もう痛い目はみないですむが?」

「ふっ、ふざけるなっ!」


 私に一直線に襲いかかってくるごろつき。

 私はその突進をするりと避け、箒の柄で彼の腹部をついた。


「ぐっ!?」

「やった!」


 見ていたクレアが喜びの声を上げ立ち上がる。

 終わった。これで帰れる。私はそう思った。

 だが――


「……っこんのおっ!」


 なんとリーダーは私の急所突きを耐えたらしく、私めがけてとあるものを振るってきた。

 それは、ナイフだった。


「っ!?」


 私はそれをギリギリでかわす。だが、完全に避けきれず、ナイフの先が私の服を破き帽子と箒を弾き飛ばす。


「くっ……!」

「はぁ……はぁ……これで形勢逆転だな……というか、お前女だったのかよ……へへへ……」


 リーダーが私の伸びる髪とはだけた胸を見て言った。


「……女で悪いか!」


 私はクレアをかばいながら言う。


「いや別に。ただ、有り金全部奪うだけじゃもう飽きたらねぇ。こうなったら、女として恥ずかしい目に合わせてやる!」

「くっ……!」


 さすがに素手とナイフでは分が悪い。箒をもう一度拾えればいいのだが、簡単にはさせてくれないだろう。

 つまり、私達は今ピンチというわけだ。


「うおおおおおおおおおっ!」


 リーダーがナイフを持って私に突撃してくる。下手によければ、クレアに被害がいきかねないルートだった。

 まずいな……。こうなったら、肉を切らせて骨を断つ作戦だ。あえてナイフを手で受けて、そのままこいつを投げ飛ばす!

 私はそう思い、リーダーを迎えるように足に力を入れた。

 そのときだった。


「それ以上はさせねぇよ」


 突然そんな声がしたかと思うと、近くの家屋の二階から誰かが飛び降りて、リーダーの少年を踏み潰すように蹴りを入れた。


「うぎゃぁっ!?」


 リーダーのごろつきはひどい声を上げて地面に這いつくばる。

 そして、先程までリーダーのごろつきがいた場所には、一人の少年が立っていた。

 浅黒い褐色肌と、それに対を成すように色素の薄い髪。その姿に、私はどこか既視感を覚えた。

 その少年は、全員に意識がないことを確認すると、振り返って私達に言った。


「あんたら、いいところのお嬢さんだろ。その汚れのない服を見れば分かる。いいか、道案内してやるからとっととこの貧民街から出ていきな。ここは、あんたらのいるような場所じゃねぇよ」

「あ、ありがとう……君は……」

「俺はただのチンピラさ。ただ、こいつらとよりはちょっとだけマシなだけのな。さあ、ついてきな。とっととここから失せてもらうぜ」


 そう言って褐色の少年は歩き始める。私とクレアは顔を見合わせたが、すぐさまその少年の後についていった。

 そして、少年についていって数分、私達は貧民街の外に出た。


「よ、よかったぁ! 出れたぁ!」


 クレアが嬉しそうに言う。一方で、少年は私達に目もくれずに踵を返し貧民街に戻ろうとしていた。


「待ってくれ!」


 その少年を追って、声をかける。

 私は、彼に引っかかりを覚えていた。彼は、もしかして――


「……なんだ」

「せめて、名前を教えてくれ。助けられたというのに、名前も知らないままというのは気持ちが悪い」

「……ノエル・ランチェスター。これでいいか。それじゃあな、お嬢さん」


 そう言って彼は去っていった。

 ノエル・ランチェスター。

 やはりそうだと、私は思った。私はその名を知っていたからだ。

 それは『エモーション・ハート』の登場人物の名前だった。主人公アレクシアが出会う美男の一人、貧民街の生まれのアウトロー、それが、ノエル・ランチェスター。

 私はまたしても出会ったのだ。私の人生を動かすかもしれない、この世界の主要人物と。


「…………」


 私はそんな彼の後ろ姿を、消えるまでずっと見ていた。

 そして、彼の事をずっと考えていた。それは、アレックス達と合流して、たくさん心配されながらも帝都を去ったその後も。

 そして、私は思ったのだ。

 ――また、彼に会いたい。

 自分の人生を破滅させるかもしれない男に、私はそう思ったのだった。

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